間話 第二王子の変化
パーシヴァル・レディングは、生まれたときから不幸な男だった。
遥か昔、先祖に与えられたという妖精の血。今ではおとぎ話のようにさえ思われていた不思議な力が、パーシヴァルに受け継がれていた。
……ただし、彼に何一つ利益のない形で。
幼少期から、女性から遠ざけられて育った。普通に生活する上では全く困らなかったが、当時は理由を聞かされていなかったので疎まれているようで辛かった。
……だが少し大きくなってから彼は自分の体質について教えられ、「避けられている」のではなくて、「守られている」のだったと知った。
自分の肌は、女性の心を乱してしまう。
夫に一途な貴婦人も、初々しい恋に憧れる少女も、最愛の人を亡くして打ちひしがれる寡婦でさえも、パーシヴァルは惹き付けてしまう。彼女らの理性をたやすく乱し、獰猛な欲望をかき立ててしまう。
それはパーシヴァルのせいではないし、また体質に惹き付けられてしまう女性たちのせいでもない。
誰かを恨んではならない、と家族に教えられてきたおかげで、パーシヴァルは少なくとも人間嫌いにはならずに済んだと思っている。
誰が悪いというわけではない。強いて言うなら彼の先祖と先祖にホイホイと血を与えた妖精だろうが、どちらもとうの昔に没している。既に骨すら残っていないかもしれない者たちを恨んでも、仕方がない。
なるべく女性たちに関わらずに済むように、また将来的に兄王子を支えるために、といった理由で、パーシヴァルは騎士団に入った。
レディアノール王国の騎士団は女人禁制だったので、ここでは彼も薄着で過ごすことができた……が、それでもうっかり近くに来た女性を魅了してしまうこともあり、気が抜けなかった。
パーシヴァルの近くに来ても問題ない女性は、片手の指で数えられるほどしかいなかった。
そのうちの一人である従妹のビヴァリーは、パーシヴァルがパーティーなどでの同行を頼むたびに心底嫌そうな顔をしてため息をついた。
『……本当に、厄介な体質ですこと。でも、仕方がないからお相手して差し上げますわね』
ビヴァリーはパーシヴァルよりも四つ年下だが、可愛い顔をしているわりにパーシヴァルへの当たりは厳しかった。
王子からの頼みを断れないから引き受けるものの、嫌々了解しているというのがはっきり分かったので、パーシヴァルも申し訳なかった。
今はまだビヴァリーが相手をしてくれるが、それができるのもあと数年だろう。
ビヴァリーをいつまでも拘束するのは可哀想だし、申し訳ない。彼女だってパーシヴァルのお守りなんてさっさとお役御免して、好きな人を見つけて一緒になりたいだろう。
そうは思うものの、パーシヴァルの体質と渡り合えるような女性はなかなか現れない。たまにそこそこ耐性がありそうな女性がいるが、高齢すぎたり身分が低すぎたりして、生涯のパートナーとすることはできない者ばかりだった。
自分は、近づく女性を不幸にしてしまう。
だからといって、王族としての任務を放棄することはできない。
王族は裕福な生活を送ることができるが、それは国民のために一生を捧げるという宿命と覚悟があるから。もらえるものだけもらって責務を放棄して隠遁生活を送るなんて、パーシヴァルには許されないことだった。
だが――彼はついに、見つけた。
貴族の血を引いてかつ年齢的にも釣り合い、そして何よりも――パーシヴァルの魅了に強い耐性を持つ女性を。
パーシヴァルは、悩んでいた。
美形夫妻として有名な両親から生まれただけあり人目を引くような美貌を持つパーシヴァルだが今はそのかんばせを歪めて、騎士団詰め所の脇にあるベンチに座って考え込んでいる。
「……いかがなさいましたか、殿下」
「ロイドか、ちょうどいい」
そんな悩める王子に声を掛けたのは、彼の近衛騎士であるロイド・ギャヴィストンだった。
ロイドは元々、王太子であるゲイブリルの乳兄弟だった。普通ならそのままゲイブリルの側近になるものなのになぜ弟王子の近衛になったかというと、ロイドもゲイブリルも堅物の似た者同士で、仲は悪くないものの議論などの際にはどちらも一歩も引かずに喧嘩腰になってしまうからだった。
