4 第二王子の悩み①
パーシヴァル曰く、彼の体に流れる妖精の血の暴走は出生直後から始まっていたそうだ。
第二王子として取り上げられたその瞬間、王妃の出産に付き添っていた産婆やメイドたちがうろたえ始めた。産婆はまだしも、若いメイドの中には顔を真っ赤にしてうずくまる者まで出た。だが王子におくるみを着せると、一気に落ち着いたという。
その後も、異常は続いた。
王子の沐浴をしていると女性たちの多くが激しい動悸を起こし、仕事にならなくなった。老年のメイドにも軽い症状が起きたため、男性使用人が沐浴や着替えの補助をするという異例の事態になった。
……パーシヴァルが成長するにつれて、その現象は悪化していった。
服をかっちり着込んでいる間はいいが、少しでも胸元や腕を露出すると女性たちが興奮してしまう。パーシヴァルが騎士団に入って体を鍛えるようになるとますます度合いが激しくなり、上半身裸で水浴びをしているところに遭遇してしまった令嬢が興奮して飛びついてくる、という事件まで発生した。
どうやらパーシヴァルの体には、女性を惹き付ける何かがあるようだ。顔はまだしも、腕や足などを見せると多くの女性たちがぽうっとうつつを抜かし、うっかり胸元などを見られた日には正気でなくなった女性たちに襲われるということもあった。
おそらくこれがパーシヴァルの、妖精の血による能力だ。
「……。……その能力に、何か利点は?」
「ない。何一つない」
即答されて、サンドラは言葉に詰まってしまった。
なんだか、パーシヴァルの顔を見ているのも申し訳なくなってきて、うつむいてしまう。
「私の肌を見ても正気でいられるのは、ごく近い血縁者だけだった。母や祖母は平気で王家の血を継ぐ従妹にも耐性があるが、王族でない伯母や従姉はだめだった。また女性でもそこそこ耐性がある者であればふらつく程度で済むようだが、全く耐性のない者だと記憶を失うくらい必死になって私に飛びついてきた」
「……」
こういうとき、なんと声を掛ければいいのだろうか。それは大変ですね、はあまりにも冷酷だし、ご愁傷様、は違う気がする。
「だから私の周囲は男性で固められ、薄着をすることもできなくなった。……半月前にあなたに介抱されたときの私は、夏だというのに厚着だと思ったのではないか?」
「はい」
「もう君も気づいているだろうが、私は夏でも厚着をしなければならない。男ばかりの騎士団ならばよいのだが、うっかり女性が近づけば正気を失わせてしまうんだ」
(……だからパーシヴァル殿下は厚着をされていたし、女性を近づけないから、男色家の噂が流れていたのね)
いろいろな疑問が一気に解決してサンドラは唸ったが……いや、まだ重大な疑問が残っているではないか。
「ご事情は把握しました。……であればなぜ、私には妖精の血による体質が効かないのでしょうか?」
「むしろ、それを私たちも知りたいのだが……」
パーシヴァルに言われたので、うーん、と三人で悩んでしまう。
(王族の方ならある程度耐性があるようだけど、私は伯爵の姪でしかないし、お母様が王家の遠縁だという可能性もないし……)
「……そういえば殿下。先ほど、耐性のある者とない者という話をされていましたよね?」
「ああ。どちらかというと年配の女性や身分の低い女性には、耐性がある者が多いようなんだ」
「えっ、王族ではないのにですか?」
サンドラの問いに、パーシヴァルはうなずいた。
「それが不思議なんだ。一番症状が出やすいのは、独身の若い女性だ。だから、条件がそろっている君ならば一番症状が出やすいはずだ」
「あの嘘つきの女も、上着を脱いだ殿下を見ただけで恍惚の表情になっていたくらいでしたからね」
ロイドが吐き捨てるように言う。
なるほど、メイド長とアガサの嘘がばれたというのは、介抱中にパーシヴァルの肌を見たはずの本物ならば薄着程度で恍惚状態になるはずがないからだ。
(うーん……恍惚状態、ね……)
「……魅了される女性たちは、殿下の肌に興奮してしまうのでしょうか」
「そのようだ。ほとんどの者は、魅了中は記憶を失ってしまうようだな。異性の肌だから、魅了されるということなのだろうか……」
「そうなのですね。私は慣れているから、そこまで異性の肌に魅了されないですが……」
「……慣れている?」
パーシヴァルとロイドの声が、重なった。
「慣れているとは、どういうことだ?」
「……ええと。私はエドモンズ伯爵を伯父に持っているのですが、うちの家系や領地はなんと申しますか……少々特殊でして」
「特殊とは?」
「……エドモンズ伯爵家の男子や領地で暮らす男性は皆、もれなくマッチョになるのです」
エドモンズ伯爵領で暮らす男性は皆、なぜなのかは分からないがゴリゴリの筋肉を持っていた。特に変わったことをせずとも、なぜか皆マッチョに育つのだ。
伯爵領で生まれた男児だけでなく、よその町から婿養子としてやってきたひょろがりの男性でさえ、数年もすれば立派なマッチョになる。なぜなのかは分からない。
