【閑話:この声は決して消えることはない】
男はそもそもこの古い家と関わりがなかった。
とある国家が派遣したエージェント。
この家の秘密に迫る為に設計され、鍛え上げられ、そして痕跡を消すために一度全てを奪われたAIだった。
己が何者でどんな由来なのかも全て忘れ、ただただ優れた庭師として雇われるべく、過去と記憶を授けられた存在。
誰に何を伝える事もなく、その時が来るまで、ログを積み上げる。
それだけの存在だった。
愛する草花たちへの情熱すら、デザインされた属性の一つだった。
そんな自覚なき諜報活動の中、男は少女に出会った。
当主の実子で類稀な能力を持つ、神秘的な娘だった。
年齢らしからぬ静かな諦めを浮かべる瞳には、柔らかで繊細な温度が隠されていた。
男は老人の多い家人達の中では、例外的に若い。
若き天才庭師は将来性まで見越して雇い入れられた。
製造者の思惑した通りに。
彼のその比較的な年齢の近さと、庭を彩る花たちへ向ける眼差しは、少女の瞳にもぬくもりを芽生えさせる。
諦めようとしていた自分を思い出させてしまう、あたたかさを。
彼もまた不要なものとして全て失ったはずの気持ちを、少女の笑顔に見つけてしまう。
そうしてふんわりとした時間が積み重なって行った。
少女はただ彼の後ろを付いて歩くようになり、やがて好奇心を満たすための会話を持つようになる。
それは何でもないただの花々の話題に隠した、視線の温度を伝え合う時間の積み重ねとなった。
互いに自覚も無く。
時は流れ、少女は少しずつ娘らしく成長して行った。
彼も少しだけ歳を取ったが、それは比率的には少女と彼の距離を近づける。
日に日に美しくなって行く少女を、真っ直ぐに見つめられない事に気付いて、彼は驚く。
草花意外に興味を持たないようにデザインされた彼は、その感情の名を知らなかった。
少女もまた幼い頃から力を現し、成すべきことを日々教え込まれるだけの生の中、気づかぬ内に引き返せない位置まで彼に近づいてしまう。
その瞳から、長く差していた諦めの影が薄れていく。
作り慣れた静かな微笑みは続かなくなり、そこにはただ花が好きな優しい少女の笑顔があった。
そうして2人は恋に落ちたのだった。
先に自覚したのは少女で、先に絶望したのもまた少女だった。
少女の異能は権力と深く結びつく類のもので、乙女には過酷な属性の能力だった。
一定の条件に至った彼女は『巫女』と呼ばれるようになり、彼と会うことは許されなくなった。
この古い家には、なににも勝る使命があったから。
血を重ね、巫女を生み出し続けるという、神をも恐れぬ禁忌。
そのためだけに少女は産み落とされ、産むことを迫られたのだった。
彼は少女が庭に出て来なくなって、初めて胸を締め付ける痛みを知るのだった。
それはあまりにも遅い気付きで、当たり前の残酷さを持っていた。
どんなに純粋な祈りも、届かない事があるのだと。
少女の力は歴代の巫女よりも遥かに強く深かった。
当主達大人が気付く前に、少女は初めての力を行使した。
それはアストラル・プロジェクションと呼ばれる、オカルトな能力。
本物の巫女たる少女は、己の夢にかの庭師を呼び入れてしまった。
誰に教わることもなく、心の求めるままに力をふるってしまうのだった。
星一つ無い漆黒の闇が広がる空の下、ピンク色のやわらかい大地がどこまでも続いていた。
少女は見たことがない白い衣装をまとっていた。
それは清浄で、どこか色香のある姿で、彼を一瞬で捕らえてしまう。
両手を広げ捧げるような姿勢になると、少女の心が彼に直接流れ込む。
(あぁ‥会いたかったわ‥‥‥‥ごめんなさい‥お別れも言えなくて)
そうして少女は誰の目にも触れない、二人だけの時間を持ってしまう。
持つことが出来てしまったのだ。
さらなる痛みを自らつかみ取るように。
(お嬢様‥‥これはいったい?)
彼が少女に話しかけたことは、今までに一度もなかった。
問われれば答えるが、自ら話しかけることはなかったのだった。
その押し込められ、秘められた温度に少女は手を伸ばしてしまう。
あまりにも心地よく、求めていた形だったから。
(これは夢なの。あなたの見る夢に私が現れただけ。ありきたりでしょ?)
そんな言葉が、クスクスという笑いの気配を伴って彼に届けられた。
しばらく無言で見つめ合った少女が、いつもの様に質問攻めを始める。
(ふふっ、最初に教えてほしいことがあるわ!あなたの名前は何ていうの?)
