空想上の生き物が目の前に現れると、人ってガチでビビるよね
ワニのような胴体、コウモリのような翼、闘牛のやうな角、トカゲのような顔、その生物の姿は、絵本で見るようなドラゴンにそっくりだった。
ドラゴンが一度羽ばたくたびに湖に波が起こった。
そして、ドラゴンが一度羽ばたくたびにぐんぐん僕に近づいてくる。まるであの時のトラックのように。
あぶない!
そう思った時には、僕の頭の上数メートルの位置を巨大な黒い影が通り過ぎていた。
「ううっ……」
一拍遅れて、僕の体を突風が襲う。
僕は飛ばされないよう、姿勢を低くして堪える。
後ろで木の枝が折れる音が聞こえる。太い幹を持った木がぐらぐらと揺れ、葉っぱ同士が擦れあっている。
「な、何なんだよあれ!」
僕は、あまりに驚いて声を上げた。
「ドラゴンなんて居るわけ無い、居るわけ無いんだ。」
森の奥の方へ飛び去っていく姿を見て、僕は上の空でそう呟いた。
声に出して確認しないと、自分の正気を保つことが出来なかったのだ。
だけど、いくら声に出して否定しようとしても、両目の視力が2.0の僕の瞳からあの緑色の影が消えることはなかった。いくら目を擦っても、一回ギュッと閉じてもう一度開いても、深呼吸をしても、ドラゴンと思われるその生物が、僕の視界から外れることはなかった。
それは、僕にとって最悪の出来事だった。
なぜかと言うと、あのドラゴンが本物だとしたら②の仮説が成立しなくなるからだ。
すくなくとも、ここが日本でないことが証明されてしまう。
そうなってくると、残る選択肢は①と②なのだが、それも怪しい。
さっき僕が感じた風圧は、確かに本物だった。決して夢のものではない!と、思う。
そして、①もたぶん違う。これは、今思い出したことなのだが、僕は三途の川を渡っていない。
だから死んでいない!はずだ……。
それにより、僕の3つの仮説全てが打ち砕かれた。
しかし、僕はその時まだ検討していなかった4つ目の可能性に気が付いた。
「もしかして、ここって異世界?」
僕が4つ目の選択肢にたどり着いたとき、僕の瞳はとんでもないものを捉えた。
なんと、さっき通り過ぎたドラゴンが旋回して此方へ戻ってきているのだ。
しかも、その目が怖いんですけど……。
明らかに僕を狙っているその目は、ギラギラと光っていた。
喰われる!
そう感じたのは、多分僕の中に残っていた僅かな野生の本能というもののお陰なのだろう。
しかし、そんな本能は必要なかった。
いくら喰われると分かっても、木々を薙ぎ倒すほどの早さで突っ込んでくるドラゴンをどうにかできる術など僕は持ち合わせていなかった。
僕に出来たのは、両手を小さく突き出して交互に振ることだけだった。
「よ、よせよ!早まるな!
僕なんか喰っても旨くないって!
筋肉はないし、骨と皮ばっかりだし、栄養価だって多分キュウリに劣るよ!
だから頼む食べないで!」
僕はそう叫びながら、必死に手を振った。
ドラゴンにこの制止の合図が通じるか分からない。ドラゴンに人の言葉が通じるか分からない。
だけど、このままみすみす食べられる訳にはいかない。
こんなどこともわからない場所で、たった1人で生涯に幕を下ろすなんて、考え出しだけでも恐ろしい。
だから僕は懸命に手を振った。
この行動が後の僕の人生を大きく変えることになる。
♦♦♦♦♦
ドラゴンはとても速く飛んでいた。その速さがどれくらいかというと、高速を走ると捕まってしまうくらいの速さだ。
一時は森の奥へ飛んでいったため、僕とドラゴンとの間には3~4キロの距離が空いていた。
しかしそれも、今は昔。
僕とドラゴンとの距離は、もう既に500メートルを切っていた。
もうだめだ。
僕は半ば諦め、半ばヤケクソで両手を滅茶苦茶に振りまくった。
どうせ喰われるなら、少しでもエネルギーを使ってしまおう。という、意味の分からない考えに囚われていたからだ。
しかしその時、奇跡(陳腐な言い回しだが、それ以外の言葉が思いつかない)が起こった。
なんと、僕の居る位置から100メートル程離れた場所で、ドラゴンがいきなり止まったのだ。
トラックにひかれる寸前がスロー再生だとすると、今回はさながら一時停止を押したかのように、ドラゴンが空中で不自然に止まってしまったのだ。
しかしその停止は一時的なものだった。何故なら、羽ばたくことをやめたドラゴンの体が、重力に逆らうのをやめ自由落下を始めたからだ。
ドラゴンの体が、一瞬グラッと傾いたかと思うと、次の瞬間には森の中に消えていた。
ドスンという音と、小鳥の鳴き声が聞こえる。
数秒してその音が止むと、辺りは静寂に包まれた。
………意味が分からない!
なんなんだ!なんて日だ!
なんでドラゴンは、急に墜落したんだ?そもそもなんでドラゴンなんて生き物が存在してるんだ?
僕の頭には、この一瞬で感じた様々な疑問がクルクルと回っていた。
それらは、一つとして答えに辿り着けず、持ち主を失った風船のようにふわふわと僕の頭をさまよっていた。
僕がそんな考えに囚われていると、突然目の前の木々が吹っ飛んだ。
慌てて見ると、そこには先ほどのドラゴンが目と鼻の先に立っていたのだった。
「あ、あ、あ、あ~~~~~!!」
慌てた僕は、服が濡れるのも厭わず湖の中に逃げ出した。
しかし、慌てていたのが悪かった。足元も見ずに走っていたので、僕は数歩進んだ場所で転んでしまった。
ホントにもうだめだ……
そう思った僕は、後ろを振り返りドラゴンを睨んだ。
せめて最後は前を向いて死のう、と思ったからである。
恐怖で閉じてしまいそうになる目を必死に開き、僕はドラゴンを睨んでいた。
そして遂にその時は来た。
ドラゴンが僕の顔の前でゆっくりと口を開いたのだ。
「お前は何者だ?」
……え?ドラゴンが喋った?!