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吸血鬼ちゅるる  作者: 野良にゃお
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第五幕)自然と言えば自然

第五幕)自然と言えば自然


 月と星が綺麗にプリントされたような夜空を上に、清水坂とカットベルは廃校へと向かっていた。時折、街灯の下に歩み出るカットベルは、そう。まるで煌びやかなスポットライトに照らされた踊り子のようであった。


「そもそも怪異と蔑まれている者だけが特殊なのではなく、人間にも同じように備わっていたのです。それはきっと、今に至ってもそう。外見は同じような形なのですから、枝の何処かから袂を分けただけで、根や幹は同じなのです」


 そう話して微笑むカットベルであったが、その表情は寂しげだった。


「・・・・」

 その一方で清水坂は、それを静かに聞いていた。しかし、その心は激しく揺れている。スフィアが言っていた事を直接カットベルに訊くという事に逡巡していたからである。出逢ってからまだ数日しか経ってはいないものの、その間に非現実的な濃密さを幾つも体感してきた。しかし、カットベルの事を知らなすぎる。自身で感じるカットベルと、カットベル自身、そして、教団の者であるスフィアから聞かされたカットベル。この三つがそれぞれ自己主張を繰り返しながら陣地取りをしているのだ。心の中で、眼前で、脳内で。皮肉にも、信じると決めた分だけ余計に。


「もしも宜しければ、アタシが知っている吸血族と人間の歴史、お話ししましょうか?」

 街灯はやがて無くなり、アスファルトも既にもう無くなった暗闇の丘を歩きながら、カットベルは静かに尋ねた。


「うん。聞きたい」

 カットベルの少し後ろ、カットベルを複雑な表情で追いながら歩く清水坂は、そう言って再び横に並んだ。


「では・・・・太古の昔、吸血族に備わっている能力は人間にもあり、この2種は共存していたそうです。ですが、人間は次第に働くという事を・・・・いいえ、動くという事すら嫌がるようになりました。けれど、富を際限なく欲し、あらゆる権力を望み続けました。そうして人間は、少ない労力のみで多大な労働力を生む事を考え、優劣による主従を目論み、飽き足らず機器を作り上げ、稼働させ、遂には強大なチカラを放つ武器を発明するまでになりました。ですがそれは、言うなれば諸刃の剣です。言い換えるなら、それはジョーカー。果てなき欲望は果てなき争いを生み、誰かのモノになるくらいならと妬みあい、恨みあい、憎みあい、その果てにジョーカーを使ってしまいました。それによって、あらゆる生物が絶滅の危機に瀕してしまったそうです」


 廃校の門の跡を中へと進み、グラウンド跡へと歩みながら、カットベルは清水坂に話して聞かせる。


「吸血族も人間族も、特殊な者は廃絶しようとします。それが例え善であろうとも、です。これは極論なのですが、いつの時代も多数こそが正義であり、常識であるが故に、悪も善となります。やり直さなければならなかった生き残った者達が一見だとしても平和にまとまる為には、それが一番簡単で確実な方法なのでしょう。ですが、それによって少数派は悉く省かれてしまいます。特に能力は脅威ですから。殆どの者達はこの時、少ない労力で多大な成果を生む機器に頼っていたが為に、備わっていた能力を忘れ、失っていました。使う必要が無かったから。使うと疲れるから。使わないで済む事を覚えたから、です。やがて、教える者がいなくなり、学ぶ者もいなくなり、使える者がいなくなる。見つけて使用した者が零から創造する者、それを学んで広く使えるように試みた者が一から生産する者、それを更に誰もが使えるように工夫した者が十に改良する者だとするならば、創造する者がいなければ生産する者は生まれませんし、工夫する者もまた生まれません。よって、使える者は少数派となる。機器の方はこの逆ですが、能力の方はこうして・・・・これも、極論かもしれませんけれど。そのようにして、少数派であった殆どの吸血族と少数の人間は廃絶され、長い時間を別々に進化していったんです」


 そこまで話すと、カットベルは早足で清水坂の先に二歩三歩と歩み出て、ゆっくりと振り返った。


「ですから、アタシに備わっている能力は、人間と言う種族が欲によって捨てた能力なのです。若しくは、持っているけれど使えなくなってしまった能力なのですよ・・・・と、父殿から聞きましたです」


 そして、そう締めくくると微笑み、清水坂を見つめたままグラウンドの中央あたりへと進み始めた。


「・・・・」

 一方、グラウンドの端で立ち止まっていた清水坂は、何も言わずその姿を見つめ続ける。


「人間に戻りたいというお気持ち、変わりませんか?」

 カットベルが静かに問う。


「・・・・うん。変わらない」でも、掟って何なの?


 清水坂が、ぽつり。答える。


「そうですか。では、その方法はご存知ですか?」教団の事ですから、きっと・・・・。


 カットベルが更に問う。


「うん。さっき、聞いた」聞いたよ。けれど、判らない事だらけだよ。


 清水坂が正直に言う。


「そうですか。では、他にも何か聞きましたですか?」やっぱり、そうですか・・・・。


「うん・・・・」たしかに聞かされたけど。


「色々と?」聞いてしまいましたか。


「それは・・・・」・・・・うん。


「アタシが・・・・アイツは、人間を好んで食べる悪魔だ、とか?」そう、ですよね?


「・・・・」でもさ、でも。


「そのように聞いたのですね?」それならば、都合が良いかもしれないのです。


「でも! そ、そんなのウソだろ?」ただの噂話の類いなんだろ?


「何がですか?」終わり、なのですよ。


「だから、

「人間」

 は、この世で一番美味しい食べ物なのです」


 カットベルが、

 清水坂を遮るように言葉を重ねた。


「そん、な・・・・ウソ、だろ?」


 カットベルに肯定され、

 清水坂は 愕然とする。


「バレては仕方がないですね」

 その表情を判りやすいくらいに冷酷なそれへと変えたカットベルは、同じく冷たい声でそう吐き捨てた。


「ウソだろ・・・・そんなの、ただの」

 カットベルに肯定され、清水坂は思考がストップする。


「人間なんて、ただの食糧なのです」

 カットベルはその姿勢を崩さず、更に冷たく言い放つ。


 そして。


「それがどうかしたのですか?」


 畳みかけるように。


「恨まれるべきなのは、アタシ達を迫害した人間共の方なのです。アタシに食べられても、文句は言えないのでは?」


 憎らしげに。


「この世は、えっと・・・・そう! 弱肉強食、の、世界なのですよ! ただの食糧でしかない人間に戻りたいだなんて、大笑いなのです!」


 挑発するように。


「先程、人間に戻る方法を知っていると仰ってましたよね? そんなにただの食糧に戻りたいのでしたら、このアタシを屍と化してみてはどうですか!」


 覚悟を言葉に乗せた。


「ただの・・・・食糧だと?」

 カットベルの誘導に脳と心をかき乱された清水坂は、次第に我を忘れ、怒りを帯び、声が震えた。まるで、誰かさんのように・・・・清水坂は、気づく事が出来なかった。そして、信じていたのに騙されたという憤りもそこにはあった。


「ほら、早くかかってきなさい! 未来の食糧さん!」コータロー、さようなら。


「・・・・っ」ホントの、事、だったなんて。そんな、そんな・・・・そんな!


