炎と悪魔
どれくらい静寂が続いただろうか。強まる風に逆らうように一頭の馬が駆ける。
その馬を操っている忠刻はただ無表情で手綱を握りしめていた。
周りの空気は重々しく、一言言葉を発するのにも抵抗を感じるほどだ。
話せば殺す――そんな殺気が忠刻の全身から出ているようで紗那は先ほどがら頭一つ分身体を縮め、流れゆく景色を暗い瞳で眺めていた。
そろそろこの気まずい空気にも慣れてきたころ、紗那は改めて脳裏に深く刻み込まれている記憶を辿る。
櫂禮を名乗る人物。
悲鳴。
紅色に染まる着物。
忠刻と政朝の困惑する横顔。
まだ思い出しただけで寒気が走る。あの地獄絵図とも呼べる惨劇で何故自分が正気でいられたのかも不思議だ。忠刻がここまで黙り込むのも無理はないだろう。
あの後、意識がかすむ自分を忠刻が気遣いすぐさま屋敷を後にした。その場は政朝に任せたので安心だとは思うがまだ緊張の糸は張りつめたまま一向に緩まない。
ふと、そんな緊張感漂う中忠刻が口を開いた。呟くような小声だったが紗那の耳にはやたらと響く。
「あの櫂禮を名乗る者…確実に次の手を打ってくるはずだ。急ぎ帰らねば」
「………ん」
何と返事を返したらよいのか分からずあいまいな言葉を口にする。
そんな様子を見て彼は心配したのかぎこちない微笑を浮かべる。
「心配するな。城には私も、三木之助や、奈阿姫だっているであろう。何かあったら守ってやる」
トクン、と胸を打たれた。そんな言葉をかけられたのは初めてだ。
自分はずっといらない存在なのかと思っていた。この世界で不要な者なのだと。
自分がいなければ忠刻や政朝に迷惑がかかることもなかったはずだ。そんな思いで頭の中がいっぱいになり、夜中布団で泣いたことも一度や二度ではない。
それなのに……
「忠刻様…」
「な、何だ、急に改まって」
「ありがとうございます」
紗那は目を細めて心からの笑顔を浮かべた。忠刻が恥ずかしそうに顔をそむける。
「い、いや、ほら、せっかくの櫂禮様の子孫が途絶えてしまうのは勿体ないであろう、そ、そういう意味でだなぁ…別にそなたのことなど…」
不自然すぎるほど語尾を濁らせた忠刻に自然と声が漏れる。自白してどうするのだ。
「プッ」
「ななななな何だ、私は何も口にしておらぬぞ!!」
「すみません、ただ、可愛くて…」
忠刻はさらに顔を紅潮させた。驚いたように目を見開き紗那を横目で見つめる。
「ふん、そなた、そういう趣味か…」
「ちがいますっっっっ!!」
今度は紗那が顔を真っ赤に染める番だった。グラグラと揺れ続ける馬の上で負けじと言い返す。
「忠刻様こそ、その、自分で言うなんて…」
この二人、周りが見ればさぞかしもどかしすぎて苛立ちを感じるであろう。だが、それに全く気付かない天然二人は言葉を失い、再び無言になる。
先ほどとはまた違った意味で気まずくなった。両者とも何を言ったらいいか分からず黙り込む。
その気まずい空気を救ったのは視界の端に映った城の門だった。到着だ。
「そっ…そろそろ着いたようね!」
「そっ…そうだな!さっそく馬を止めねば…」
忠刻がそう言い手綱を振り上げた時だった。前方から疾風のごとく三木之助が駆け抜けてきたのは。
「忠刻様――――!!」
叫ぶ三木之助の顔面を見て二人は硬直した。彼は汗と鼻水と涙でグチャグチャだったからだ。
「一大事で御座います!」
お前の顔の方が一大事だよ、と両者は心の中で絶叫したがあえてスルーすることに決めた。
「というか、お前止まらなければ馬にひかれ…」
忠刻が忠告した時にはすでに遅く、『ぷちゅっ』という世にも悲しげな音とともに馬の下敷きとなる。
馬上の2人はどうして良いか分からず、とりあえず馬を止めることにした。
「……忠刻様、これ生きていますか…?」
「…分からん放置だ、放置」
チーン。三木之助、絶命。2人は静かに両手を合わせた。
「ふざけないでくださいっっっ!!」
「あ、起きたヨ…」
ものすごい勢いで忠刻につめよると大きく息を吸う。
「と・に・か・くっ!!あれを御覧くださいませ!!」
三木之助は大きく手を広げると真後ろを指差した。
だが、三木之助のがっしりとした腕が邪魔で肝心の物がよく見えない。紗那は身を横に反らして遠くを見つめる。
「!?」
それは、すぐに目に入った。
城の敷地内にある森。その森の中心から天に向かって真っ直ぐに駆け上がる黒い煙。
「たしか、あそこは―――」
さっきまで資料を探しに探索していた神社。重大な、神力に関する資料の宝庫。
――その神社がある場所の辺りで、黒い煙が上がっている。
時折混ざる駆けつけた人々の細い悲鳴。
「紗那、行くぞっ!」
突然腕を強い力で引っ張られる。気がついた時は馬上だ。忠刻も状況を察したのだろう、馬のまま城内へと突入する。
