第六十九話 アシュラ・センジン④
翠玉色の瞳をしたウルは、アシュラ・センジンに向かって歩き出す。その歩みは、これから戦いを繰り広げようとしている人間とはとても思えないほどに、軽やかというか、自然体というか、隙だらけというか、妹を殺した人物への兄による敵討ちといった雰囲気を微塵も感じさせなかった。顔は、怒っているでも悲しんでいるでも笑っているでもない表情をしており、彼の顔の状態を最も分かりやすく言い表すとすれば、何も考えずに何も感じていない顔だった。妹が死に第二の師匠も死んでいるのに、何も考えず、何も感じないなどありえないことだと普通は思うだろう。しかし、彼の身には、トラメが死んだことでありえないことが起こっていたのだから、ありえないこともありえないことではなかった。アシュラ・センジンは、ウルが自分に近づいてくるのをただ待っていた。戦闘兵器と化した彼の体は、この男が近くにくるまで下手に動いてはいけないと判断していた。ウルは、立ち止まる。アシュラ・センジンとの距離は、三十センチもない。ひとたびアシュラ・センジンが刀を振り下ろせば、彼は避けることなど無理であろう、距離だった。ムサネとミソラも、ウルがいつその悲劇に見舞われるかと思うと生きた心地がしなかった。だがウルは、涼しい顔でアシュラ・センジンの顔を見つづけた。ウルが全く動く気配を見せなかったことで、アシュラ・センジンはしびれを切らしたのか、腕をピクッと動かした直後に、前十本の刀をウル目掛けて一気に振り下ろした。だが彼の刀は、肉を切り裂く感触も伝わらなければ、当然、血もついていなかった。避けられたのか、あの至近距離で?アシュラ・センジンの体がそう感じていると背後に気配を感じた。彼は後ろを振り返るのと同時に刀を数本振った。今度は、真っすぐではなくそれぞれバラバラな方向へと刀を動かしたが、これもさきほどと変わらず、空を切るだけとなった。ムサネとミソラは、アシュラ・センジンの至近距離の攻撃を軽く避けるウルのことを見て、彼の身に何が起きているのかと考えを巡らせていた。ウルは、自分たちの中で特別強いわけではないし、決め手に欠けるという意味では、他の誰よりも戦闘面で劣る存在と言えた。それに、身のこなしも特別優れているわけではない。にもかかわらず、自分たちやヒコイ・ルミクが手も足もでなかった、男の攻撃をやすやすと受け流しているのだ。そしてしばらくして、ウルの髪の色が黒ではなく、灰色になっていることに気づいた。それを見てムサネとミソラは、彼の身に何か異常なことが起きているのだと確信した。アシュラ・センジンが再び振り返ると、ウルがその場で突っ立って遠くの景色を眺めていた。“神技”により感情は除外されたはずの彼だったが、この時は自分のことをまるで意に返さないウルに対して怒りを感じたかのように、彼に向かって二十本の刀を振り回し続けたり、連続で突きを行ったりした。空気を裂く鋭利な音が、重なり合って、丘に響き渡る。到底避けられるはずのない熾烈な攻撃。しかし、ウルは体を軽く右に左に動かすだけで、一度も掠りもせずに、その剣撃をすべてかわしたのだ。アシュラ・センジンは、刀を振るスピードを上げた。残像となって二十本の剣がさらに増えているように見えるくらいに、凄まじい速さを出した。だが、その攻撃も彼には当たらない。そして、ウルは一瞬で姿を消し、アシュラ・センジンから二メートルくらい離れた所へと立った。アシュラ・センジンは、なぜ攻撃が当たらないのかまるで分からなかった。だが、いくら考えたところで、思考力がほとんどない彼がその解にたどり着くことは決してないだろう。ウルの身にはそれだけ、複雑で特殊な現象が起こっていたからだ。その原因とは、トラメの“神技”による影響だった。そう、彼女は神エデンから“神技”を授かっていたのだ。ウルはおろかトラメ自身も知らなかったことだ。それも無理からぬことで、彼女の“神技”は、彼女が死を迎えたと同時に発動する能力であったからだ。ゆえに彼女も死んだと同時に自分が“神技”を持っていたことを自覚し、その能力を知るに至った。トラメの“神技”は、“幽体心合”。死の瞬間に触れていた人間と融合し、その心に住まうことができるというものであった。第一の発動条件は、命がつきること。第二の発動条件は、その際に生きた人間に触れていることだった。ウルはトラメのことをずっと抱きしめていた。よってウルとトラメは融合し、今に至ったのだ。