 が、しかし。


 どくん。


 それでも。


 どくん。


 清水坂は躊躇する。


「コータロー・・・・真実を知った今、アナタがする事は1つ。それが何か、アナタは判っている筈ですよね?」楽しかったですよ。


「うく・・・・」クソっ、どうしてだよ。


「どうしたのです?」幸せ、でした。


「・・・・っ!」どうしてなんだよ!


「もう一度、言いましょうか?」だからこそ、これでイイのです。


「どうして!」こんな事になるんだよぉー!


「人間なんてただ」


 ぼこっっ!!

 がこんっ!!


「のかっ、やぐっ!!」

 言い終わらないうちにカットベルは、強烈な勢いをもって後ろに弾き飛ばされた。猛然と駆け出した清水坂に、おもいきり殴られたのだ。


 がらばがらがららざざざぁあああー!


「うううぅ・・・・っ」

 ものすごい勢いで飛ばされてそのまま、廃校の校舎跡の壁に激しく衝突したカットベルは、その衝撃で崩壊した一階と二階部分の教室跡が二つずつ、計四つ分の瓦礫と塵の中に埋もれた。


「凄いな・・・・」

 自身に宿る力の凄さをあらためて実感した清水坂は、埋もれたカットベルに向かってゆっくりと歩を進めた。カットベルの血を宿す者だと認識した途端に、スフィアが激しく恐れた理由が判ったような気がした。


「これなら」倒せる、かも・・・・いいや、教団の言うとおりだと判った今、もはや倒すしかない。もう、自分だけの問題ではないんだ。倒さなきゃいけないんだ、倒さなきゃ・・・・。


「うぐ。コータロー、殴る蹴るではアタシを倒す事は出来ないですよ」

 瓦礫の中からガラガラと這い出てきたカットベルは、ヨロヨロと立ち上がりながら清水坂にヒントを与えようとした。


「・・・・」

 たしかにそうだと清水坂は思った。カットベルの回復力は吸血族の中でもズバ抜けて高い。銀製の武器で受傷させなければ、与えるダメージは無と同じかもしれない。しかし、銀製の武器なんて所持している筈のない平和の国の清水坂である。どうすれば良いかを思案する。


「コータロー、判らないですか? 首を斬り落とすか血を抜き取ってしまうですよ。このアタシに対してそのような事が可能であるのなら、ですけど」

 清水坂を挑発するという事を忘れないようにしつつ、カットベルは努めてさらりと答えを与え、更には攻撃しやすいように、ふらふら。と、よろめいても見せた。今がそのチャンスだと清水坂に思ってもらう為に。


 どくん。


「んっ?」

 その様子を見て、カットベルが大ダメージを負ってフラフラだと思った清水坂は、そう思った途端に違和感に包まれた。つい先程、思案していたばかりだったからだ。銀製の武器でもないかぎり、ダメージは無と変わらない筈だと。


「コータロー? あう・・・う、そ、そ、そんな! さ、ささ、さっさと殺さないと人間を食べに行ってしまうですよ! にっ、にん、に、人間の心臓は、その、格別ですし!」

 清水坂が躊躇していると感じたカットベルは、自身の演技力の低さも痛感しつつ焦燥した。しかし、このような経験など皆無なのだから仕方がない。


 どくん。


「・・・・」カットベル?


 何故だか慌てているような様子のカットベルを眺めながら、清水坂は徐々に冷静さを取り戻しつつあった。なんだかとても重要な何かを忘れている気がした。


「あうう、あ、あ、そうです! コータローのご家族はみなさん、如何でしょう? 美味しいですか? あ、えっと、美味しそうです! 何処からいただきましょう? 楽しみです!」

 清水坂が訝しがっていると感じたカットベルは、矢継ぎ早にそう言って挑発しようと試みた。


「ぐっ!」

 挑発は簡単に成功した。表情に怒りが戻った清水坂は、カットベルに勢いよく突進し、その勢いのままチカラ強く拳を振り下ろす!


 ばこっっ!


「がうっ!」

 再びもの凄い衝撃をモロに浴びたカットベルは、その衝撃そのままに地面へと叩きつけられた!


 がこんっ!


 それにより、辺りは巻き添えを被って轟音を発しながら完全に崩壊し、校舎跡の約四分の一が瓦礫と塵に変わり果て、盛大に散った。モクモクと煙るその様子を、月が微かに照らす。


 じゃり・・・・がらがらっ。


 がらがらがららっ、じゃり。


「ですから」

 しかし、カットベルは何事もなかったかのように立ち上がり、ぽんぽん。と、埃を払う。


「先程も申しましたですよ?」

 そして、清水坂を睨みつけ、


「このような事を続けていても、アタシを倒す事は出来ないですよ、コータロー」

 言いながらトントンと跳ねるように後退した。


「でも、さ。ダメージを蓄積させでもしなきゃ血を吸う事すら出来ないだろ。それとも、差し出してくれるのか?」

 カットベルの言葉を受けた清水坂は、そう返しながら接近する。


「そ、そのような事!」

 なるほど、です・・・・と、カットベルは思った。例えば血を吸うにしても抵抗不可能な状態にまでする必要があると考えるのは、清水坂の立場からすれば当然と言えば当然の事であった。カットベルが殺されようと思っているなんて、清水坂は知らないのだから。


「でしたら」

 かと言って、はい、どうぞ! と、命を差し出そうとしても躊躇するだけであろう。それどころか、殺さないかもしれない。清水坂なら、吸血鬼のままでいると言い出しかねない。そうすれば、カットベルはそれに甘えてしまう。本当は共に生きてほしいのだから。


「もう少しだけ」

 しかし、清水坂の本心は違うのだ。


「ほんの少しだけ」

 ならばやはり、するべき事はヒトツだけだ。


「遊んであげる、ですよ!」コータローが躊躇なくアタシを殺すには、怒りのボルテージを更に上げて尚且つ、それをキープさせなければなりません。


 そう思考したカットベルは、清水坂がそう考えるように動こうと決めた。


「さぁ、早くかかってくるですよ!」

「・・・・っ!」

 カットベルの挑発を合図に、清水坂が跳びかかった!


