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8  最初の夜

 王族の食事というだけあり、夕食は豪華だった。


(明日からは、量を減らしてもらおう……)


 食事の後、一人で風呂に浸かりながらサンドラはため息をついていた。


 王子妃ともなると普通ならば入浴の際にメイドが付くものなのだが、離宮の四階には女性使用人が立ち入らないことになっている。

 だがそもそもサンドラは自分のことは自分でできるので、パーシヴァルの過ごしやすさ優先ということで身の回りのことは基本的に自力で行い、夜会などに出席する際の着付けやメイクなどだけは他人に任せることにした。


 離宮の料理人たちは第二王子妃の初めての食事ということで腕を振るってくれたようだが、どれもこれもとにかく量が多かった。パーシヴァルは「残していい」と言うが、根っこが職業婦人のサンドラとしては提供された食事はできるだけ残したくなかった。


 ……とはいえ早々に限度が来てしまったので、白旗を揚げることにした。

 なお、パーシヴァルは従兄弟たちよりずっと細身だが食欲旺盛のようで、サンドラが食べられなかった分もぺろりと平らげてしまった。


(お風呂まで、豪華だなんて……王族ってすごい)


 つやつやのバスタブを撫でながらそんなことを思うが、ああそういえば自分はもう王族なのだった、と今更気づいた。


(私が王族……ねぇ)


 バスタブの縁に後頭部を預けて、天井を仰ぐ。

 王子妃専用のバスルームは、天井まできれいだ。あのシャンデリアを掃除するのは骨が折れそうだ、と王城使用人の頃の癖で考えてしまう。


(今頃、パース様もお風呂に入られているのかしら)


 考えるのは、本日結婚生活一日目を一緒に送った夫のこと。


 金色の髪に青色の目のパーシヴァルは、まさに絵本の中に出てくる王子様そのものだ。

 子どもの頃、絵本を読んでいて「おうじさまって、どんなひとかな?」と従兄に問うと、「そりゃあ、俺のような人だろう!?」とマッスルポーズを決めて言われた。子どもながらに、そんな王子様は嫌だな、と思ってしまった。


 本物の王子は、優しくて穏やかそうな人だった。

 ……ただし、まだ「そうな」が付くくらい、サンドラはパーシヴァルのことを知らない。


(私たちの関係は、契約に則ったもの。でも、パース様のことを何も知らないのは寂しい……)


 ふとそんなことを考えてしまい、口元まで湯に浸かっていたサンドラははっと起き上がった。


(い、いやいや、これはやましい意味ではなくて……そう! 相手のことをよく知っていないと、いざというときに困るもの!)


 彼が何を好きで、何が嫌いなのか。

 趣味が何で、どんな癖があるのか。

 彼のことをいろいろ知ってこその、優秀な契約妃なのではないか。


(……よし! ご多忙だろうから無理はできないけれど、パース様との時間をしっかり取ってあの人のことをよく知ろう! ……それから)


 もし、よかったら、でいいから。


 パーシヴァルにもサンドラのことを知ってほしい、と思えた。










 サンドラはなるべく風呂に入る時間を短くして急いで着替え、自分の髪を拭くのもそこそこにパーシヴァルの部屋に向かったのだが、そこで待っていた男性使用人は「殿下はまだ入浴中です」と微笑みながら教えてくれた。


「まずは、サンドラ様が御髪を乾かさなければなりませんよ」

「そ、そうですね」

「残念ながら、私ではサンドラ様の御髪を乾かすことができなくて……申し訳ございません。私としても、殿下の嫉妬は買いたくありませんので」


 彼からふわふわのタオルを受け取っていたサンドラは、その言葉に「ん?」と首をかしげた。


「嫉妬……ですか?」

「ええ。殿下も、結婚したての奥方の髪に他の男が触れたとご存じになったら、さぞ妬かれるでしょうからね」

「……私たちは契約結婚なのだから、それはないのでは?」

「分かりませんよ? とにかく、殿下が拗ねられる可能性を作ってはなりませんのでね」


 三十代半ばと思われる使用人は明るく言うと、退勤の時間らしくて部屋を出て行った。

 彼からもらったふわふわタオルで頭を包んでソファに座っていたサンドラは、改めて首をかしげる。


(嫉妬、嫉妬……されるのかしら?)


 だが確かに、一応サンドラは「パーシヴァル王子のもの」になったのだから、自分のものに勝手に触れられたらパーシヴァルも怒るだろう。嫉妬、というよりも所有物に対する管理の気持ちだろうが。


 ふわふわタオルは吸水力もばっちりで、何度も髪を押し当てているとすぐに乾いてきた。


 サンドラの髪は癖の少ない赤茶色で、下ろすと背中までの長さがある。結婚するまでは背中に流すことが多かった髪は、今日から結うようにしていた。

 人の妻になった証し、ということなので、首筋をさらすような髪型をするのは誇らしい反面、少し気恥ずかしいような気もしている。


 しばらくすると、バスルームに続くドアが開いてパーシヴァルが出てきた。


「……ああ、もう来てくれていたのか」

「気が急いてしまい、早く来すぎてしまったようで……」

「そうか。君は女性だし髪も長いから、もっとゆっくり入浴すればいい」


 そう言いながら、パーシヴァルはこちらにやってきた。


 彼の金髪も元々癖が少ないが、今は湯上がりのためかいっそうぺたんとしている。夏の室内着にふさわしい半袖シャツに綿製のパンツという出で立ちの彼は、シャツの胸元のボタンも二つほど外している。