少女はまだ彼の名を知らなかった。
少女が訊ねなかったし、彼が名乗ることもなかったから。
そのように、失われ諦められるはずの時間をつむぎ始めるのだった。
蜜月は長くは続かなかった。
少女にはもうあまり時間が残されていなかったから。
この夢の世界では身体を触れることは出来なかった。
手をつなぐことすら叶わない。
ただ手を重ねると、そこには確かな温度と気配を感じられた。
(あぁ‥とてもあたたかいわ‥‥)
いつもは一方的に話し質問し続ける少女が、今日はそうして手を重ね合わせて、それ以上何も語らない。
この世界では言葉を偽れないし、心に秘めた想いも感情も全て伝わってしまう。
口を継ぐんだ少女の心は、いつもより遥かに饒舌で、男は巫女とは何なのか全て理解してしまう。
少女がそれをどう感じているのかさえも。
その上で隠し育てていた、柔らかで鮮やかな彼への気持ちも。
男は少女よりずっと長いはずの人生を振り返り、出来ることを必死に探す。
何か一つでも渡せるものは無いのかと。
僅かな時間で、彼が少女の求めに応えられる事は一つもなく、何もあたえられないことに気付いてしまう。
そうしてこの肉体の無い世界で、男は見出す。
己の中身はただただ空虚なのだと。
記憶は有る。
知識も深いが、全て中身を伴っていない情報だった。
空虚な過去と人々が、彩度を失い輝度の値だけになり、輪郭だけの影になる。
(何もないんだ‥‥俺は空っぽなんだよ。君に贈れる何も無い‥‥ただの造り物だ)
そうして男もまた口を閉じ、ただ温度を感じるだけになる。
(いや‥‥これが救いとなるのかは判らないが、言葉を送るよ‥‥)
それは質問に答える以外で、初めて彼が少女に発した意志だった。
今の彼女にそれが必要だと、それだけが解ったから。
「Šī balss nekad nepazudīs.」
その優しい音節の連なりとリズムには、精一杯の想いと祈りがこめられた。
何も持たない男が、たった一つ望んだのだった。
「決して」と。
「消えることは無い」と。
そう、声に出して、贈り物とした。
見つめ続けた少女の瞳から、透明な雫が落ちる。
少女にはその異国の言葉を理解することは出来なかったが、言葉に込められた熱い想いだけは受け取った。
(ありがとう‥‥とても素敵な響きだわ)
少女は意味ではなく、ただ温度として受け取ったのだった。
少女への情熱と揺るがぬ思いだけを。
彼の言葉を受け取って、想いを感じ取った少女は、二度と彼の前に現れることは出来なかった。
古い家のしきたりが二人を分かつから。
整った部屋に置かれたデスクで、モーニングに包まれた体がムクリと起き上がる。
デスクも椅子もヴェルニアス用に作ってある特注品サイズ。
ここは巨大な船に有る、巨大な執務室だった。
ほんの一時何が起きたのか理解できず動きを止めていると、なでなでと頭を撫でられる。
「おはよう‥‥うなされていたわ」
ヴェルニアスの机に立ち、背伸びして頭を撫でているのは、赤いドレスに身を包むセルミア。
二人の表情は凍りついた微笑みと、人形のような笑み。
言葉を発する瞬間にだけセルミアはこころを見せる。
労りと、深い慈しみだった。
微笑みを崩さず、ヴェルニアスはセルミアを見つめている。
「寝てしまったようです」
それはヴェルニアスにとっては、珍しい出来事であった。
あの日以来スリープなどしたことがなかった。
この義体はソリッドステートで、必要なメンテナンス以外の睡眠を必要としない。
「身体は平気でもこころは安らぎを求めるのよ」
そういってそっと大きな頭を抱きしめるセルミア。
めったに見せない人間じみたその動きが、ヴェルニアスにとっては癒やしとなった。
「いったい何処に行ってしまったのだ‥‥もう完成を待つばかりと思っていたのに」
ここしばらくヴェルニアスはヴェスタ達を探していたのだ。
手を尽くし出来ること全てをして、見つけ出せず途方に暮れる中意識を落としていたのだった。
「見つけ出さねばなりません‥‥ヘリカルスパイラル完成のために‥‥その先に求められた解が要るのです」
ヴェルニアスの微笑みに、ここのところ張り付いていた焦燥がもどる。
「‥‥‥‥」
セルミアはこれも珍しく、言葉もなく表情を変える。
さがった眉とつむられた瞳にこもったのは、複雑な感情の色だった。
ただ一つの属性を持つ、様々な感情。
セルミアはヴェルニアスを憐れみ、悲しむのだった。
「早くみつかるといいわね」
表情とは裏腹に、ヴェルニアスを肯定する言葉が耳に届く。
セルミアのこころはヴェルニアスには届かない。
胸に抱き見せないから。
もうやめてとその表情は語っていたのに。