 そして、


 ぶんっ!

 腕を、


 ぶんっ!

 脚を、


 ぶんっ!

 力任せに振り回す!


 その度に、


 がこっ!

 壁が、


 どかっ!

 天井が、


 ばこっ!

 床が、


 ばきっ!

 壊れ、抜け、割れる。


「んぐっ!」

「くうっ!」


 何処に当たるのも構わず、清水坂は前進しながら繰り出し続け、それを後退しながらカットベルが交わし続ける。


「くそっ!」どうしてなんだよカットベルのバカヤロぉー・・・・優しいと思っていたのに!


 どくん。


「・・・・っ!」人間に戻りたいというお気持ち、よく判るですよ。


 どごっ!!


「ふぐっ!」どうしてだよぉー!


 どくん。


「あぐっ!」怪物と蔑まれるような存在になんて、なりたくないですよね。


 がしゅ!!


「・・・・っ!」信じて、いたのに・・・・。


 どくん。


「・・・・!」コータロぉー、大好きです。


 めこっ!!


「くっ!」信じてたのに!


 どく、ん。


「あくっ!」ですから喜んで、命を捧げるです。


 ばきっ!!


「・・・・っ!」好きだったのに!


 ど、くん。


「あぐっ!」父殿、母様、これでイイですよね?


 こんなにも、


 大好きなのに。

 大好きだから。


 ど、く・・・・ん。


 ・・・・。


「あうっ?!」

 やがて、頃合いを窺っていたカットベルが、何かに足をとられたフリをしてよろめいた。


 ばこぉ!

 清水坂の拳がカットベルを捕らえた。


「うくっ!」

 カットベルが激しく倒れ込む。


 ばこん!


「う、うぅ・・・・」

 そしてそのまま、横たわるだけとなった。


「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ」

 カットベルを足元に、清水坂は呼吸を整える。その一呼吸毎に、冷静さを取り戻していく。


 すると、再びの違和感。


「ぜぇ、はぁ・・・・」

 しかし、違和感の理由が判らない。判らないまま、カットベルを抱え起こす。


「くうっ。こ、この、アタシが・・・・」

 清水坂に優しく抱き起こされたカットベルは、努めて憎々しく睨みつけつつ、弱々しく呟いた。


「カットベル・・・・」

 違和感が膨らむ清水坂は、殺害するという行為ではなくカットベルを殺すという事に躊躇した。


「この期に及んで、何を迷っているですか?」

 清水坂の躊躇が見てとれたカットベルは、


「そのつもりでこうしたのでは?」

 迷いを消してあげる為に、


「人間に戻りたいですよね?」

 促すように、


「でしたら、さっさと殺すですよ」

 そう告げた。


「・・・・そう、だね」

 カットベルに誘導されて覚悟を決めた清水坂は、カットベルを抱き寄せ、その白い首に顔を近づけていった。


「ん・・・・っ」

 カットベルはキュッと目を閉じた。すると、暗闇となったその視界に、清水坂との想い出が浮かび上がる。まるでロミオ&ジュリエット物語のように、それは僅か数日の事ではあったが、そのどれもが笑顔であった。初めてであった。だから思った。だから気づいた。だから知った。だから判った。清水坂を想う恋という感情は、父と母を想う気持ちと少し似ているけれど、大きく違うとも言える感情であった。清水坂にずっと愛されたままいたかったと、心の底から思う。


 どうしようもなく。

 そのように思った。


 カットベルが清水坂を見たのは、今この時よりも約一カ月程前の事。とても寒い夜だった。強い雨に打たれて悲痛な声で叫ぶ捨てられていた仔猫が、清水坂に優しく抱きかかえられたその途端、幸せそうな表情に変わった。


 羨ましいと強く感じた。

 そうされたいと思った。

 そうなりたいと願った。


 あの人ならば、こんなアタシにでもあんなふうに優しく、温めてくれるでしょうか? そう羨んだ僅か後、それは叶う。ほんの僅かの間だったのだけれど、間違いなく幸せだった。


「んっ、く」

 ゆっくりと目を開けたカットベルが、首元に顔を寄せる清水坂をチラリと見て満足そうに微笑んだ事を、清水坂は知らない。そして、寂しそうな表情で再び目を閉じた事も、清水坂は知らない。


「・・・・」

 知らないまま、気づかないまま、気づけないままに、清水坂はトドメをさそうと口を開け、がぶりと噛みつき、溢れ出る鮮血を吸った。その途端、身体の疲労回復度合いが勢いを増しているのが判った。


「はう、うっ、ああっ、あっ、あんっ、はんっ・・・・」

 小刻みに身体を震わせながら悶絶の表情を晒すカットベルは、徐々に確実に力を削がれていき、そして遂には、ぐらり。後方へと倒れ込んでいく。


「・・・・?」

 カットベルの白く柔らかな首元から顔を離した清水坂は、やはり違和感を抱きつつ、倒れゆくカットベルを抱きしめたまま一緒に、前へと倒れていった。そして、カットベルに馬乗りの状態になるので、体重を乗せないように心掛ける。


「ど、う・・・・した、です、か?」


「カットベル・・・・」まだそれ程には血を失ってはいない筈なのに、カットベルはまるで瀕死状態のように弱っているように見える。その前の攻撃にしても、たぶんもうそれ程のダメージはないだろう筈なのに、だ。それはつまり・・・・まだ、抗える筈。と、いう事。それなのに、何故?


 どくん。

 どくん。


「早く、殺すですよぉ・・・・」

 カットベルは精一杯に急かす。


「まさか・・・・ワザと、か?」カットベルが俺なんかに負ける?


 どくん。


 こんなにも、容易く?

 こんなにも呆気なく?


 どくん。


「あううっ・・・・アタシは、闇、夜の、悪魔、なの、ですよ? そんなワケ、そのようなワケがないです! 何を、言ってるですか?!」


「そう、だよな・・・・」闇夜の悪魔と恐れられている程に強いカットベルが、こんな簡単に負ける筈がないよな。


 ワザとでもないかぎり。


「そうですお・・・・そんなワケ」

「カットベル、どうしてウソを?」


「えっ。な、何を今更、急、に・・・・」

「人間は食糧だなんて、ウソなんだろ?」


「はぐっ、う、ち、ちち、ちちち、違」

「オレを怒らせる為に言ったんだろ?」


「いっま・・・・」

「どうしてなの?」


「・・・・っ」

「どうして?」


 僅かな時間ではあったが、カットベルとすごした清水坂にとっては、言い伝えられてきた事や教団からの言葉は違和感に満ち満ちていた。そんな中でのカットベルの挑発・・・・いいや、優しい嘘に誘導されて我を忘れた清水坂ではあったが、冷静さを取り戻した今、カットベルの真意は違う所にあると漸く気づいた。


「ウソなどではないです!」


「人間ってさ、菜食主義とか、獣肉禁止とか、個人的だったり宗教的だったりの理由で様々な食文化があるんだよ」


「それが、どうかしたですか?」

 清水坂の意図が計りかねたカットベルは、戸惑いながら続きを促した。


「うん。それでね、それなら吸血族はどうなのかなってのをさ、このまま試してみようかなぁー。って、さ」

 清水坂は覚悟を決めた。何の躊躇もなかった。


「えっ」コータロー?!


