僕は、僕に出来ることを全力でするだけ
「なんでお前がここにいる!」
湖の水のおかげで力を取り戻した僕は、腹の底から叫んだ。
僕とミラノとの間には500メートルほどの距離があったが、そんなもの関係がないくらい大きな声を出した。
「グウウウゥゥ」
だが、ミラノは返事をすることなく、ただ苦しげに唸るだけだった。
僕は湖の上に浮かんだミラノを見つめてゆっくり目を閉じた。そして、自分の心に問いかけた。
僕は今まで、ずっと逃げてきた。
ミラノと初めて出会ったときは、指一つ動かすことが出来なかった。
その次の時は、自分の能力が通じないと分かるやいなや、戦いから逃げ出した。
そして、その時聞いたミラノの過去を言い訳にして僕はミラノと関わることを拒絶した。
それが間違っていることくらい、初めから分かってはいた。
いくら昔に酷い経験をしていようとも、他の生き物を吸収するという非道極まりない行為を肯定することは出来ない。
そんなことは、分かっていた。
だけど、僕には化け物と化したミラノの相手をする勇気がなかったのだ。
弱虫で意気地なしで役立たずなのだ。もしシュラノが居たなら、もっと饒舌に僕のことを罵るだろう。
「それでいいのか」
僕は自分の心に問いかけた。
僕はシュラノに罵られるような自分を許すことが出来るのか?いや、できない。
シュラノがもし生きていたら。そう考えたことは一度や二度ではない。その度に心にぽっかりと空いた穴には冷たい風が通り抜けていった。
この穴が埋まることは、多分もう無いだろう。それならせめて、誇りある穴にしようと僕は思った。
シュラノが死んだ意味を見つけるために、シュラノが僕に託したものを成し遂げるため。
僕はシュラノに誇れることをする。
そう決意すると、この数週間僕の心に巣くっていた負の感情が蜘蛛の子を散らすように消えていった。
そうなれば、後は簡単だった。
僕はゆっくりと目を開けると湖に浮かぶ不気味な黒い物体、ミラノに焦点を合わせた。
直径200メートルは越えるだろうと言うその巨体を視界に収めるのは簡単だった。
僕は大きく息を吐くと、両手を前に突き出した。
そして、覚悟が決まるのを待って10本の指に力を注いだ。
こちょこちょこちょこちょ
僕の指は、ミラノを確実にとらえた。その感触が指先にも伝わった。
♦♦♦♦♦
それは、僕がくすぐりだした瞬間から始まった。
僕の耳に、何百何千何万という人の笑い声が聞こえてきたのだ。
「わひゃひゃひゃひゃ…」「やへへへへ…」「いひひひひ…」「うふふふふ…」「ぬへへへへ…」「げらげらげらげら…」「おほほほほ…」
小さな女の子、嗄れた老人、高貴な女性、元気溢れる少年、豪快な中年男性……。
その声は様々で、聞き分けることは出来ない。
だけど僕には、その笑い声はただの雑音ではなくオーケストラの演奏のように感じられた。
その演奏は、ミラノから聞こえてきた。
僕には、ミラノに吸収された人々が助けを求めているように聞こえた。僕はその笑い声を力に変え、くすぐる手にさらに力を入れた。
こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ……
手がつりそうになり、指先の感覚が無くなっても僕はくすぐることを止めなかった。
幾重にも重なった笑い声は、周辺の山々に木霊し大きなうねりとなって僕とミラノを包んでいた。
するとその時、突然ミラノの体が膨れたかと思うと、その球体の胴体から細い虫のような足が四本、突然生えた。まるで寄生虫が体を破って出てくるかのように、真っ黒な血を湖に垂れ流しながらその足は生えた。
僕はその吐き気を催すような光景に恐怖したが、今回はいつものように逃げることなく指を動かし続けた。
「グアアアアアァァァ……」
ミラノは湖の上で苦しそうに血を流している。シュラノの血は四本の足を通じて湖に流れ込み、透明だった湖を黒く染めていた。
ミラノの体の中から聞こえる笑い声は、さらにその大きさを増し鼓膜が破れてしまいそうだ。
「笑えー!ミラノ!!」
ミラノの雄叫びをかき消すように、僕は心の底から叫んだ。
僕の声に反応したのか、ミラノが僕の方へと歩き出した。
水をなみなみ湛えた湖の上をどうやって歩いているのかは分からないが、一歩、また一歩とミラノが僕との距離を詰めてくる。
僕は圧倒的な体格差のあるミラノに怖じ気付きそうになる心を懸命に引き留め、指を動かした。
「笑え!あんな嘘っぱちの作り笑いなんかじゃなく、心の底から笑え!それからみんなに謝れ!
お前がしていることは間違ってる。僕は断言出来る。
だけど、お前の言い分が間違っていないことも断言出来る。
お前は、やり方を間違えたんだ。この世界の抱える闇を一人で背負いこんで一人で悩んだ。
それじゃあダメだったんだ。この世界にはもっと一杯生き物が居るんだろ?それならそいつらの力を借りろよ!
意地張ってんじゃねぇーーー!!」
その時、ミラノの体に大きな切れ目が出来た。縦に真っ二つに割ったような切れ目が出来た。
その切れ目に、僕は光る物をみた。