さて、ここで疑問がひとつ出てくるが、融合とはいったいどこまでのことを指すのか。精神は?肉体は?この答えは、その時によりまちまちといったところだ。バリエーションとしては、大きく分けて三つある。一つは、通常状態の“幽体心合”。この時は、肉体の外見及び操作をしているのはウルであり、精神にトラメが同居している形だ。はたから見れば普段のウルとなんら変わりない。だが、トラメの運動能力や身体組織の影響を受けている。影響を受けている一つとしてウルの“神技”があげられる。彼の“危険察知”は心臓の鼓動により危険を察知することができるというものだが、心臓が過度に動くため負担がかかり、使用し続ければ最悪の場合、命を落とす危険を伴う欠点があった。それが、心臓ではなく幽体となったトラメの精神が危険を察知するという仕組みに変わっていた。しかも融合しているため、トラメが察知した危険をウルは自分が察知したように感じ取ることができていた。つまり、“危険察知”の欠点が丸々なくなったといえる。しかし、ウルの心臓が過度に動かないために、戦闘中に彼の体の“神細胞”が急増するということは、できなくなった。ただ、トラメの“神細胞”の影響を受けて、通常時でも、少なかったウルの“神細胞”はかなり数が増えていたのだ。よって彼が“神拳”を撃ち損じる可能性は少なくなり、他の“神拳”を習得することも現実的となった。ちなみにこの状態のウルとトラメの融合の割合を示すとすれば、八対二といったところだ。二つめは、現在の状態である“満力幽体心合”だ。この状態は、ウルとトラメの潜在能力がそれぞれ限界まで引き出されているうえ、各々の良い部分だけを集めた、まさに究極の戦士といっても過言ではないほどの力を持っている。融合の割合で言えば、十対十といったところだ。まず外見は、ウルとトラメが交じり合ったような姿をしている。瞳は青色と黄色が混ざって緑色になっており、髪は、ウルを基準にすると少し伸びており、黒と金色が混ざった灰色をしていた。背恰好もふたりの中間だ。そして戦闘における特徴として、ウルとトラメ両方が習得している“神拳”を使えるという点があげられる。現在でいえば、“風虎神拳”と“雷兎神拳”だ。そしてもちろんウルの“神技”も使える。さきほどアシュラ・センジンの攻撃を容易く避けたのは、“雷兎神拳”と“危険察知”の力がフルに発揮されていたからだった。まず、“雷兎神拳”の“雷嵐”。これは、電気を体内に流し続けることで身体能力を数倍に底上げするというもの。これにより、アシュラ・センジンの動きに負けないくらいの速さで動くことができた。ただ、これだけでは早く動けても、相手の攻撃を見切れなければ宝の持ち腐れになってしまう。そこでそれを補ったのが“危険察知”だ。“満力幽体心合”により、ウルの“神技”の潜在能力が引き出されたことで、危険を察知した瞬間に、自動的に体が避けてくれるといった新たな能力を身に着けていたのだ。名付けて“危険察知《自動》”。つまり“危険察知《自動》”で敵の攻撃を避けるために“雷嵐”で身体能力をあげたということだ。このふたつは、お互いになくてはならない、最高の組み合わせといえるだろう。だがこの、究極の戦士にも弱点があり、それはこの状態を長く続けることができないということだ。もし長時間、このままの状態でいると、ふたりの精神や身体が完全に一体化して元に戻れなくなってしまうのだ。ウルでもなく、トラメでもない存在へと変わってしまう。ふたりにとってそれは望まないことだった。それゆえ、自ら時間に制限をかけることにしたのだ。現在だと、およそ五分といったところか。そして最後のバリエーションとして、“変換幽体心合”がある。これは、心の住人、つまりトラメがウルの体と精神を乗っ取るというものだった。姿形は、まんまトラメとなり、ウルはトラメの精神と同居する形となる。これも長時間行うと、元に戻ることができなくなってしまう。以上のことがトラメの“神技”によって起こったウルの変化である。ふたりは新たな、ウルトラメという戦士の姿を手に入れたのだった。そんなことを知る由もないムサネとミソラが見守る中、ウルトラメは、初めて自ら、アシュラ・センジンへと攻撃を仕掛けようとした。アシュラ・センジンは、体の全方位に刀を向けて迎撃態勢をとった。ウルトラメは、棒立ちのまま右手を背中から前にねじるように突き出した。
