5 第二王子の悩み②
「契約結婚……ですか?」
サンドラが慎重に問い返すとパーシヴァルはうなずき、傍らのロイドが一歩近づいてきた。
「この件については、国王陛下王妃殿下並びに王太子殿下ご夫妻も賛同なさっている。だがまずはエドモンズ嬢のお気持ちが一番ということなので、簡単に説明させていただきたい」
「は、はい。お願いします」
「パーシヴァル殿下がお望みなのは、外交や日常生活などで殿下をお支えできる妻の存在です」
先ほどの説明でもあったように、パーシヴァルはその体質ゆえ軽々しく女性を近づけられない。だがこれでは、結婚相手を探すのにも一苦労だ。その点、サンドラには耐性があるためパーシヴァルに近づいても動悸を起こしたり恍惚状態になったりしない。
パーシヴァルに必要なのは、夜会や外交などに連れて行ける妻だ。パーシヴァルの腕に掴まり寄り添っても心を乱さずにいられて――なおかつ、他の女性が夫に近づかないように牽制できる女性でなくてはならない。
また、今は彼の身の回りのことを全て男性使用人が行っているが、それにも限度がある。そこで妻が彼の日常生活での補助も行えば、多くの者たちの負担軽減にもなる。
もちろんその負担をサンドラが背負うことになるが、パーシヴァルひいては王家はその保証をきちんと行う。サンドラや実家には相当の資金を提供し、彼女が自由に過ごせる時間も確保する。王子妃や王弟妃としての公務などはできるだけ減らし、サンドラが身体的精神的に摩耗しないように注意する。
王太子夫妻にはいずれ子が生まれるから、パーシヴァルとサンドラが子を作る必要はない。もし後々に二人の気が合って子を持つことを望むのならばそれはそれで結構なことだし、契約結婚としてのあり方を貫くのであればそれでも問題ない。
伯爵の姪というのは王子妃としては若干身分の差があるが、もしサンドラの両親やエドモンズ伯爵が同意するならばサンドラを伯父の養女とするという手がある。
あくまでも書類上の関係なのでサンドラは両親とこれまでと同じように接せられるし、伯爵令嬢になることでパーシヴァルと身分が釣り合うようになる。
パーシヴァルとサンドラは、お互いに利益のある夫婦として契約を結び、結婚する。
それを、王家が提案しているということだ。
(……なるほど。理にはかなっているわね)
ロイドから一連の説明を聞いたサンドラは、小さく唸った。
サンドラや伯爵家からすると、悪くないどころか破格の待遇だ。
言ってしまえばこれまでは王城使用人だったサンドラが第二王子専属の使用人になるようなものなので、相応の金はもらえる。子作りなどを強制されることはなくある程度の自由が保障されるし、王家から頼まれた縁組みなのでサンドラが誰かにひがまれたりいじめられたりしないよう、国王や王太子たちがガードしてくれる。
さらにロイドは、サンドラが王城での生活で困ることのないように助っ人を準備すると言ってくれた。
「……失礼ながら尋ねるが、エドモンズ嬢はおいくつで?」
「今年で二十歳になりました」
「ならば、年齢的にも私の妻がちょうどいいだろう。妻も侯爵夫人としての生活だけでは退屈しているようなので、お互いにとってよい影響があるのではないか」
ということは、ロイドは侯爵だったようだ。若く見えるが、相当な実力者なのだろう。
「奥様にご迷惑をおかけすることになるでしょうが、よろしいのですか?」
「迷惑どころか、あいつは喜んで了解してくれるだろう。元々世話焼きだし、私一人では相手をしきれないくらい元気なやつだからな」
「ロイド、相変わらずアーシュラの尻に敷かれているのだな」
「殿下は黙っていてください。……して、エドモンズ嬢。あなたとしてはこの件についての感触はいかがだろうか」
ロイドに問われて、サンドラはしばし考えた後に顔を上げた。
サンドラは、伯爵を伯父に持つだけの平民だ。平民の娘ごときが、王族からの提案を易々と断れるはずがない。
