502号室 西別浩司と手紙①
皆さんは、忘れられない人、忘れられない思い出というものはあるだろうか?
甘酸っぱい初恋、返したい大恩、子供の頃に体験した事件や事故、失敗談・・・。その内容の大小はあるだろうが、いくつかはあるはずだ。
私の場合、小学校時代にいきもの係だったにも関わらず、1週間連続うさぎの世話をさぼった挙句、小屋から逃がしてしまった、なんていう自業自得な思い出もある。
そういえば、あの時は校長室に呼び出されて大目玉を食らったっけ。でもその後校長先生がこっそり飴をくれたんだったかな。
今回の依頼人、西別浩司(21)も、そうした思い出から今回の依頼に至ったようだ。
その依頼内容は・・・。
「初恋の人を、探してほしいんです。」
少し恥ずかしそうに、しかしはっきりとした口調で話す浩司くん。
彼は502号室の住人で、一人暮らしの大学生だ。礼儀正しく、私や他の住人を見かけると、必ず挨拶をしっかりしてくれる。所謂、『好青年』というやつだ。
ただし、その依頼というのが・・・。
「人探し・・・ですか。」
正直に言うと、この時の私は少し困った。なぜなら、私は人探しというのがかなり苦手だからだ。
先日の矢田夫妻の依頼の場合は、対象が私だったり、目的の人物とうまくお会いできたのでよかったが、今回は流石にそうもいかない。
できればうまくあしらって、帰ってもらおう・・・。
「ではまず、その人の名前や特徴と、今住んでいる場所、その人の今の写真を教えてもらいましょうか。」
「いや、ですからその今いる場所なんかがわからないから、こうして依頼してるんですけど。」
「・・・コホン。冗談ですよ。では、まず相手のお名前と、写真や特徴がわかるものとかがあれば。特に指紋とか髪の毛とか。」
「そんな物使ってどうやって探すんですか。探偵ですよね。警察じゃないですよね。」
「いえ、ですのでそういった事のできる探偵に頼んでですね。」
「いやいやいや、いないから。そんな探偵いないから。ていうか、それじゃあなたに頼んでる意味ないじゃないですか。」
「・・・」
「・・・」
気まずい沈黙。
それにしても、恐ろしく冷静な突っ込みだ。軽くあしらえると思ったのが、甘かった。
「・・・では、まずその人の特長と、今す・・・。」
「現住所はわかりませんからね。子供の頃の写真と、3年前にもらった手紙ならありますが。」
読まれたか。おのれ、西別浩司。
「3年前の手紙、ですか。その手紙に住所の記載はなかったんですか?」
「もちろんありました。その住所は、ここから電車で15分程度の所なので、直接会いにも行きました。ですが・・・。」
「そこには、いらっしゃらなかった?」
「・・・はい。全く違う苗字の方が住んでいました。」
「ふむ・・・。では、その後の手掛かりは特になし・・・ですか。」
「ええ・・・。でも、どうしても会いたいんです。」
うなずく浩司くん。
その目には、しっかりとした会いたいという「意志」が込められていた。
「ちなみになんですが、その方とのご関係は?」
「小学校の時の・・・いわば初恋の人です。名前は、君塚愛子」
ほう。初恋の人に会いたい。男子ならば、誰でもある感情だとは思うが・・・。
「僕は依然、広島に住んでいたんです。ですが、両親の仕事の都合で、小学校3年の時にこっちに引っ越しました。当時、方言バリバリだったことや、人付き合いが少し苦手だったこともあって、よくいじめられていたんです。そんな時、初めて僕にできた友達。それが、彼女なんです。」
どこか遠い目をしている浩司くん。自分の話で過去を思い出している、といった風だ。
「その後、中学に入る直前にまた同じ理由で引っ越して、今度は長野に移りました。引っ越す直前、彼女に告白しようとしたんですが・・・結局勇気が出ず、文通の約束だけをして、その後ずっと手紙でのやり取りをしていました。」
となると引っ越したのはおよそ11年前。その頃なら携帯もあるのに手紙とは・・・。中々趣はあるが、奥手すぎないか浩司くん・・・。
そんな失礼なことを思ったが、頭の隅に引っ込めることにした。
「では、今では文通はしていないんですか?」
「ええ・・・。この三年前の手紙を最後に、こちらから手紙を送っても返事がなく・・・。最初は何か嫌われることをしたのかと思いましたが、それよりも前にもらった手紙の中に、気になる部分が一つ、あったんです。」