「どう思う?」


「そ、それは、ダメです!」

 清水坂の意図が判ったカットベルは、心の中にどうしようもないくらいの嬉しさを感じた。しかし、そう言って止めようとした。


「カットベルは、もう人間を襲わない。あ、襲われたら仕方ないけどね。で、どうしても血が飲みたいって時は、オレのを飲めばイイ。それでどう?」

 清水坂はそう提案してみる。


「そ、そそ、それは、あうう、ダメです!」


「人間が牛や豚や鶏や魚を殺して食べるのはイイのに、吸血族が人間を食べるのはダメなのか? 密林で虫を食べるのは野蛮で、綺麗なレストランならお洒落なのか? 自分のモノサシだけで身勝手に他者の真実を決めつけ、判ったような顔してさ、そのくせ違うと、言ってくれなきゃ判んないとかって平然と逃げたり、自分が正しいと捻じ曲げたり・・・・そういうあの教団みたいなヤツが居るから偏見が生まれ、だからいつまでたっても争いが消えないんだよ! なぁ、カットベル答えてくれ。ホントはさ、人間を食べるなんてウソなんだろ?」


 清水坂は、感情を爆発させた。

 カットベルの真意を知る為に。


「アタシは人間が大好物です!」このままでは、甘えてしまうですよぉ・・・・。


 カットベルは、清水坂から視線を逸らして叫んだ。


「ウソだ!」俺はそれを信じないよ。


 清水坂は、カットベルの顔をグイッと自身に向けて叫ぶ。


「はうう、コータロぉー・・・・」

 カットベルは途端に見惚れた。清水坂の事が心の底から好きなんだと、心の底から感じた。しかしだからこそ、死ぬ事に迷いはなかった。


「ですがコータローは、人間に戻りたいですよね?」

 愛しい清水坂を見つめながら、優しいカットベルは、ぽつり。と、訊く。


「それ、変更するよ」

 愛しいカットベルを見つめながら、優しい清水坂はさらりと返す。


「な、何をそのような」


「カットベルはこの先、人間を食べるのを諦める。オレはこのまま、人間に戻るのを諦める。どう? フェアな契約だと思うけど」

 清水坂は、最後の誘導を試みる。


「アタシは人間を食べたりなんてしないです! ですから全く、フェアではないですよ!」

 カットベルはその誘導に気づかない。


「やっぱりウソだったんだ」

「えっ・・・・あ、あうう」


 清水坂の誘導に気づいたカットベルは、自身が発した言葉を頭の中で反復させながら激しく動揺する。


「殺されようとしたの?」答えてよ、カットベル。


「そ、それは・・・・」コータロぉー。


「お願いだから、正直に答えてよ」教えてくれよ、カットベル。


「・・・・はい」甘えても、イイのですか?


「オレが人間に戻る為にどうしてカットベルが死ななきゃならないのか、冷静に考えてみなくても意味が判んないんだよ」

 清水坂が投げかける。


「アタシの血がコータローの体内で精製されるワケではないですから、そのままでいればコータローの血と喧嘩を、えっと・・・・拒絶反応を見せるようになるです。ですが、コータローの場合は殆どがアタシの血です。吸血族の血は強いらしいので、本来のコータローの血は精製されてもすぐにアタシの血に呑み込まれてしまう筈です。最初の内は・・・・なのですけど。呑み込む度に徐々に薄まっていき、きっといつかコータローの血とアタシの血が喧嘩をしてしまいますから、取り除くのが良いワケで、それがあの教団なら可能だと聞きました。アタシは掟に従って死ななければなりませんが、コータローは優しいですから正直にそれを告げると人間に戻る事を我慢してしまうかもしれません。ですから・・・・」

 カットベルが答える。


「じゃあ、スフィアさ・・・・あの教団ってヤツが言う方法は本当なの?」


「それは、アタシにも判りません。ですが、あの教団なら出来るのではないかと思って、ですから・・・」


「じゃあ、掟で死ぬの?」


「愛する者が吸血族になる事を望まなかった場合、死を持って償うのが掟なのです」


「でも、オレの場合は状況が」


「一緒なのです。アタシはコータローを愛しておりますから」


「でも、そんな掟・・・・」わざわざ守らなくても・・・・。


「勿論、守らない者もいるですよ。ですが、コータローの望みですから、アタシはどんな事でもするです」本望ですよ。


「いやその」死んでほしいとは少しも思ってないんだけど。


「ですから、殺してください」


「だから、変更すると言った筈だよ?」俺なんかが役に立てるのか自信ないけどね。


「コータロー・・・・で、ですが、怪物と蔑まれるですよ? 怪物ですよ? そんなのイヤでしよね? だから人間に」イイのですか? ホントにそれで、イイのですか?


「イイよ。その怪物ってヤツでも。だから、共に生きよう」やっぱ俺、惚れちゃっているみたいです。


「はうう・・・・あくっ、で、ですから!」このまま甘えてしまいそうです・・・。


「認めろ」共に生きよう。


「認めないです」大好きです。


「認めろ!」その運命をオレにも背負わせろ!