……そういう現実的な問題もある。
だが、それだけでなく。
(私は、パーシヴァル殿下の力になってみたい)
サンドラは、自由に生きてきた。……たまにアガサのような意地悪な者に当たられることはあったが、それでもこれまでやりたいように生きてきた。
だが、パーシヴァルはそうではない。
妖精の血かなんだか知らないが、彼は生まれた瞬間から生き方を制限されてきた。確か今年で二十一歳かそこらだったはずだが、これまでの人生で何度も理不尽な壁に当たってきたことだろう。
哀れみ、とかではない。
ただ単に、「この人の力になりたい」「今まで自由を与えられていた分を、今度はこの人に与えたい」と思えた。
(それになんとなくだけれど、パーシヴァル殿下となら大丈夫、って思える。だから……)
「……お話、お受けしたく思います。両親や伯父に、相談させてください」
「エドモンズ嬢……! ありがたい、よろしく頼む」
顔に喜色を浮かべたパーシヴァルが身を乗り出し、右手を差し出してきた。
手袋をはめていない、素の右手。
手のひらも皮膚の一部であるから、彼はこれまでにおいそれと手のひらをさらすこともできない生活を送ってきたのではないか。
そんな彼の手を、サンドラは動揺せずに見つめられる。
魅了の力で翻弄されずに――握ることができる。
「こちらこそよろしくお願いします、パーシヴァル殿下」
握った手は大きくて頼もしかったが、やはり従兄弟には敵わなかった。
サンドラは仕事の休みをもらい、エドモンズ伯爵領に戻った。だが一人ではなくて、第二王子パーシヴァルやロイド、そして大勢のお付きを連れての帰郷である。
話を聞いた両親や伯父たちは、たいそう驚いた。パーシヴァルの体質のことはなるべくおおっぴらにしたくないのである程度の偽設定を盛り込みつつの説得になったが、最後には「サンドラが同意するのならば」と言ってくれた。
サンドラとしても、王家の庇護がばっちりの上でパーシヴァルと契約結婚をすることに全くの異論はない。これまで王城で働いていたのが王子の専属に変わるだけだ、とからっとして言うと、伯父たちもあきれかえっていたが。
かくしてサンドラが伯父の養女になってパーシヴァルの妃になることが決まり、それに際して二人はいくつかの決まりごとをした。
・公の場では仲睦まじい二人を演じる
・お互いのプライベートを守る
・何かあれば随時相談し、二人で解決する
・必要以上の身体接触を行わない
などである。
二人の結婚は、あくまでも双方に利益のある契約的なもの。言うならば二人は、仕事仲間といったような間柄だ。
サンドラは王子妃としての役目を果たしてかつ、私的な面でもパーシヴァルの補助を行う。パーシヴァル並びに王家はその対価を支払いかつ、サンドラの心身の保全に努める。
物語に出てくるような、甘くて心ときめく結婚生活にはほど遠いだろう。
だが、もう夢に浸ってばかりの年齢でもないサンドラからすると、こういうのもありだろうな、とむしろ楽な気持ちで契約書を眺めることができた。
そうして二人は契約書や結婚宣誓書などを携えて、王都に戻ることになったのだが――帰りの馬車でパーシヴァルは、「確かにあれらを見慣れていたら、私なんてぺらぺらの若造だよな……」とぼやいていたのだった。
レディアノール王国第二王子パーシヴァルの婚約者として、エドモンズ伯爵令嬢サンドラの名前が発表された。
これまで女性の影が見られなかった第二王子の、電撃婚約。
どうにかして第二王子のもとに娘を嫁がせようと画策していた貴族たちは怒りに身を震わせ、我こそは男色家王子の心を射止められるはずだと思っていた令嬢たちは枕を涙で濡らした。
元々はエドモンズ伯爵の姪だったサンドラは伯父の養女となって、王城使用人の職も辞した。
そしてパーシヴァルの離宮に居を移し、王子妃となるための勉強をしながら過ごすことになったのだった。