「気になる部分?その手紙は、拝見させて頂いても?」
「大丈夫です。この手紙のちょうど下から・・・。あった!ここの部分です。」
女の子らしいかわいらしいキャラクター物の便箋。その下から数行目の所に、こう書かれていた。
―――お父さんもお母さんも、どうしてこう言い争ってばかりなんだろう。私には興味がないみたい。話も聞いてくれない。私はどうして生きているんだろう、って考えちゃう。でも浩ちゃんとのこの手紙だけが、唯一の生きがい。これがなかったら、私、死んじゃってたかもね☆(笑)―――
おおう・・・。またずいぶんとヘビーな内容だ。しかし、この子もわかりやすい矢印を出してるじゃないか・・・。最近の若者は、ずいぶんと大胆だな。
「その時はただの冗談だと思っていたのですが、普段の手紙のやり取りじゃ、こんなこと書かない人だったんです。なのに、こういうことを書いたってことは、何か悩んでるんじゃないか、何か困っているんじゃないかって思って・・・。それで、こっちの大学を受けることにしたんです。」
それならアドレスの交換くらいすればいいのに・・・。
口にしかけたが、何とか喉の奥にしまいこむ。ここまで奥手だと、こちらとしてもだんだん面倒くさくなってくるな。
ただ、確かにかなり家庭環境の事に悩んでいることはわかる。
「なるほど。大体の事情は分かりました。ただ、こう手がかりが少ないと同じても時間がかかってしまいますが、かまいませんか?」
「結構です。とにかく、彼女に会うか、或いは今何をしているのかがわかれば、それで十分です。」
とりあえず、彼の純粋な気持ちはよくわかった。
アドレスを交換できないほど奥手ではあるが、彼女を真剣に思ってのことだというのは伝わってきた。
こうなれば、やはり探してみるしかない。
「ではまず、彼女の足跡をたどるために、小学校からあたってみます。学校名は?」
「ここから少し離れたところにある、甘野小学校です。」
なんんと。私の母校じゃないか!同じ小学校だったとは。
つまり彼は、私の後輩ということになる。後輩の頼みであれば、断るわけにはいかないな。
「あの・・・。一つよろしいですか?」
そんなことを考えていると、少し申し訳なさそうな感じで、浩司君が私に問いかけてきた。
「まさか小学校にも、その格好で行かれるんですか?」
「え?ええ、もちろん。これが仕事着ですから。」
「・・・。」
浩司くんの顔に、脂汗をびっしり浮かんできた。
何が問題なのだろうか?
「・・・わかりました。なら、小学校の方には僕から連絡を入れておきます。でないと入れないかもしれませんから。」
「そうですか?そうしてもらえると大変ありがたいですね。いやーしかし、アポがないと入れないなんて、最近の小学校はセキュリティがしっかりしていますね。」
「そういう問題じゃありませんよ・・・。」
つぶやいた浩司くんの顔が、どこか呆れているように見えたが、まぁ気のせいだろう。
翌日の日曜日、私は早速彼の通っていた小学校、「甘野小学校」を訪れた。
守衛さんがいるのかと思いきや、単に門が閉まっているだけだったが、浩司くんのお蔭ですんなりと入ることができた。
私が通っていたころと比べ、内装や外装が少しきれいになってはいるが、建物の間取りや校庭の雰囲気は変わっていなかった。
懐かしい。あそこの校庭でよく遊んだり、中庭にあるウサギ小屋からウサギを逃がしてしまった時も、この校庭を探し回ったっけ・・・。
そんな懐かしさを感じながら進み、応接室まで案内された。
「・・・こちらで少々お待ちください。」
対応してくれた用務員らしきおじいさんは、私を珍しい物を見るような目でジロジロと見てきたが、気にしないことにした。
浩司くんの話によれば、今の校長はもともと、この学校の教員だったそうだが…。
「お待たせいたしました。」
そうこうしているうちに、一人の女性が入ってきた。年齢は、50代後半といったところか。
「この小学校の学校長、犬飼と申します。」
眼鏡の奥の、少し厳しいまなざしがこちらをとらえている。
この感覚・・・。まるで悪いことをして校長室に呼ばれた気分だ。
「お忙しいところ、恐縮です。私、私立探偵の安町と申します。早速ですが、この学校の卒業生について、お伺いしたいことがございます。」