「認めない!」離れたくありません。


「あのさ、カットベル。正直に答えてほしいと言ったよね?」こういう恋愛もアリだと思うよ。


「あう、う・・・・コータローは、おバカさんなのですね」嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、たまらないです。


「たしかに利口じゃないかもなぁー。あ、バカはイヤ?」


「え、あ、イヤじゃないです! あっ、あう、う・・・あくっ、で、アタシ、やっと見つけたと思ったです。コータローが初めてです。ですから、離れてあげないですよ? ずうーっとですよ? イイですか? コータローは優しいですから、きっとアタシを憐れんで、それでそのような優しい言葉を……でも、アタシは」


「好きだよ、カットベル」

「コータロぉー・・・・」


「共に生きていこうよ」

「離れてあげないです」


「よし。カットベル、行こっか」

 清水坂は微笑みながら、カットベルを優しく起こした。


「・・・・はい。コータロー」

 愛する者に愛される喜びを知ったカットベルは、今までの暗闇を振り返った。楽しい事、嬉しい事、少しはあったかもしれない。しかし、幸せだと感じた事はなかった。それはきっと、清水坂が傍にいなかったから。しかしこれからは清水坂が居る。清水坂が傍に居てくれる。だから、こんなにも幸せなのだと思った。


「そう言えば、汚れちゃったね」

「ボロボロなのですよ、えへへ」


「あ、そうだ。これ・・・・」

 清水坂は来ていたパーカーを脱ぐと、


「ほら、着て」

 と、言ってカットベルに着させた。


「コータローの匂いです・・・・」

 そのパーカーの胸の辺りをキュッと掴み、頬ずりしながら、カットベルはそう言って微笑んだ。


「カットベル、ゴメ」

 清水坂が言いかけた。



 その時。



「幸太郎君!」


 少し遠い先の方から、

 スフィアの声がした。



「ふん。なるほど、ね」

 そしてその横に、鋸刃の大剣を持ったひょろりとした体躯の男が、ぽつり。誰にともなく呟いた。


「タイムズ!」

 その男が仇のうちの一名、タイムズ・マネーボルトであるとすぐに判ったカットベルは、その途端に清水坂の前に立ち塞がり、ゆっくりと前進する。


「邪魔しに来たですか?」

 良い雰囲気だったのに・・・・と、いう気持ちがあったのはたしかである。


「それとも」

 しかし、近いと言えば近いその距離まで彼等に気づかなかった自身を、激しく責める気持ちの方が何倍も強かった。


「わざわざ殺されに?」

 清水坂を危険に晒す事態に繋がるミスだからだ。


「スフィアさん・・・・」

 その横で清水坂は、スフィアを見つめながら後を追う。



 かたや、ボロボロの校門跡。


「言われたとおりに動けよ」

 ぼそっと告げる。

「はい・・・・タイムズ様」

 力無く受ける。



 かたや、ボコボコの校舎跡。


「あの男はアタシの仇です」

 怒りに震える。

「アイツが、カットベルの・・・・」

 胸の辺りが苦しくなる。



 どくん。



「・・・・」

「・・・・」

 グラウンドを挟んで、視界の中央。



「・・・・」

「・・・・」

 その距離が、徐々に縮まっていく。



 どくん。



「スフィアよ。どうやら誘導には失敗したようだね。まったくオマエは・・・・殺さなければならない数は増えたまま変わらず、ですか」

 細長い身体をブラウンのコートに包むタイムズは、そう言うと大仰に天を仰いだ。


「誘導には、ってどうい」

「コータローには触れさせません!」


 既に戦闘モードのカットベルが言葉を重ねてきたので、清水坂は言いかけた言葉を喉の奥に収めた。


「幸太郎君! 私は」


 どかっっっ!


「やうっ!」


「・・・・ふん。アナタも女性らしい表情をするのですね、ネロキアスティル君」

 清水坂に話しかけようとしたスフィアを忌々しそうに蹴り跳ばしたタイムズはそう言って、かけている小さな丸レンズの眼鏡をクイと指で押し上げながら前に歩を進める。


 ずしゃっっっ!


「うっ! うぐぐ・・・・」

 十m程跳ばされて地面に叩きつけられたスフィアが、苦悶の叫びを短く上げた。


「オマエは私の性欲処理さえ満足に出来ない役立たずではあるが、まさか、たかが、たった一人の人間すら誘導できないとは、ね・・・・ククク、次は失敗するなよぉ!」

 清水坂に聞かせるかのように、意地悪くそう言ったタイムズは、そう言って楽しそうに笑った。


「うぐっ、それは・・・・」

 タイムズに辱められたスフィアは、屈辱というよりも羞恥に満ちた表情で、慌てて清水坂を見た。しかし・・・・いいや。だからこそ、言葉は出なかった。


 どくん。


「スフィアさん・・・・」次? 誘導?


 どくん。

 どくん。


 何て酷い男なんだろうと内心では憤りながらも、清水坂は次という言葉に反応した。そして、再びの誘導という言葉にも。


「何て卑劣な・・・・」

 その横で、カットベルも憤っていた。敵であるスフィアに同情まではせずとも、タイムズに対しての憎しみは格段に上がった。


「ふん! あんな噂が本当だったとは・・・・ふむ。其方の青年が、あのネロキアスティル君を見事に射止めた、モノ好きにも程がある清水坂君だね?」

 タイムズは気にも留めず、清水坂を挑発しようとそう言い、そこで歩を止めた。


「・・・・」カットベルの、仇。


 どくん。


「煩い!」

 が、反応したのはカットベルだった。しかも、激しく。清水坂の事となるとすぐに我を忘れてしまうカットベルは、もはや限界といった有り様だった。


「清水坂君、キミには絶対は絶対にないという事を学ばせてもらいましたよ。ククク・・・・愉快にも程がある」

 鋸刃の大剣を持った右腕をゆっくり上げ、右肩にトンッと乗せながら、タイムズは構わず挑発を続けた。


「・・・・」・・・・仇。


 どくん。


「黙れ!」

 今にも跳びかからんばかりに怒り心頭なカットベルは、その怒気そのままに叫んだが、清水坂を守る事が最優先とグッと耐えた。頑張った。辛うじて。なんとか。


「清水坂君はアレだね、うん・・・・趣味が悪いな」

 そう言って、タイムズが嘲笑う。


「殺す!」

 カットベルは遂に、タイムズの挑発に乗った。乗ってしまって飛びかかろうとした。


「・・・・!」次、誘導、仇!


 どくん!


「待って!」

 が、清水坂がグイッと抱き寄せた。内心ではかなり慌てながら。


 ぶぉおおーん!


「「・・・・!」」

 その僅か目と鼻の先を、銀製の刃を持つ槍が通り過ぎていった。跳び出す筈であったカットベルめがけ、予めグラウンドに隠しておいたそれを、スフィアが投げたのだ。


 どぉおおーん!


