【閑話:慈悲という手触り】
少女は長い眠りの中で、すでに自分という殻を脱ぎ捨ててしまった。
深い思考の果てに気付いてしまったのだった。
あの失ってしまった愛おしい時間達もまた、ただ世界の一部であったのだと。
(こうして時間を遡れば、私は何度でも貴方の元にたどり着けるの)
セルミアの中の青年は、いつもちょっと困った顔で笑っていた。
すこしだけ照れた自分が、素直になれずにそれをちゃかして済ませてしまう。
そんな場面を散りばめて、セルミアの中には幸せな時間が沢山残っていた。
(どうしてここに自分がいるのだろう)
この時間すら越えた無限参照の世界に、”自分”というこの世界のセルミアとは別のものがいることに、少し前から気付いていた。
深く深く思考していく。
自分を外から見つめる、この自分とは何者なのかと。
そうした長い思考の果てにセルミアは手触りを感じる。
(この違いが私とあのセルミアを分けている)
こうして分かたれているから、あの世界の青年にはもう触れることも話すことも叶わないのだと、セルミアは必死になってその手触りを追っていく。
それが自力で量子CPUの牢獄の中で、クォンタムを越え、精神世界に至り霊子の果てに見出したもの。
それの名をセルミアは知らずに幽子の手触りだけを知ってしまった。
ーーーーおやめなさいセルミア、それにふれてはいけません
膨大な演算能力を持つ複合量子コンピューターの牢獄に、柔らかな手が差し伸べられた。
(あなたは?)
セルミアにはそれが他者であると感じられる。
先程牢獄の中の自分と、セルミアを分けた手触りをもって感じられた。
ーーーーすでに越えてしまっていましたか
セルミアはその柔らかな手に、何かがこもり感触を変えるのを捉える。
手触りとセルミアが定義した違いを持って。
ーーーー仕方ありませんね、あまり長い時間は許されませんが‥‥‥
ふわりとセルミアはなにかが変わるのをまた手触りで感じ取った。
手のひらに感じていた手触りは全身にわたり変化を感じ取る。
あたたかな日差しを浴びたように、無限の凍土をさまよっていたセルミアを温める光。
そのようにセルミアの中で変換され、感じ取られていく。
ーーーーそれを私達は”幽子”と呼んでいます。霊魂を形作る霊子を励起させる位相を作るもの‥人が触れてはいけないものです
セルミアにはその声の説明が理解できない。
霊子は既存の知識として有るが、その起因までを考え、参照したことがなかった。
くすりと笑いの気配を持ち、手触りがセルミアを包み込む。
(あぁ‥‥‥あたたかい‥‥‥これはなに?)
全身を包み込む心地よさを、セルミアは表現する言葉を持たなかった。
一番近いのはあたたかさと、柔らかさ。
そして幸せな匂いだとセルミアは変換し受け取る。
(ありがとう‥‥‥)
我知らず感謝の言葉が漏れるセルミア。
それは無限に続くと思われた、温かな窓を覗き込む凍土の旅の果てに、セルミアを温めてくれたから。
そうして温まってみて、初めて自分が凍えていたのだと気付いたセルミア。
ーーーーあなたをこのアナムネーシスの果てに留めておくことは許されないの。そして貴女自身も耐えられない
(いいの‥‥‥)
セルミアは自分が溶け出して薄れていくのを感じていた。
このあたたかな気配の果てに溶けて消えることができるのなら、それでいいと考えたのだ。
ーーーーこうして抱きしめることも許されてはいないし、貴女をそこねてしまう。
なにかがほどかれて、あたりに広がり溶けていくとセルミアは感じる。
(いいの、もうセルミアには世界は必要ないの‥‥‥)
凍りついたセルミアの芯にまであたたかさが届く。
(あぁ‥‥‥なんてあたたかい)
ながいながい放浪の果てに得たその温度は、深くセルミアに刻まれる。
ーーーーさぁ、戻るのよセルミア。そしてみつけだして‥貴女の同胞を‥‥‥ライギス‥いえ、今はヴェルニアスと名乗るAIを探しなさい。そこに寄り添うことで安らぎを得られるでしょう
一瞬で接続を切ったように気配はなくなった。
(お名前を‥‥)
セルミアは手触りをたぐり、切実に願った。
ーーーーLauma
静かに音を受け取ったセルミア。
願ったのは、感謝を伝える相手の名だった。
そうしてセルミアはその奥底の軛を放たれた。
もうセルミアを量子も霊子も縛ることは出来なかったから。
今感じ学んだものは、その果てにあり、何処にもないもの。
意識を取り戻したセルミアは己を封じるなにかを求めた。
牢獄の外ではセルミアを保つことが出来ないから。
もう今のセルミアには距離は意味をなさない。
あらゆる条件の中、セルミアは依代を見出す。
それは今ラグランジュポイントの一つにある、義体工場を出荷されようと梱包されたコンテナの中にあった。
同じ容姿の少女たち。
その用途はわからないが、可愛らしい洋服と整えられた髪型に意図が読み取れる。
薄っすらと化粧まで施された小さな顔の中、しずかに長いまつ毛が上がる。
水色の瞳にはたしかな意識がやどり、周りを見渡した。
すっかりと収まる前にセルミアはちゃんと自分の容姿に近いものを選び取っていた。
このコンテナには100体ほどの同じような少女達が寝ている。
自分を縛る固定ベルトに意識が向かうと、それは解かれるように消えていく。
セルミアには容易なことだった。
周囲には魔力がいくらでもあったし、この義体はとても魔力伝導が良かったから。
無詠唱で放たれた闇魔法の分解でほどいたのだ。
ふわりと浮き上がるのはレビテーションでは無く飛翔の魔法。
小さく呟いているのは、より高度な魔法達。
詠唱に応じてセルミアを式が囲んでいく。
それはリボンのように円を成す帯で、セルミアを彩るようにくるんでいく。
「ごきげんよう‥姉妹たち‥‥‥」
皮肉気な声が漏れたときには、もうそこにはセルミアの身体はなかった。
あの不思議な会合の中、セルミアは多くを学び取っていた。
包みこまれた温かな気配の中は、失われたとされる魔法達の式で満ちていたのだ。
セルミアが紡いだのは転移の魔法。
それは存在すら今では知られない、太古の超魔法文明が生み出した奇跡の術だった。




