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脳の壺  作者: 笹峰霧子
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怒りの壺

脳にはいろいろな壺があるような気がする。

まずこれから...。

《怒りの壺》は人それぞれで、思わぬことで腹を立てたり立てられたりするものだ。

 自分がこれこれしかじかのことは嫌だと思うことでも、他の人にとってはそれは何でもないと言われることがある。だから自分一人できりきりして、如何にそのシチュエーションから逃れようかと頭をひねる。


法華経の経文の中に「増上慢」と「卑下慢」という仏語がある。

 「増上慢」は俗にいえば威張ったり自慢するのを言い、大抵の人はそういうのを忌み嫌う。その反意語であるかのようにみえる「卑下慢」は自分を卑下することをいうが、これを悪く言う人もいないし、不愉快に思う人も少ないのではないだろうか。

 ところが、この卑下慢こそ増上慢に劣らぬほど相手を威圧するものはない。経文では増上慢と卑下慢は同格に扱われているのである。


 わたしは「増上慢」には大した反応をしないのだが、「卑下慢」の常習犯みたいな人物と関わりになると、やりきれない程不愉快になる。

これがわたしの《怒りの壺》なのだとおもう。


 事実、横のつながりのある仲間の一人の卑下慢には何年も悩まされた。私らの中では金は有り余るほど有り、いつも高級品を身につけ、夫のボーナスは着物の一枚に消えるほどの収入で生活をしている。

 ところが、わたしと会話しているとき、必ず一度や二度は「わたし、お金がないから」という。一緒に買い物に行ったとき、店主に、いつものように「お金がないから」と言ったら、店主は「支払いはいつでも結構ですよ」と勘違いして言ったことがある。


 そのようなことが度重なるにつれ、わたしは彼女の誘いには一切乗りたくないという気持ちになり、また私自身も彼女を誘うことはなくなっていった。


 いつも一緒にドライブしていた友人は、そのことに関してはあまり執着していなかったようで、どうしてもわたしの気持ちには共感してくれなかった。ついにわたしの《怒りの壺》はそこに集中してしまった。わたしは我慢ができず、次第に離れることを決意した。


 脳の中に《怒りの壺》が多ければ多いほど世の中は住みにくくなるが、幸いわたしはその他のことでは、さして怒りの壺を刺激することもなく、日常生活が送れている。


 彼女が元気なとき、私が彼女に冷たいのはどうしてなの?と友人に訴えて泣いていたそうで、お互いの気持ちはどうしても通じなかったようだ。


 彼女が大病を重ねて死ぬ前に、わたしは何度も病院へ見舞いに行き、友人を誘って祈願にも行った。私がもう少し大きな気持ちで受け入れることが出来ていたらと、時々思い出すことがある。

 けれど、もしも再び付き合うことがあったとしても、彼女の「卑下慢」はわたしの《怒りの壺》を刺激し続けていくのだろう。






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