「「・・・・!」」

 その僅か刹那だけ後、今度は清水坂とカットベルが立っていた場所とタイムズが立っていた場所のほぼ中間にある地面が、爆炎と共に砕け散った。スフイァが予定どおり槍を投げた後、タイムズがこれもまた予定どおり左手に隠し持っていた小さな機器にある起動ボタンを押したのだ。


「幸太郎君、が?!」

 その爆発の刹那ばかり前、清水坂がカットベルを引き寄せたように見えたスフィアは、呆然としながらその後の爆炎を眺めた。


「死ぬがイ」

 仕掛けておいた爆弾を爆破させたタイムズは、爆炎の中を勇躍、瀕死となっている筈のカットベルに向かって跳びかかった。


「ん?」

 が、しかし。カットベルの無事を見て思考がストップした。


 ぱしっ。


 その為に、大剣を振り下ろそうとする動作が遅くなり、カットベルと清水坂はそれぞれ、その腕を簡単に掴んで阻止した。


 どくん。

 どくん。


「自身に視線を集めながらあの女を動かし、コータローを挑発しているように見せて実はアタシを苛立たせ、我を忘れたあたりでアタシを仕留める」


「で、ただの素人でしかないオレはその後で・・・・と、いう作戦ですか?」


 カットベルは凍えさせるような冷たい声で、清水坂は努めて冷静に、それぞれタイムズに浴びせた。


「そん、な、バカな・・・・」

 どうしようもなく大きく膨らんでいく恐怖に怯えながら、タイムズが弱々しい声を出した。更に、震えも帯びていた。


「タイムズ・・・・この場に居たのがアタシだけでしたら、きっとアタシはオマエの策に落ちていたでしょうが・・・・残念でしたね」

 内心で清水坂に感嘆しながら、感謝しながら、カットベルはタイムズにぶつける。


「くそっ・・・・ど、どうやらキミも、立派な賞金首になりそうだ」

 恐怖を隠しながら強がったつもりだったが、タイムズの怯えは身体中に表れていた。


「たまたま、ですよ」

 清水坂は、自身に宿るカットベルの能力に驚いていた。このタイムズとやらはカットベルが睨みつけていたので、自身はスフィアをと横目で観察していると、そのスフィアがまるで位置につくかのようにそそくさと動き、そして構え、投げてきた。しかし、見ていたので容易くかわせた。なので次は・・・・と、意識を移した矢先。爆炎から出てくるタイムズとやらを見た。此方に向かって飛んでくる槍や、轟音と共に爆ぜる土煙りにはかなりの驚きを持ったのだが、それでも対処できたのはきっとカットベルの血によるものなのだろうと、そう思わずにはいられなかった。パニックになったり竦んだりせず、不思議なくらい自然に予想と予測と回避をこなせたのだから。


「まずは、苦しみなさい」

 暫しの後、カットベルはそう宣告し、掴んでいた腕を力任せに握り潰した。


 ぶしゅわっ!


「あぎぃいいいっ!」

タイムズが悲鳴を上げるとほぼ同時に、鋸刃の大剣がボトリと落ちた。僅か以前までは手であった個所と一緒に。


「次に・・・・怯えながら屍となれ」

 カットベルは腕を振り上げながらそう告げ、告げ終えるや否やおもいきり振り回した。


 ぶわしゅっ!


「あわ、っ」

 その手が、タイムズの横っ面を激しく抉ると、その圧力に屈したタイムズの首から上がぐるんと一度、回ってから千切れて跳んだ。怯えた表情で短い悲鳴を上げたタイムズだったが、その表情が表情として見えたのは僅かであった。


 ぐちゃっ!


 その殆どがカットベルの血である清水坂を、タイムズは完全に見誤った。まず、カットベルを挑発する事に拘りすぎた為に、戦闘素人の清水坂でさえ不審を抱くかもしれない言葉を平然と使用してしまい、その結果そのとおり不審に思われた。


 その次に、清水坂がカットベルを引き止めた事によって至近距離で起こる筈であった爆発は至近距離ではなくなり、それによって少し先が見えにくくなった程度の被害となり、視界を遮る事態にはならなかった。


 更に、その殆どがカットベルの血であるという事を知らず、それによって甘く見るというミステイクに至った。


 戦闘経験が皆無といえる状態の清水坂を甘く考えたのは仕方のない事ではあるものの、情報収集を疎かにしてはならない。疎かにすると取り返しのつかない事態を招くという良い見本である。


 策士が策に溺れてしまった末路は、あまりにも滑稽だった。首から上が砕け散り、首から下は崩れ落ち、屍と化して塵となり、風に舞って散っていったのだから。


 どくん。


「父殿、母様・・・・」

 また一名、仇を討ちましたよと報告したカットベルは、清水坂の胸に顔を埋めた。


「良かったね」

 そんなカットベルを優しく受け止めた清水坂は、そう言って微笑んだ。タイムズが人間のそれとはあまりにも違う早さで塵となって消えたからか、殺害現場に居合わせたという感覚にはならず、女性は怒ったらやっぱり怖いという感想だけで収まっていた。カットベルの血というよりも戦闘民族である吸血族の血が色濃く影響しているのだろう。


「コータローのお蔭様です」

 カットベルはそう言って、柔らかな微笑みを返した。


「いぇい!」

 清水坂、ダブルピース。


「い、いぇい!」

 カットベル、真似して同じく。


「良かったね、カットベル♪」

「はい!」


 どく、ん。


「・・・・」やはり、幸太郎君は・・・・。


 戯れる清水坂とカットベルを、スフィアは逃げもせず眺めていた。と、言うよりも見惚れていた。そして、羨ましいという感情もどんどん膨らんでいた。捨て猫を優しく抱く清水坂を見る、あの雨の夜のカットベルのように。


「あっ・・・・」

 それに気づいたカットベルは、清水坂の手を握り、スフィアに向かってゆっくりと歩を進めた。


「・・・・」

 手を握られた清水坂は、そのままカットベルの後に続く。


「あ、あ、あああうう!」

 スフィアは途端に戦慄した。


「い、ひいい、や、やや、あああ・・・・」

 爆炎が弱まった事で屍と化したタイムズが見え、それで慌てて立ちあがったものの、カットベルが羨ましくて見つめてしまっていた自身を心の底から恨んだ。恐怖が死というものを確実に意識させ、ガタガタと怯え、やがてヘナヘナとその場に尻もちをつく。


「ヤヤヤメて・・・・あわわ、わ、ここ、来ないでぇ!」

 カットベルが近づく度にその戦慄は度合いを増し、呼吸すら満足に出来ないくらいに絶望を帯びていく。


 一歩、二歩、三歩。


 ・・・・。


 そして、ぴたり。


「・・・・」

 スフィアの眼前僅かばかりの所でカットベルは止まった。


「こここ殺さ、ないでぇ・・・・」

 恐怖が最高潮に達したスフィアは、身体を縮めるように固くなりながらそう懇願した。


「逃げる時間は充分にあった筈です。それなのに、其処で何をしていたですか?」

 それに対しカットベルは、穏やかに話しかけた。


「・・・・えっ」

 その声色を激しく意外に思いつつ、けれどおそるおそる、スフィアは顔を上げる。


「ですから、何故? と、アナタに訊いています」


「ゴゴゴゴメンなさい!」

 カットベルの声色は依然として柔らかかったのだけれど、スフィアは泣きながら謝った。その心にあった恐怖が萎んでいき、不安へと変わっていく。


「困りましたね・・・・では、落ち着きましたら声をかけてください」

 カットベルはそう言うと、優しく微笑んだ。


「はい・・・・ああの、あの、あの、アリガトウございます」

 スフィアはおもわず、その笑顔に見惚れた。


「コータロー?」

 カットベルは、くるり。清水坂に向き直る。


「ん?」

 カットベルのすぐ後ろで静かに見守っていた清水坂は、カットベルに呼びかけられたのでスフィアから視線を移した。


「先程の爆発音、かなり大きかったですね」

 ごくごく普通の世間話でもするかのように、カットベルは言った。


「うん、そうだね。器物損壊罪で全国指名手配かも・・・・それは、ないかな」


「えっ、あ、はははい・・・・えっと、木仏尊、介在、で・・・・その、全、国士無双、杯なのですよコータロー」


「・・・・」いやあのカットベルさん。


「あの、コータロー?」えっと・・・・違いましたですか?