なんとなく、早くここから帰りたい。
そんな気分に駆られた私は、浩司くんから聞いたこと、君塚愛子なる人物の卒業後の足跡を調べていることを話した。
「・・・といった経緯でして。できれば、卒業後の進路などを教えて頂ければ、と。」
「なるほど。大体の事情はわかりました。」
年相応の凛とした声で、彼女は答えた。なんだろう。この人、少し苦手・・・。
「ですが、ご期待には添えかねます。」
そして、帰ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「!。それは、なぜですか?」
「まず、あなたが本当に探偵なのかどうかを、疑っております。このような格好の探偵さんなど、私は見たことがありません。それに私は当時、その学年の担任をしておりましたが、西別という子も君塚という子も、記憶にはございません。」
教師特有なのだろうか、厳しさのこもった話し方だ。まるで反論の余地を許さない、といった話し方だ。
「ですが、当時の名簿を見て頂ければ西別さんも君塚さんもいらっしゃるのではないですか?」
「もちろん確認しました。君塚という子はいましたが、西別という方のお名前はありませんでした。転校生、ということでしたね?もしかしたら、当時の手続きの不備か何かで漏れてしまっていた可能性がありますが。」
なんということだろう。こうなっては手も足も出ない。
だが、ここで諦めたら探偵の名折れ。ここは毅然とした態度で、しっかりと説得しないと。
そう思い直し、そのまま説得を続けた。
彼が本当にこの学校にいたこと、私自身もこの学校の卒業生であること(これは話さなくてよかったか?)、事情は分からないが、連絡が取れないというのは異常事態であること。
そして、説得を続けて1時間ほどたった時。
「・・・そこまでおっしゃるのであれば仕方ありません。どこの中学校に進学したかくらいならお教えしましょう。」
とうとう根負けしてくれたようだ。なんとか進学先の中学校の住所と電話番号、それにアポイントも取ってくれることになった。
それから犬飼校長にお礼を言って、応接室を出た。
それにしても、ずいぶんと厳しい人だったな・・・。あれじゃ結婚なんかしてないだろうな。
そんな少し失礼なことを思いながら、昇降口を出た。すると・・・。
「・・・あんた、もしかして安町くんかい?安町太平くん?」
さっきの用務員らしきおじいさんが声をかけてきた。
「はい、安町ですが・・・。どこかでお会いしましたか?」
思わず怪訝な態度で答えてしまったが、どういうわけか相手の老人はとてもうれしそうな顔をしてきた。
「やっぱり安町くんか!私だよ、君が通っていたころの校長の!」
「・・・!。余部校長!?」
これには驚いた。私が通っていたころの校長、余部校長先生だったのだ。
「いやー!一目見たときからなんとなくそんな気はしてたんだよ。」
近くの自販機で買ってきたコーヒーを飲みながら、余部校長は嬉しそうに話してくれた。
当時から身長の低い目な人だったが、70代になってさらに小さくなったのか、私が大きくなったためか、さらに小さくなったように感じた。
・・・年を取った証拠か。
「それにしても、先生はよく私の事を覚えていてくれましたね。」
さすがに『校長』と呼ぶわけにいかないのが、なんだか時間の経過を感じさせた。
「よく覚えているよ。私が在任中に、最も多く校長室に来た子だからね、いい意味でも悪い意味でも、ね。」
少しいたずらっぽい顔をしながら話してくれる余部先生。
「確かに、当時はとんでもない悪ガキでしたからね。」
「ウサギの事は覚えているかい?」
「ええ、あの時もらった飴とゲンコツの味は、今でも忘れられませんよ。」
「ははははは!そうかそうか。あの時の君は、泣きながら飴を頬張っていたからな。」
そこからしばらくは、懐かしい思い出話と昔話に花が咲いた。
といっても、窓を割ったことや、校庭の木に登って降りれなくなった話や、校長室で一緒に給食を食べた話など、ほとんど私の話だったが。
余部先生はというと、10年ほど前に退職後、どうしてもウサギの世話や学校の事が気にかかって、用務員として残ることにしたのだとか。
「そういえば、安町君は今は何をしているんだい?昔から正義のヒーローになりたいと言ってたが。噂ではその夢を叶えたと、卒業生から聞いたんだけどな。」
