プロローグ 灰の中の紅蓮
世界は、静かに灰へと沈んでいく。
遥か昔、天上の神々がこの地に降り立ち、人間に「灰印」を刻んだ。
それは祝福であり、呪いでもあった。
灰印を持つ者は、この世の理を超えた存在ーー「契約生物」と契約し、その力を振るうことができた。
だが同時に、彼らは「戒律」に縛られ、それを違えれば魂ごと灰に還る運命を背負わされた。
エシュロン大陸。
かつて豊かな緑と青空に恵まれていたこの地は、今や灰色の雲と、褪せた大地に覆われている。
戦火は百年を超え、灰印を巡る争いは終わる気配を見せない。
人々は祈り、嘆き、そしてまた新たな罪を積み重ねていく。
その夜も、灰色の雨が降っていた。
村の小さな教会の鐘楼に、一人の「騎士」が立っていた。
銀色の鎧に、煤けたマント。
肩にかかるほどの黒髪は雨に濡れ、夜の闇に溶け込んでいる。
引き締まった体躯と、鋭いまなざし。
その瞳は、夜の闇よりも深い赤――
名を知る者はほとんどいない。ただ、「灰の騎士」とだけ呼ばれていた。
その身に刻まれているのは、かつて神々が遺した「熾天使の瞳」の灰印。
そして、傍らに佇むのは、幼い少女の姿をしたセラフィム――アズラエル。
透き通るような白い肌に、淡い銀色の髪。
背中から広がる純白の羽根は、夜の雨をはじいて淡く輝いている。
その瞳は、人間離れした静謐な光を宿していた。
「……行くの?」
アズラエルが静かに問いかける。
騎士は小さく頷き、手にした剣を見つめる。
それは、月光を浴びて淡く輝く聖剣――ディヴァイン。
「終わらせなければ……」
誰にともなく呟いた言葉は、灰色の雨に溶けて消える。
右手の指先から静かに灰色が広がりつつあった。
それは、過去の罪の証。
かつて守ろうとした村を、焼き払ったあの日――
その記憶は、今も心を苛み続けている。
「セレス、進もう。君の手でこの時代に終止符を打つんだ。」
アズラエルの声は、どこか遠い。
騎士――セレスは剣を鞘に収め、鐘楼から夜の村を見下ろす。
歩む先には、追跡者たちの影が忍び寄っている。
聖都の灰の審問官、灰喰いのレオンハルト。
そして、正体を知らぬまま、運命に導かれる者たち。
赦しを求めて、セレスは歩き出す。
灰に覆われた大地の上を、紅蓮の焔のような意志を胸に秘めて――
やがて、世界を揺るがす「贖罪」の物語が、静かに幕を開ける。