(きっと、こういう格好をしたいとずっと思われていたのよね……)


 サンドラがしげしげと見ていると、隣に腰を下ろしたパーシヴァルがはにかんだ。ふわり、とサンドラがバスルームで使ったのとはまた違う石けんの匂いが漂う。


「……これまでは季節も時間も問わずずっと長袖だったから、このような薄着は少々心許ない気もするな」

「ですが、やはり過ごしやすいですよね?」

「ああ。……本当に、気が楽だ」


 ふう、と息をついたパーシヴァルは、湯上がりということもあってなかなか色気がある。

 なるほど、妖精の血に耐性のあるサンドラでさえついどきっとしてしまうようなのだから、これを無耐性の女性が見たらむしゃぶりつきたくなるのも分かるかもしれない。


「では、御髪を乾かさせていただきますね」

「ああ、頼む。……私の髪は、乾かしやすい方だとよく言われる」

「そうなのですね」


 ソファから立ち上がったサンドラは先ほど渡されたふわふわタオルの新品を手に、パーシヴァルの背後に回った。そしてまだしっとり湿っている金髪にタオルを押し当てて、水分を拭っていく。


「……サンドラの手つきは、優しいな」

「えっ。もっと強い方がいいですか?」

「いや、今のままでいい。……優しくしてくれるから、なんだか眠くなってくる」

「ええと……さすがにここで寝たらお風邪を召されてしまうので、乾かし終えるまでは頑張ってくださいね?」

「ああ、頑張る」


 パーシヴァルは、こっくりとうなずいた。意外と幼い動作だが、もしかすると彼は眠いときには若干言動が幼くなるのかもしれない。


 それはきっと、サンドラ以外の女性が知らないだろう、パーシヴァルの秘密。


「……あの、パース様」


 ふわふわタオルでパーシヴァルの髪を拭きながら、サンドラは言う。


「私、さっきお風呂に入りながら思っていたのです。私たちは契約結婚した関係ですけれど……それでもやっぱりお互いのことを何も知らないのは寂しいから、私はパース様のいろいろなことを知りたいと思っています」

「私の? ……だが私はよく、つまらない男と言われるくらい、おもしろみがないのだが」

「え、そうなのですか?」

「無個性だ、と言われるな」

「なるほど。じゃあ、それもパース様に関する新情報ですね!」

「えっ?」


 振り向こうとしたパーシヴァルに「じっとしていてくださいね」と声を掛け、サンドラは言葉を続ける。


「いえ、あなたが無個性かどうかの真意は分からないのですが……私にとっては、あなたが無個性だと言われるということでさえ新情報なのです」

「……こんな情報を得ても何にもならないと思うが?」

「そうですか? でも……ほら。無個性だと言われているパース様が実は無個性ではなかった、みたいな発見が後から分かるかもしれないじゃないですか?」

「……」

「どんなことでもいいから、あなたに関することだったら私にとっては大発見なのです。だから――あ、あの、パース様?」

「……ああ、すまない。あまりにも斬新な発想だったもので」


 パーシヴァルの両肩が小刻みに揺れているから何事かと思ったら、彼はくふっと小さな音を立てて噴き出した。笑っていたようだ。


「……だが確かに、君の言うことにも一理ある。こうなったら、私のことを無個性だと称した者が驚くほどの変化をしてみなければ、と思えるな」

「いいじゃないですか! それ、私も応援しますね!」

「ありがとう。……でも、私も同じだ」

「何がですか?」

「……私も、君のことをほとんど何も知らなかった」


 パーシヴァルのつぶやきに、サンドラは髪を拭く手を一瞬止めてしまった。

 それは、先ほどバスルームでも考えていたことだった。


「……でも、今君のことを一つ――いや、二つ知られたよ。一つは、君に髪を拭いてもらうととても気持ちいいということ。もう一つは……君と話していると、とても楽しいということ」


 言葉を失うサンドラを、パーシヴァルは振り返り見た。まだ少し湿っている金色の前髪の向こうで、青色の無邪気な目が輝いている。


「私は君の、夫だからね。妻のことなら何でも知りたいし……もし他の誰もが知らない君のことが分かったなら、とても嬉しいだろう。だから、これから君のことをじっくり知らせてもらおう」

「ひえっ……!?」

「いいかい?」

「……も、もちろんです」


 いきなり色気のある眼差しで宣言されたので驚いてしまったが、まさか「嫌です」と言えるはずもなくサンドラはこくこくうなずいた。


 サンドラはパーシヴァルのことを知りたいし、彼にも自分のことを知ってもらいたいと思っていた。


 だが……パーシヴァルの方も、同じように思ってくれるだなんて。

 とても嬉しいが……同時に少しだけ、気恥ずかしくもある。


(……な、なんだか前途多難な予感……)


 サンドラは慌てて、「まだ乾いていません!」と裏返った声を上げて、パーシヴァルに前を向かせた。


 そうしないと、うかつにも熱を放っており赤くなっているだろう顔を、見られてしまうから。

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