「・・・今は理由あって探偵と、マンションの管理人をしています。」
「ほう、そうか。色々あったんだねぇ・・・。そういえば、ご家族のことも聞いたよ。非常に残念だったね・・・。っと、少し無神経だったかな。」
「いえ・・・。もう何年も前の話ですから。」
少しびくっとしてしまったのが、自分でもよくわかった。
家族・・・。久しぶりにその話をした気がした。
「まさか、そのために探偵に?」
「いえいえ。これは単なる気まぐれですよ、先生。それにしても、犬飼校長は怖い人ですねー。」
あえて明るく、話を変えてみた。わざとらしい気もしたが、この先生にはあまり心配をかけたくなかったのだ。
「ん・・・ああ、あの人ね。私が退官してすぐに着任してもらったんだよ。優秀な教師だったからね。ただ、彼女も少し、変わってしまった気がするよ・・・。」
はぁ、っと少しため息交じりに話す余部先生。
「?。何かあったんですか?」
ちょっとした興味から、なんとなく尋ね返してしまった。
「あまり人に言うもんじゃないかもしれないが・・・。
彼女はね、もともと夫婦で教師をしていたそうなんだが、旦那と別れてしまったそうでね。その後自分が親権を取った、たった一人のお子さんも、事故で亡くしたそうだ・・・。」
「事故で・・・。」
「ああ。不幸な事故だったと聞いているよ。それ以来、子供たちにも少し冷たくなってしまってね。無理もないとは思うが・・・。」
そうか・・・。それで、あんな冷徹ば・・・もとい、厳格な人になってしまったんだろうか。
「それで西別くんのことも、君塚さんのことも覚えていないって仰ってたんですね・・・。」
「西別くん?西別浩司くん?」
「ええ。実は彼の依頼で、ここに来ました。」
「なるほどねぇ。」
「先生は西別くんの事をご存じなのですか?」
「広島から転向で来た子だろ?だったら、犬飼校長が覚えていないはずはないんだけどなぁ・・・。」
一瞬、狐につままれたような気がした。
なんだって?覚えていないはずかない?
「ですが、校長ははっきりと覚えていないって・・・。」
「その君塚って子は私も知らないが、西別くんの事ならよく覚えているよ。
方言のせいで周りの子から馬鹿にされたり、虐められていたこともあったよ。けど、それを見かねた当時の犬飼校長が、職員会議で議題にしたほどだったんだ。その時、確か自分の子供も紹介していたはずだよ。この学校に通っていたらしいからね。」
どうなっているのだろう。もう何が何だか分からなくなってきた。
つまりは、彼女は嘘をついている。もしくは、本当に忘れてしまったのか・・・。
いや、そこまで親身になった相手なら、覚えていないはずがない。
現に、直接かかわったわけでもない余部先生が覚えているんだ。
でも、一体何故・・・。
とにかく、中学校へ行ってみよう。
「先生、色々とありがとうございます。久しぶりに話せて、とても楽しかった。」
「いやいや。私もだよ。また遊びにおいで。」
私は深々と頭を下げ、礼を言って立ち去ろうとした。
「ああ、安町くん。」
立ち去ろうとしたが、余部先生が呼び止めてきてくれた。
「何があったかわからないけど、君はいつも一人で頑張りすぎる癖がある。」
「そう・・・ですか?」
「そうとも。ウサギの時も、一人で捕まえようとしていただろう?でもそんなことをしているから、君はそんな疲れた目をしているんだよ。」
「・・・。」
何故だか返事をする、言い返す言葉も出てこなかった。
「だから、迷った時や困った時は、一度立ち止まってみるといい。そして誰かに頼ったり、最初に立ち返って考えてみるんだ。いいね?」
そう言って、余部先生は胸ポケットから飴玉を取り出して、優しい顔で私に差し出した。
その飴は、昔私がもらったのと同じ飴だった。
「・・・はい、先生。それでは。」
飴玉を受け取った私は、もう一度頭を下げ、先生に別れを告げた。
その帰り道、飴玉をなめながら先生の言葉が頭から離れなかった。
自分は、間違っているのだろうか。そんな思いまで出てきた。
もしかしたら、先生の言うように少し疲れているのかも知れない。
口の中でゆっくりと溶けていく飴玉の味は、当時と同じで甘酸っぱくておいしかった。
―――――――――――――――――続く。