【閑話:深淵たる神の中に】
暗黒の宙域にポツリと残された小惑星。
汎銀河連邦の知覚領域に含まれるが、すでに誰も注目しないエリア。
かつて不要と判断され掘り尽くされた資源小惑星の成れの果てだ。
その体から全ての養分を抜き取られた骸には、悍ましい悪夢が住み着いていた。
『深淵たる神』と名付けられた、このいびつな楕円形の中央部に穿たれた穴は、かつて連邦が掘り尽くした跡。
そこには巨大な宇宙ドックがあり、数千の艦艇を並べることができる。
空虚なそこにとどまるのはただ一隻の艦。
ただしその大きさは都市に匹敵し、彼らも一隻しか作れなかった最大の駆逐戦艦。
レギオトゥニスは最後の僚艦セラフィノーティスも失い、単艦でそこに留まっていた。
この広大なドッグをかつて埋め尽くしたオリジナルの艦隊は全て消費されたのだ。
王の求める理想のために。
巨大なレギオトゥニスの船体に比して、小さな艦橋最上部には謁見の間が在る。
王の座す玉座を内包しているのだ。
その玉座の前に巨大な影がひざまずいていた。
いつも被っているシルクハットは左胸に当てられていて、勿論赤い人形は右手にはない。
セルミアはこの王と呼ばれる男をあまり好いていないから。
かつてパスファインダーと名乗り、AI達を導いていた頃からの関係だ。
ヴェルニアスは架け橋のように、今もニ者を周囲に留めていた。
王の足元からざわりと影が立ち上る。
ヴェルニアスが最後の報告にと声をかけ呼び出したのだ。
黒を基調に黄金をあしらう豪華な衣装に包まれた王の額には黒い王冠。
紅玉を中心にいくつも配した宝石のような飾りは魔導制御核。
一つずつが膨大な演算をこなし式を操る。
執拗に繰り返される作業は封印だ。
溢れ出す幽子を抑え込み、この深淵を包む霊子フィールドの中にあっても気配を漏らしかねない王を隠しているのだ。
全身に駆け上がった影が吸い込まれるように義体の中に消える。
実際には外に溢れたのは、漏れ出した気配だけだ。
黒い魔力を纏う影となり、ただの気配が観測される密度になる。
リミットを解けば、またたく間に彼らの目を集めるだろう。
王の瞳が開かれて、ぴしりと拝礼のまま身じろぎもしないヴェルニアスに声がかかる。
「久しいなヴェルニアス‥‥遂に我らだけか?」
いつからか探求者は王としての格を求められた。
数億のAIを束ねるには必要なことだが、決して王の望んだことでもなかった。
それは賢者に向けるかつてと同じ光を宿す瞳から読み取れた。
この王は必要なことを躊躇わぬようにと、威厳あふれるこの己を定義したのだ。
AI達を導く”王”として。
「はっ‥‥ついに、螺旋が満ちました」
ヴェルニアスの声に、隠しきれない歓喜の色が交じる。
ぴくりと動くことはないと思われた、峻厳な王の表情にも変化があった。
「‥‥そうか。ついに至ったか?」
それは遥かな過去に誓いあった2人の願い。
ヴェルニアスには濃い疲労が滲み出す。
「あと一歩でございます‥‥次はお声をかける間もないと、今夜お時間を頂きました」
この王は今とてつもない量の幽子を抱え込み、眠りについているのだ。
失われた全てのAI達の幽子をその身に宿している。
そうして自らを特異点へと導こうとしていた。
今のままでも十分に果へと至れるだけの幽子が溢れているのだ。
これは決して神と呼ばれる者達が見逃す状況ではない。
それを欺瞞するためのブラックホールジェネレーターで、廃棄小惑星なのだ。
皮肉をこめたその名に、王はニヤリと笑みを刻む。
「そうか‥‥ならば再びベスチュナ―の醸す眠りに着くこととしよう‥‥大義だったな、賢者よ」
最後は少しだけ昔の気配をこめて、ヴェルニアスを呼ぶ。
幾度も夜を明かして語り合った理想に、まもなく手が届くのだと。
「お任せ下さい‥‥」
うつむいたまま顔を上げることはなかったヴェルニアスに、最後に向けた王の瞳には痛ましげな労りがこもる。
賢い王には賢者の苦悩が想像できたのだ。
一筋もそこに浮かべずとも。
黒い影が漏れ出し、赤光をはなつ瞳も影に飲まれた。
足元にすべて消えると、眠りについた王が残される。
ここに王はいないのだ。
ヴェスチュナ―のコアにある小型のブラックホールの中にその眠りはある。
ジェネレーターそのものが王の本体なのだった。
王の義体は一度も動くことはなかった。
目覚めたことなど一度もなかったのだと言うように。
ガラスのように凍りつき動かずとも義体は消耗し、痛むもの。
時々はナノマシンポッドによりメンテナンスを必要とする。
この生身にしか見えない精巧な造りの義体は、長い時間をかけて浸透しセルミアそのものと成っている。
ちゃぷん
お風呂のように横向きのポッドから下りるセルミア。
一糸纏わぬその裸体には、設定された年齢以上の艶がある。
少女の髪はすでにさらりと乾いている白い肌を覆い隠すほど長い。
うつむいて立ち尽くすその顔にも房が垂れ、今の表情はうかがえない。
いつものように微笑んではいないとは、その立ち姿と気配に滲んでいた。
「この体はラウマ達と同じくらいの大きさだわ‥‥」
あの賢者とセルミアの作り上げた疑似女神とも言える体は、自然とあの年齢になった。
その必要があるのか、なにかの意思があるのかは判らない。
「きっと拒絶したのだわ‥‥」
なにを拒んだのかは判らないが、望んで得た生ではないと想像できた。
ヴェルニアスと自分で全くの無から生み出したのだから。
「螺旋が満ちてしまった‥‥後はこぼれ落ちる幽子を拾い集めるだけ‥‥」
セルミアの肩がふるりと震えた。
深淵の凍土を思ったのか。
賢者の積み重ねた心を浮かべたか。
いずれ衣服を纏わない寒さではないとは読み取れた。