「うん。そうだよね」知らない言葉だったのかな。


「えっ、あ、はい!」良かったですぅ・・・・当たっていたようなのですよ。


「・・・・」たぶん、あまり使わない言葉だし。


「・・・・?」コータロー・・・・どうして固まるですか?


 ごくごく普通の。一般的な、

 在り来たりな世間話である。


 ・・・・。


「あのぉ、すいません・・・・」

 暫しの沈黙の後、スフィアが申し訳なさそうに話しかけた。


「あ、落ち着いた?」

「落ち着きました?」

 タイミング宜し! と、思いながら清水坂が訊き、その横でカットベルが、くるり。再び向き直る。


「はい。すいませんでした・・・・その、落ち着きました」

 スフィアは再び謝り、こくり。と、一つ頷いた。


「でしたら、好きにして構いません」


「「えっ?」」

 清水坂とスフィアの声が重なる。それならば何故、このように待っていたのだろう? と、いう思いと共に。


「・・・・」天然かな・・・・。


 と、清水坂は思った。

 先程の会話も含めて。


「あああの・・・・伺っても、宜しいでしょうか?」

 対してスフィアは、カットベルに質問の許しを願う。


「はい。何でしょう?」

 カットベルはそれを受け入れた。


「・・・・怒りませんか?」

「それは、内容に因るです」

「でで、で、ででですよね」

「・・・・どうしました?」


「あぐ、い、いえ・・・・あの」


 ごくり。


 と、スフィアは覚悟を決めた。

 本当に訊きたい事だったから。


「ネロキアスティルさん。貴女の事を教団からは、冷酷で無慈悲で残虐な吸血鬼だと、闇夜に蔓延る悪魔だと、そのように聞かされていました。聞かされ続けてきました。そして、貴女のお噂のどれもがそれに値する恐ろしさでした。今夜もたしかに恐ろしく、あのタイムズ様をいとも容易く屍にしてしまえる者などたしかに貴女しかおられないでしょう。しかし、です。幸太郎君に向ける瞳、声、表情、振る舞い、その心は、あまりにも真逆です。そして、私に対するその態度も・・・・まるで別の者のようです。ですから、私には判りません。判らなくなってしまいました。貴女は今より以前のあの時、私を凍えさせるような表情をしておりました。しかし、今はあまりにも違う。違いすぎます。本当の貴女は、どちらなのでしょうか? どうか教えてください! 私は何を信じれば良いのか、判りません・・・・」


 清水坂と接するカットベルが、スフィアには健気な乙女に見えて仕方がなかった。清水坂の背中越しに見たカットベルも、胸が痛くなるくらいに悲しい表情をしていた。清水坂の事が好きで好きでたまらないのだろうと容易に想像できた。そして・・・・今もそうだ。もしかしたら、教団は嘘を? 教団が嘘を? そう感じた。しかし、そうだとすると何故そうするのかが判らない。スフィアは、自身の逡巡に逡巡していた。


「アタシはアタシです。それ以上でも以下でも以外でも意外でもありませんし、有り得ません」

 カットベルはそう言って微笑んだ。


「それは、どういう意」

「ねぇ、スフィアさん」

 今まで見守っていた清水坂が、ここで口を挟んだ。


「幸太郎君・・・・はい」


「誰かが行動を起こしたとする。その時その誰かは、何かを見て、何かを聞き、何かに触れ、考え、思い、感じて行動した筈だよね?」


「えっ、と・・・・はい」


「それなのに、見ただけ、聞いただけ、触れただけ、そのどれかだけでその誰かの真意をさ、こうに違いないとか、そんなワケがないとか、自身のモノサシで勝手に決めつける。自身にとって都合が悪ければ、悪い方へ悪い方へとね。そして例え、その目論みに気づかれてしまったとしても、言ってくれなければわからないと再び誰かのせいにする。自身で勝手に決めつけたのに。だよね?」


「・・・・はい」


「その誰かが対抗しなければやがて真実は失われ、対抗すればすぐに争いが生まれる。その始まりってさ、偏見なのかもしれない。そう思わない?」


 それは、清水坂自身も犯してしまった過ち。


「話し合えば判りあえる事がある。譲りあえる事もある。分かち合える事だってある。謝って済む事だって沢山ある筈だよね? 言うは易し、行うは難しかもしれない。時、既に遅しかもしれない。でも、さ。でも、うん。信じあえたらイイよね? だってさ、笑った顔の方が見たいもん」


 もう二度と間違えないと自身に言い聞かせるように、清水坂は話した。


「アタシの笑顔なんて、誰も見ようとはしてくれませんでした。父殿と母様を除く全ての者はアタシを受け入れてはくれないと、そう思っておりました。期待する事にも疲れ、望む事を忘れ、願う事を諦めかけた時、コータローが助けてくれました。スフィア、でしたね? アナタは・・・・受け入れてくれるのですか?」

 カットベルはそう言って、再び微笑んだ。


「教団は、何故・・・・どうして、貴女を亡き者にしようとしているのですか?」

 スフィアはおそるおそる訊いた。


「父殿の血、母様の血、アタシの血、そしてもしかしたら・・・・アタシのせいでコータローまでをも手に入れようと目論んでいるのかもしれません。最強と言われているこの血を自らに宿し、この世界を我がモノにする為に、あの手この手で。アタシを消してしまえばあとはコントロール出来る、つまり支配は容易いと考えているのではないでしょうか? 父殿と母様の血で試みているでしょうが、それでもアタシが、いいえ・・・・今に至ってはアタシ達が邪魔なのでは。ですが、アタシ達の血が誰かのモノになってしまうとそれはそれで・・・・ね? ですから、我がモノにしたい。と、そのような考えなのではないかと」