そういうことでエドモンズ伯爵領は、右を見ても左を見てもマッチョ男性ばかりだ。サンドラの父親も、伯父も、従兄弟も、祖父も、皆マッチョだ。伯母は細身なのに、三人いる従兄弟は皆マッチョだった。
マッチョ伯爵家は、なぜか男児が生まれやすい。もちろん百パーセントマッチョ男児だ。
そんな伯爵家に、数十年ぶりになる女児が誕生した。それが、サンドラだった。
伯爵の姪が誕生した日には、領内を挙げてのお祭りになったそうだ。噂では、跡取りである従兄のときよりもずっと、華やかなお祭りになったという。娘を産むという奇跡を起こした母のもとには毎日大量の贈り物が届き、床上げを終えた後は馬車に乗ってパレードもさせられたそうだ。
そんな伯爵家期待の女児であるサンドラは当然のことながら、マッチョに囲まれて育った。サンドラ本人はマッチョにならなかったが、近くにいる男性は皆マッチョだ。
サンドラは伯父一家にも歓迎され、特に伯母には「やっと女の子と遊べる!」と涙を流して喜ばれ、可愛い服をたくさん買ってもらった。
よく伯父の屋敷に遊びに行ったが、そこでもガタイのいい男たちをよく見てきた。従兄弟たちは剣術を習っていたので、彼らの稽古を観察したり怪我の手当てをしてきたりした。
……という話を聞いたパーシヴァルは、「まさか」と息を呑んだ。
「エドモンズ嬢に私の力が通用しないのは、慣れているから、なのか……?」
「一理ありますね。これまで血縁者以外で殿下の魅了に耐性のあった女性は、人生経験の長い方か身分の低い方でした。そういった女性たちなら、薄着の男性にもある程度見慣れていることでしょう」
ロイドもうなずき、サンドラを見てきた。
「……ということは、筋肉質な男性に囲まれて育ってきたエドモンズ嬢としては、殿下の筋肉はそれほど魅力的ではないのでは?」
「え、ええと……。……従兄弟たちの方が、もっと立派な筋肉を持っています」
「やはり、そうか」
つまり、である。
パーシヴァルの肌を見た女性たちが興奮するのは、男性の肌に免疫がないから。一方免疫がありまくっておりパーシヴァルの筋肉は正直「いまいち」の部類に入ってしまうくらいのサンドラであれば、妖精の血にも勝てるのだ。
(そんなことってあるの? いや、あるからこうして平気でいられるのかしら……?)
まじまじとパーシヴァルの胸元を見ていると、彼はんんっと咳払いをした。
「……私はこれでも、王族だ。王太子である兄は既に結婚しており兄嫁も懐妊中で、おそらく跡継ぎに関しては問題ない」
第一王子ゲイブリルの妃であるデジレは先日、懐妊を発表した。レディアノール王国の王位継承ルールは「長子が継承順位第一位となる」なので、生まれたのが王女だったとしても跡継ぎに関しては問題ない。
「だが私も、王族としての公務がある。むしろ兄が即位したならば、国を守らねばならない兄の代わりに私が方々に出向く機会が増えるだろう。……そのとき、王弟妃の存在が不可欠となる」
確かに、他国を訪問する王族のほとんどは配偶者を連れている。
二十代そこそこであれば独り身でも問題ないだろうが、三十歳四十歳になっても一人だとむしろ、「あの王弟は大丈夫なのだろうか」から、「なかなか結婚できない王弟を持つ王国は、大丈夫なのだろうか」となってしまう。
外交の点でも王家の面子を保つという点でも、王弟妃の存在は必要。パーシヴァルがいつまでも独り身でいるわけにはいかないのだ。
「それに、パーティーなどではダンスをしなければならず、どうしても体の距離が近くなる。厚着をしていても、物理的な距離が近くなると影響が出やすくなるようなんだ」
「では、これまではどのようになさっていたのですか?」
サンドラは第二王子の顔は知らなかったが存在は知っていたし、王子がパーティーなどに一切出席しないという話は聞いたことがない。
「これまでは、従妹である公爵令嬢に同行を頼んでいた。私とは祖父母を同じくする彼女なら、ある程度の耐性があるからな。……だが彼女ももう十七歳で結婚を考えるべき年齢だし……それにどうも、いつも嫌々付き添わせているようだ。だから、早く彼女を解放してやらねばならない」
そういえば先ほどの話でも、王家の血を継ぐ従妹にも耐性があると言っていた。その公爵令嬢が、件の従妹なのだろう。
だが、公爵令嬢本人も嫌々付き添っているのを無理強いはできないし、十七歳であれば婚約をしてもおかしくない。自分のせいで従妹の機嫌を損ねるだけでなく婚期も遅らせてしまったら、とパーシヴァルも気にしているのだろう。
「ですが、妃になるには耐性が――」
「ああ。……ということで、だ」
パーシヴァルは真剣な顔になり、まっすぐサンドラを見つめてきた。
……嫌な予感が、した。
「サンドラ・エドモンズ嬢。君さえよければ、私と契約結婚してくれないだろうか」
……嫌な予感は、当たっていたようだ。
登場人物メモ④
ロイド・ギャヴィストン(25)
ギャヴィストン侯爵。長めの茶色の髪につり眉垂れ目。
パーシヴァルの近衛騎士だが、元々は王太子の乳兄弟。