「“風圧”」その静かな一言と共に、手のひらから細長い風の塊が放出されて、アシュラ・センジンの体を後ろへ吹き飛ばした。彼は空中に投げ出されて、抵抗しようと刀をハチャメチャに動かす。その下をウルトラメは走り、跳びあがる。当然、アシュラ・センジンは、彼に向かって刀を振るが、それをウルトラメは“危険察知《自動》”で避け、腹に向かって一撃を放つ。
「“雷底”」バリィィィィッッッ!!と電気を帯びた掌底がアシュラ・センジンを襲う。そして数秒痺れて動けなくなったところへ、ウルトラメの“雷嵐”により、腹や胸、二つの顔と大量に生えている腕に向かって拳の連打が浴びせられた。ドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカッ!!!あのアシュラ・センジンがなすすべなく滅多打ちにされている光景を見て、ムサネとミソラは、口をあんぐり開けていた。「どうなってるのよ、ウルは・・・・」とムサネ。「分からないけど、勝てるかもしれない・・・・」とミソラが言った。だが戦闘のためだけに生きているアシュラ・センジンは、そうたやすくは勝たせてくれない。電気で痺れる体を気合で動かし、ウルトラメに向かって刀を振った。ウルトラメは、その反撃も“危険察知《自動》”で避けることができ、そのまま一旦彼と距離をとることにした。いくつものあざを作り、二つの口から血を流しているアシュラ・センジンは、休むことなく、いままでと違った動きを見せた。左右に四本ずつ、計八本の刀を持つ手首を三百六十度しならせてそのスピードを上げていった。ほどなくして、八本の刀がグルグルと高速回転しだした。かなりの握力と手首の柔らかさを必要とする技。おそらく手首の骨は折れており、腕の力で動かしているのであろう。折れてもなお、刀を離さないのは”神技”による、戦闘への執念だろうか。自らの身体を顧みない技だが、アシュラ・センジンは、なんなくこれをやってのけた。彼の体には、八個の巨大扇風機の羽が張り付いているような、状態となった。触れればひとたまりもないだろう。このようなトリッキーな攻撃を仕掛けてきたところを見ると、彼はこの戦闘を楽しみだしたのではないかと思えてくる。ウルトラメは、彼の刀を回し続ける様子を見て、近づくのは得策ではないと判断した。遠距離からの攻撃をするために体を動かし電気と風の両方を溜める。滑らかに腕を動かしつつもそれを体に擦れさせる。次に、増幅した電気と風を両腕に込め、胸の前でねじらせるように突き出す。そして、外側に弾くように前方へ溜めた力をすべて押し出す。それにより、ウルトラメの手のひらからは大竜巻が繰り出され、なおかつその風には電気が乗っていた。アシュラ・センジンは、避けようとしたが、ものすごい力で腕を回転させていたため本来の素早い動きができずに結果、大竜巻に巻き込まれてしまった。竜巻の中心に吸い込まれながら、体を麻痺させる電撃を浴び、そのままヒコイ・ルミクの道場へとぶつかった。激音を立てて、建物が半壊し、その瓦礫がアシュラ・センジンを埋め尽くした。いまのは、“風竜”と“雷鳴”を組み合わせた技。ウルトラメは、“風虎神拳”と“雷鳴神拳”を同時に繰り出すことができていた。名付けて“風雷兎虎神拳”。先ほどの技を命名するとすれば、“大風竜大雷鳴”だとウルトラメは心の中でドヤった。瓦礫を押しのけて砂埃を切り払いながらアシュラ・センジンは立ち上がった。すると、だらんと下がっている八本の腕を他の腕の刀で切り落とした。そして、傷口から新たな腕が生えてきて、落ちている手から刀を拾い上げた。なるほど、傷口からも新たな腕が生やせるために、あのような無茶な技を繰り出したんだな、腕が生やせるのにも限度はあるだろうが、キリがないかもしれない、ここはやはり胴体を貫くしか方法はないか・・・とウルトラメは、軽い眼差しをアシュラ・センジンに向けていた。
「アシュラ・・・・センジン・・・・・」そう声に出した彼は、相当なダメージを受けているはずだが、感情を表に出さないので、効いているのかも、疲れているのかも全く分からなかった。だが、どちらにせよウルトラメがやることは変わらない。目の前の強敵を全力の技で倒すことだ。“満力幽体心合”のタイムリミットも迫ってきている。ウルトラメとアシュラ・センジンは、同時に走り出した・・・・・・。
ウルトラメ対アシュラ・センジン!!
勝者はどっちだ!?
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