いっそ、少し距離がある方が乳兄弟として適切な距離を保てるだろう。また、堅物なロイドはおおらかなパーシヴァルの側近である方がバランスがいいだろう、などといった理由のために、自ら進んでパーシヴァルの部下になったのだった。なお、堅物仲間のゲイブリルの側近になったのは、明るくてひょうきんな騎士だった。
兄王子と同い年であるため自分より四つ年上であるこの近衛騎士のことを、パーシヴァルは心から信頼していた。
結婚も子どもの誕生も早かったため人生経験も豊富で、相変わらず堅物ではあるが賢くて考えに筋が通っているので、相談相手には最適だった。
「少し、悩んでいることがある。ロイドの意見を聞きたい」
「……。……そのご様子からして、騎士団の任務や公務関連ではなくて、サンドラ様についてなのでは?」
さすがロイドは、皆まで聞かずともだいたいのことを察していたようだ。
パーシヴァルは苦笑して、「まあ、座れ」と隣への着席を促してから言葉を続けた。
「私がサンドラと結婚して、一ヶ月以上経った。……早いものだな」
「そうですね。最初のうちは殿下もサンドラ様も距離の取り方に悩まれているご様子でしたが、最近はかなり自然に接してらっしゃるようですね」
ロイドの言うように、契約結婚を始めて一ヶ月半ほど経過した今、パーシヴァルはサンドラと過ごす時間に慣れてきていた。
最初のうちは、自分の離宮、それも同じ階に女性がいるという事実に慣れるのに手間取ったものだが、今ではサンドラと挨拶をして食事を共にし、着替えを手伝ってもらったりあの優しい手で髪をくしけずってもらったりすることに安らぎを感じるようになった。
離宮の外では女性を警戒しなければならないのは相変わらずだが、離宮の四階という絶対的に安全な場所ができたというのは、パーシヴァルを大いに助けてくれていた。
「ああ。……それで、なんだが」
パーシヴァルは少し声を落とし、ロイドにだけ聞こえるように言った。
「……日頃の感謝の気持ちを、サンドラに伝えたい。どうすればいいだろうか?」
「言葉でお伝えすればよろしいのでは?」
「それなら、毎日のように伝えている。そうではなくて……もっとサンドラの心に強く残るようなものを贈りたいんだ。おまえなら、侯爵夫人に何を贈って感謝の気持ちを表す?」
パーシヴァルより三年も先に結婚したロイドなのだから、パーシヴァルからすると目から鱗が落ちるような情報を持っているはず。ロイドのまねごとをするのは気が引けるが、まねにはならずとも参考にするくらいならいいのではないか。
すると、ロイドはふと視線をそらした。
「……以前、何かしてほしいことはないかと妻に聞いたことがあります。いつも仕事ばかりで相手をしてあげられないから、たまには妻の我が儘を聞こうと思いまして」
「なるほど。それで、夫人はなんと?」
「……をしたいと」
「何を?」
「……デ、デートをしたいとお願いしてきました」
仕事中はえぐいこともゲスなことも顔色一つ変えずに報告できる堅物が、気恥ずかしそうに告げた。
「思えば、いわゆるデートというものをほとんどしたことがなくて……妻を寂しがらせていたのだとそのとき気づきました。後日仕事の都合を調節してデートに誘うと、とても喜んでくれました」
「デート……」
「ですので殿下も、サンドラ様を寂しがらせないようにして差し上げればよいと思います。サンドラ様はまだお若いですし、何らかの形でデートをすれば喜んでくださるのではないでしょうか」
「ロイド……素晴らしい! 本当に、おまえは優秀だ!」
感極まったパーシヴァルがぱっと顔を輝かせて言うと、ロイドは「おおげさです」とそっけなく言ったが、その口元はいつもよりもほころんでいるようだった。
「全くもって、おまえの言うとおりだ。……では今度、サンドラをデートに誘おうと思う」
「よろしいと思います。……公務などの調整は、私にお任せくださいませ。殿下の私生活のサポートをするのも、私の仕事ですのでね」
「すまない、恩に着る、ロイド」
パーシヴァルは心からの礼を言い、よし、と顔を上げた。
いつも穏やかに笑うことの多い彼は今、まるで初恋に心ときめかせる少年のような顔をしていた。