15 観劇デートへ①
パーシヴァルとのデート当日は、よく晴れていた。
普段から王族としての公務と騎士団員としての任務で多忙なパーシヴァルだが、ロイドたちがうまくスケジュールを調節して半日の休みを確保してくれたという。
そういうことでデート当日の昼にはパーシヴァルは帰宅し、彼と一緒に観劇デートをすることになった。
「計画当初だと天気がどうなるかも分からなかったから、室内で楽しめるものにしようと思ったんだ。サンドラは、あまり劇は見たことがないんだったな?」
劇場に向かう道中の馬車の中でパーシヴァルに問われたので、彼の隣に座るサンドラはうなずいた。
「はい。伯父――養父の屋敷でたまに開かれたチャリティーの観劇をするくらいでした」
サンドラは伯爵令嬢ではないので、王都の大劇場で行われるような催し物とは無縁だった。たまにエドモンズ伯爵邸で開かれたチャリティー目的の劇は素人が行っていたし、そもそも観劇にとても関心があるわけではない。
それを言ったときにはパーシヴァルは「では観劇はやめようか……」と考え込んでいたが、サンドラの方がお願いして観劇デートに決定してもらった。
王子妃ともなると、公務として有名な劇団の公演を観に行くこともある。今回は一般客としての参加になるが、いざそのような仕事が舞い込んだときにも一度観劇をした経験があれば、緊張せずに済むはずだ。
(それに……知らないことを知る、っていうのは楽しいことだものね)
「私はこれまで、令嬢としての生活は送ってきませんでした。だから、他の王族の方々よりもかなり遅れたスタートになってしまっています。その分、今からでもいろいろな経験をしておきたいのです」
サンドラが言うと、パーシヴァルは微笑んだ。
「そうか。……私の妃は、勉強熱心な努力家なんだな」
「そのようなことはございません。私は自分の役目を果たそうと思っているのですし……あと、あなたがいらっしゃるので」
「私も関係があるのか?」
「はい。あなたと一緒にいろいろな経験をしたいし、あなたが何を好きなのかとかを知りたいのです」
隣にいるのがパーシヴァルだからこそ楽しいし、もっといろいろな経験をしたいと思われてくる。
そう思って口にしたのだが、パーシヴァルは大きく目を見開いてからなぜか、ふっと視線をそらしてしまった。
「……私だから、か」
「はい。……あの、だめでしたか?」
「だめではない。だめどころか……その、すごく、嬉しい」
「えっ」
最後の方は少しもごもごとしていたが、ちゃんと聞こえた。
パーシヴァルは「格好付かないな」とぼやいてからきれいに整えられた髪を少し乱し、そしてサンドラを見て気が抜けたように笑った。
「私も、君が一緒だから楽しいよ。……隣にいるのが君なら、大丈夫。もっと広い世界に、もっと遠い場所に行きたいと思えるんだ」
「パース様……」
「……ええと、だから、その……今日は楽しもうな」
「え、ええ。楽しみましょう!」
そう言いつつも、なぜか二人ともお互いの顔を見るのが恥ずかしくなり、もじもじとしてしまったのだった。
本日劇団の公演が行われるのは、王都で最も歴史が古くて規模が大きい劇場だった。
上流貴族や大富豪たち御用達だというこのホールは、夜になっても明かりが煌々と照らされている。これまでは遠くからその明かりを見ることしかなかった建物に、サンドラは緊張しつつ足を踏み入れた。
(ふわ、すごい……! 王城に負けないくらい絢爛豪華……!)
入場手続きを終えてホールに入ったサンドラは、パーシヴァルの腕に寄り添ったままあたりをきょろきょろ見回してしまった。
巨大なドームのような形の劇場の高い天井には神々の絵が描かれ、細かなガラス細工の飾りが垂れ下がっている。
結婚の挨拶の際に訪問した王城もなかなか豪華だったが、豪華な中にも威厳と落ち着きのあったあちらと違い、こちらはとにかく美々しかった。ずっとこのホールにいると、目がチカチカしてしまうのではないだろうか。
「これはこれは、パーシヴァル殿下ではございませんか!」
パーシヴァルと一緒に歩いていると、貴族たちが挨拶にやってきた。本日のサンドラたちは公務ではなくあくまでも私的に観劇をするのだが、それでも観覧席はロイヤルボックスが用意されているし、貴族たちには挨拶をしなければならない。
ロイヤルボックス付近の廊下はやはり相応の身分の者ばかりがおり、見事な仕立ての礼服姿の貴族たちを前にパーシヴァルは被っていた帽子を外して目礼をした。
「ごきげんよう。今宵は公務ではなく、妃との時間を過ごすために来ている」
「さようでしたか! 仲が睦まじいようで、何よりでございます」
「お初にお目にかかります、王子妃殿下」
「お初にお目にかかります、皆様」
挨拶をされたら、サンドラも笑顔で言葉を返す。正直緊張で胸はばくばくしているが、パーシヴァルの腕にしがみついていると彼から勇気をもらえるような気がした。
パーシヴァルの方も、今日は公務ではないこともあって貴族たちの挨拶は最低限に済ませ、サンドラが疲弊しないようにすぐにロイヤルボックス席に案内してくれた。
(わぁ、この席だけで一部屋くらいあるし、カーテンやバーカウンターまである……)
完全にお上りさん状態になっている自覚はあるが、初めて立ち入るロイヤルボックス内をしげしげと観察していると、カーテンを閉めたパーシヴァルが小さく笑った。
「サンドラ、目が輝いているな。やはり物珍しいか?」
「はい! 見晴らしがいいだけではなくて、専用のバーカウンターとかもあるなんて知らなかったです! ……って、すみません。私、はしゃぎすぎですよね」
「いいや。これは私たちの私的なデートなのだしもう人目もないのだから、思う存分はしゃげばいいさ」
そのためにカーテンがあるのだからね、とパーシヴァルが言うので、サンドラはボックス席と外界を遮断する赤いカーテンに触れてみた。
「それならよかったです。……でもこのカーテンって、そんなに必要ですかね?」
「……あー、まあ、そうだな」
無人のバーカウンターに向かってワインを探していたパーシヴァルは少し言葉を濁した後に、「……まあ、知っておくべきだよな」とつぶやいてからこちらを見た。
「こういうボックス席のほとんどには、カーテンが付いているんだ。……なぜだかお分かりだろうか、王子妃殿下?」
少し試すような聞き方をされたので、ふかふかのソファの背もたれに手を乗せたサンドラはうーん、と考えた。
「……子連れの場合に都合がよさそう、とは思いますが絶対に違いますよね」
「はは、サンドラらしくていいな。……もっとどろどろした感じの用途があるんだ」
「……あっ、分かりました! 秘密の取り引きなどをするときに目隠しにするのですね!」
「正解。公演中は他の客たちの意識が舞台の方に向くから、裏取引をするのにもってこいだ。その他にも、極秘情報のやりとりなども行われる」
「なるほど。……ということはこのボックス席もかつては、そんな現場になったこともあるかもしれないのですね。このソファも、とんでもない事件に使われた可能性があったりするのでしょうか?」
「そうかもしれないな」
ふむ、と目を輝かせてふかふかソファを観察するサンドラを、パーシヴァルは優しい眼差しで見ていた。
……なおこういうボックス席には他にも、不倫の現場として使われることもある。
だがそれを今サンドラに言ってもいいものかと悩まれたし……なんだか彼女がよそよそしくなるような気がしたので、パーシヴァルは今のところは伏せておくことにしたのだった。