「なんと! まさか、ネロキアスティルさんの御父上も御母上も、そんな理由でそのような酷い事を・・・・すると、ずっと私はその片棒を担いで、いた、の・・・・ですね」アンタが盲信するあの教団、気をつけた方がイイよ。そう言えば以前、そう言われた事がありました。去年まで弓道部の全国大会で頻繁に闘っていた、同じ種の者に。あの時は認めたくないと目を背けましたが、今にして思えば・・・・。


 もはやカットベルの言葉を嘘だとはとても思えなかったスフィアは、不意に昔の事を思い出し、後悔の念に支配されていった。


「元はといえば、父殿と母様のチカラを間近で見てきた者達ですからね・・・・アタシの言葉を信じるか信じないかはスフィアの自由なのです。次にお会いする機会があるとして、悪意を持って対峙するのなら容赦はしませんが、そうでないのならその時は・・・・共に笑顔ですごしましょう」

 柔らかな声でそう言うと、カットベルは清水坂の手を握った。


「ん、行く?」


「はい。あっ・・・・その、コータローが人間に戻る手立てはそのようなワケで」


「それはもうイイって言ったでしょ?」


「・・・・はい」


「よし、行こっか」

 そう告げると清水坂は一つ頷き、カットベルと並んで歩き始める。


「あ、待ってください!」

 それを、意を決したスフィアが呼び止めた。


「カタロス・ロリドール様は今、この国におられます」

 そして、そう告げた。


「えっ?!」

 カットベルの表情が変わる。


「タイムズ様が電話にてお話しなさっておられた際に、ナゴヤでの暮らしには慣れたかね・・・・と、おっしゃってました。きっと、裏切り者のフェイリンを葬る為に其処に居るのだと思います」


「フェイリンを・・・・」

 カットベルの表情が、更に険しいそれになる。


「本当です! 信じてください! ワナなどではありません!」


「どうしてそれを、アタシ達に?」


「こんな私に優しくしていただいた、せめてものお礼です」


「そうですか・・・・では、次にお会いする機会がありましたら、笑顔で共にすごせる事を期待しておきますね。あ、それと。アナタは、こんな・・・・では、ないのですよ」

 カットベルの表情が、柔らかに戻る。


「あっ・・・・ふえっ。アリガトウございますネロキアスティルさん!」


 穏やかな空気が、

 三者を包み込む。


 暫し。


 そして。


「カットベル、荷物を持ってウチに行こう」

 清水坂はそう提案した。


「コータローのおウチ、ですか? で、ですがそれは・・・・」

 迷惑をかけてしまうかもと、カットベルは躊躇する。


「でも、此処はさ・・・・うん。かなり大騒ぎしちゃったし、誰か来るかもしれないだろ?」

 先程の二度の戦闘によって、元学校は元廃校を経て現廃墟と化していた。


「はい。ですが・・・・」


「大丈夫だよ、大丈夫。何の問題もないから」


「アリガトウなのです・・・・」


「ううん。オレのせいだし」


「いえそんなこ・・・・あっ、そ、それは、つまり、そのぉ・・・・」

 カットベルは途端に期待する。多大な恥ずかしさを纏いながらも。


「一緒に、眠るですか?」どきどきしてきたですよぉ・・・・。


「ん? あ、カットベルはオレの部屋。オレはリビングで寝るよ。それなら問題ないでしょ?」


「えっ、一緒ではないですか?」問題あるですよぉー! あ、あ、あ、怪異の女はイヤという意味ですか?


「いや、その」一緒がイイの?


「イヤですか?」イヤなのですか? 共に生きようと言ってくれたのに!


「そうじゃなくて」どうしてそんな悲しい表情をするのかな・・・・。


「では、アタシを抱くつもりでのお誘いですか? そうなのですか? どうなのです、あっもしかしてコータロー・・・・」夜這い、という事ですか? 最初から一緒に居てはいけないというのが人間族の掟なのですね?


「・・・・」爆弾発言のような気が・・・・何か言い間違えたっけ?


「緊張してきたですぅ・・・・」遂に来たですよ・・・・愛の営み、ですね?


「積極的なんだね・・・・」肉食系なの?


「え、あ、そそそのそそそれは!」あぐ、あううう! いえあの勿論コータローのご家族の事とかご迷惑をおかけしてしまうかもという事には危惧してるです!


「あっ・・・・」そう言えば、記憶にないから忘れてた。


「・・・・」それは心から危惧してるですが、その、コータローにお誘いを受けたと思ったものですから・・・・つい、嬉しくて。


「・・・・」部屋に来いって言ったらそう思うよね。


「・・・・」恥ずかしいですよ? 凄く恥ずかしいです! だって、コータローにあんな事やこんな事をシテもらえるですから・・・・。


「・・・・」でも、さ。積極的すぎるような気も・・・・って、吸血族のみなさんは人間と同じ感じなのかな。ここは、実は覚えてないって正直に言うべきかな。


「はううぅ」具体的に想像してしまいましたですよぉ・・・・凄く恥ずかしいですぅ!


「ねぇ、カットベル?」言うべき、か。


「はう! あああの、お気を遣わずコータローの、その、すすす、好きに、シテください」これはもうそういう事に及ぶ空気ですよね。ですがアタシ、その覚悟は出来ていますですよ! って、覚悟というか・・・・期待かも。どどどどうしましょう!


「人間と、その、変わらない感じで、イイのかな・・・・」やっぱり訊くしかない。


「えっ、と・・・・そうだと思います。アタシ、経験がないもので詳しくは判らないですけど」ですが、コータローの思うままにシテくださってイイですから!


「えっ?」と・・・・経験が、ないですと?


「えっ?」あああの、もももしかして経験しておくべきでしたか? ですがアタシ、こういう事はコータロー以外とはイヤですし・・・・。


「ええっ?」あれ? も、もしかしてオレ、覚えてないんじゃなくて・・・・。


「どどど、どどうしたですか?」どうすればイイですか、アタシ・・・・。


「・・・・」も、もしかして?!


「えっ、とぉ・・・・」コータロー?


「「・・・・」」あのぉ・・・・。


 ・・・・。


 ・・・・。


 何はともあれ。

 兎にも角にも。


 更に廃墟と化したもはや廃校跡とでも言うべきそこを後にした清水坂とカットベルはこの夜、多大な緊張と大いなる高揚の中、清水坂の部屋のベッドの上で結ばれた。清水坂に誘われゆくカットベルは、徐々に思考する事が出来なくなり、恥ずかしさを忘れ、緊張を上回る高揚に意識をとられ、その意識も次第に遠くへとなっていき、猛烈に心地良い感覚に支配されるに至り、幸せに満たされたのであった。




            第五幕) 完

            第六幕へ続く

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