「た、忠刻様、馬をお下りになって…」
慌てて注意する三木之助の横を脇目もくれずに疾走する。紗那は振り落とされるのではないかと思い、忠刻の背中を掴む力を強めた。
風が髪や頬を撫でてゆく。周りの景色など見る余裕もない。と、いうか速すぎて何も見えない。
あっという間に馬は赤い鳥居の前で停止する。忠刻がハアハアと息を切らせた。
全力疾走したからだと思ったが、違う。目の前の光景を目の当たりにしたからだ。
「何だ、コレは……」
忠刻の背中ごしにその光景を見た紗那も、思わず口元を覆った。
――その絶望と驚きで満ち溢れた赤い瞳に映るのは、炎を高々と上げて全焼している神社。火の海に囲まれている神社はもうその原型を留めていない。
炎の影響で紗那の頬や髪、全身が赤く染まる。時折混ざる「パチッ」という火と火がぶつかり合う音が聞こえるたびに炎は威力を増していった。
――もう、炎を消すことは不可能だ。
クッ、と唇を噛んだ。悔しい。何故、こんなことになってしまったのか。
これは自分のせいだ。
忠刻がかけてくれた優しい言葉さえも、今は自分を貶める卑劣な言葉にしか感じない。
自己嫌悪、という単語が脳をよぎった。まさに、今がそうだ。
隣の忠刻ががっくりと腰を下ろす。違う、腰がぬけたのだ。彼の拳が地面に直撃する。
「何…故…」
彼は、自分よりも数倍の悔しさを感じているはずだ。ギリ、と歯の鳴る音が響く。紗那はそれを見ないようにして顔を伏せた。
――彼の手の甲からは、拳を地面に激しく叩きつけたため血が滲み出ていたからだ。
「一体…奴は私からどれだけ大切なものを奪えば気がすむのだぁっ!!」
もう一度、地面を叩く。開いた傷口からはさらに真っ赤な血が広がっていた。
もう、やめて。
これは自分の責任だ。自分がやったことには、自分で立ち向かう。
紗那の目には一つの迷いもない。キッと、伏せていた顔を上げると炎を見つめる。
そして、彼女はゆっくりと歩を進めた。忠刻が止めようと気づいた時にはもう炎の一歩手前だ。間に合わない。
彼女は、炎の中へと消えた。激しさを増し、燃え盛る炎の中へ。
「紗那――――――っ!!」
忠刻は追いかけようとしたが三木之助に肩を掴まれる。ふりほどこうとするがさすが藩主の護衛役だけあって力は強い。無駄だ。
「なりませぬ!忠刻様!」
「だが、紗那が…!」
「いけません!!」
ぐい、と三木之助は忠刻を引き寄せた。真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
「あなた様はこの姫路の藩主でございます。こんな所でみすみす命を亡くすことは私が許しません、それをお忘れなく」
「チッ…」
思わず似つかない舌打ちまでしてしまった。放せ。
私の手を、放せ。
藩主?それが何だ。一人の少女が炎へと飛び込んだのだ。助けなくてどうする。腰抜けが。
「……なせ」
「え?」
「私の手を放せと言っている!!」
瞬間、三木之助は主の全身から発するすさまじい殺気に思わず目を見開いた。普段の穏やかな気性からは想像できないほど目がつり上がっており、三木之助を捉えたまま目を逸らそうとしない。
一歩でも動けば殺す――そんな言葉がどこからか聞こえてくるようだった。冷たい冷酷な瞳。その整った顔からは何の感情も読み取れない。
「あ…」
足が震えて三木之助は体制を崩す。――これは、誰だ!?
その隙を忠刻は身のがすはずもなく、手を振り払うと歩き出す。その姿はまるで炎を操るような悪魔そのもの。
三木之助は茫然と地べたに腰を下ろしたまま、炎の中へ消えていく忠刻の背中を見つめ続けた。
本っ当にスミマセン!!更新すごく遅れました。
何気にユーザーページを開いた私は腰をぬかしました。
最終更新が一か月以上も前…
こうして、やっとこさ危機感を感じた私は(遅い!)執筆に取り掛かったというわけです。
紗那 「まったく間抜けよね。どうせ『夏休みだから』とかいう理由で遊びまくってたんじゃないの?」
忠刻 「で、気が付いた時にはすでに遅く、この有様というわけか」
ハイ…それは本当にすみません…うん…
自分でも単純だということは理解しています。(汗
政朝 「しかもさ~執筆してる時に兄上の口調を間違えてて慌てて書き直してたよね」
忠刻 「…本当か?どこでどう間違えていた」
政朝 「兄上の一人称って『私』でしょ?でも、この間抜けな作者は『俺』って書いてた気がする」
言うな――――――――っ!!しょうがないでしょ!しばらく更新してなかったんだから忠刻様の口調なんて忘れて当然!!
フーッ…なんかこの感じ久々です。意外と長くなってしまったので、このあたりで。




