11 王子妃の初仕事①
「サンドラ。君に、王子妃としての初仕事を任せたい」
仕事が終わって帰宅したパーシヴァルにそんなことを言われたのは、結婚して半月ほど経ったある日のことだった。
本日の彼は騎士団の詰め所の方で夕食を取ってから帰ってきたので、帰宅してすぐに風呂に入った。いつものようにサンドラが彼の着替えを準備して髪を拭き、せっかくなのでお茶でも……と就寝前のひとときを過ごしている際に振られた話題に、よく冷えたレモンティーを味わっていたサンドラはぴっと背筋を伸ばした。
(想像より早いけれど……いよいよ契約妃としての出番ね!)
「はい! 何なりとお申し付けください!」
「君の返事はいつも元気がよくて、聞いていてとても元気づけられるな」
(うっ!)
大事な話の前ではあるけれど、いきなり笑顔で褒められたのでサンドラの心臓が跳ねてしまった。
うっかりときめきそうになったが、今はそんなことをしている場合ではない。
「あ、ありがとうございます。……それで、パース様。仕事とは?」
「母上――王妃殿下からのご提案なのだが、私たちの結婚一ヶ月をめどに、貴族たちに君のことを紹介するパーティーを開いてはどうかとのことだった」
パーシヴァル曰く、今日彼は仕事の後で母である王妃に呼び出されてパーティーの相談を受けたそうだ。
王家の庇護もあり、これまでサンドラはアーシュラやロイドなどごく一部の者を除いた外部の者との接触を断った状態で生活を送ることができていた。だが、貴族たちはサンドラの人となりを知りたくてうずうずしていることだろう。
「もちろん、連中が暴挙に出ないように私たちで目を光らせるが、君のことを妃として紹介してしまった方が後が楽になると思われる」
「確かに……いつまでも謎の王子妃でいるよりは、私がだいたいどんな人間であるか知ってもらった方が、追及されることは少なくなりそうですね」
なるほど、とサンドラはうなずく。
「それで、パーティーで私のお披露目をすると?」
「そういうことだ。といっても、今回は君にとって初の仕事にもなるし、招待するのは王族に近い一部の高位貴族のみに絞る予定だ。まずは彼らに君を紹介すれば、そこから様々な茶会などで君の情報が伝わっていくだろう」
そうして、「幻の王子妃」像を少しずつ壊していけばいいのだろう。サンドラが参加する夜会などの規模も、少しずつ広げていけばいいはずだ。
「お話、了解しました。……少し緊張はしますが、これも仕事ですからね!」
「ありがとう。といっても、今回招待を検討しているのは最大でも十人ほどだ。私はもちろんのこと、ロイドや侯爵夫人にも参加を頼もうと思う」
「それは心強いです!」
ロイドは少しとっつきにくい印象はあるが非常に優秀な近衛騎士らしいし、アーシュラがいてくれるのならば非常にありがたい。
「今回の招待客は王族に近い者で……ああ、そうだ。ビヴァリーも呼ばなければならないな」
「ビヴァリーとは?」
「私の従妹の公爵令嬢だ。これまで私の同行をしてくれた子だよ」
パーシヴァルの説明を受けて、ああ、とサンドラは理解した。
(そういえば、私に会うまでのパース様は妖精の血に耐性のある従妹を連れていたそうね)
彼女は嫌々パーシヴァルの相手をしていたそうだから、サンドラが現れてほっとしていることだろう。そんな彼女も傍系王族でパーシヴァルの従妹なのだから、このパーティーで挨拶をしておくべきだ。
「かしこまりました。……まずは、招待客の名前と顔を覚えなければなりませんね」
「ゆっくりでいい。今回招く者たちの大半は、私たちの事情や妖精の血のことを知っている。練習舞台だと思ってくれればいいと、王妃殿下もおっしゃっていた」
パーシヴァルは気楽な調子で言うが、その「練習舞台」に招かれる客はレディアノール王国でも屈指の名門貴族の者ばかりだ。
このあたりはやはり、サンドラとパーシヴァルとでは感覚のズレがあるように思われたのだった。
サンドラの初仕事であるパーティーはせっかくだからと、結婚してちょうど一ヶ月後に開かれることになった。
第二王子夫妻が初めて出席するパーティーということで、招待客以外の貴族たちの間でも噂になっているようだ。
(なるほど。今日の出席者が、私の情報について知りたくて知りたくてたまらない貴族たちに私のことを教える。その人がまた別の貴族に教える……という形で広まっていくのね)
途中で尾ひれが付いたり必要な胸びれがちょん切れたりしそうな気はするが、今回は「王子妃が皆の前に現れた」という事実を広めるのが第一だ。それに余計な尾ひれが付いてしまったとしても、パーシヴァルたちが潰してくれるだろう。
会場はパーシヴァルの離宮にある庭園になったが、「幻の王子妃」の登場ということで招待されていない貴族たちも付近に現れかねない。
そのため国王夫妻は警備の騎士や兵士を数多く派遣してくれたし、玄関までアーシュラとロイドが迎えに来てくれた。
「ごきげんよう、パーシヴァル殿下、サンドラ様。本日はお招きくださり、ありがとうございます」
「ごきげんよう、ギャヴィストン侯爵、侯爵夫人。こちらこそ、ようこそお越しくださった」
玄関にて、サンドラはアーシュラと、パーシヴァルはロイドと握手を交わす。
普段はもっと気さくに接する四人だが、今回は「パーティー主催者夫妻とその招待客」という立ち位置なので、他人行儀に接することにしていた。
アーシュラはサンドラを見て、小さく笑った。
「……準備は万端のようですね。お気持ちはいかがですか?」
「緊張していますが、アーシュラ様たちが来てくださったおかげで元気が出ました」
「あらあら、嬉しいことですね」
アーシュラは上品に笑い、ロイドの腕に自分の腕を絡ませた。
「それではそろそろ参りましょうか。既に皆、庭に集まっているようです」
「そうだな。行こうか、サンドラ」
「はい、殿下」
サンドラもまた、パーシヴァルの腕に自分の腕を絡める。
今日のパーシヴァルは騎士団の制服ではなくて、王族という身分にふさわしい簡易礼服姿だった。相変わらず彼だけ冬服だが生地はなるべく薄手にしており、暑さを和らげるという目的もあり金色の髪は今朝、サンドラが一つに結んでいた。
せっかくなのでサンドラの髪をまとめる紐と同じものを使ったので、彼は「おそろいか。いいな」と嬉しそうに言っていた。
サンドラもまた、パーシヴァルから贈られた夏用のガーデンドレスを着ていた。
薄手の布地は肌触りがよく、ライムグリーンのドレスは見ていていかにも涼しげだ。独身の頃に着ていたドレスよりも露出が少なくて清楚な雰囲気があり、鏡に映る自分の姿を見て「人妻になった」という自覚がじわじわと湧いてきた。
玄関を出ると、外で待機していた使用人がさっと日傘を広げた。サンドラはパーシヴァルとそろってその下に入り、人々の声がさざめき聞こえる庭園の方に向いた。
……どくん、と心臓が不安を訴える。
「……不安か?」
声が降ってきたため、サンドラは顔を上げた。
そこには、心配そうにこちらを見つめる青色の目が。
「今、私の腕を掴む君の力が少し強くなった。だから、不安になったのかと思った」
どうやら、サンドラのわずかな心の揺れに気づかれていたようだ。
サンドラは、「大丈夫です」と言いかけて一旦口を閉ざし、一呼吸置いてからうなずいた。
「……はい、不安です」
「それも当然だろう。夜は、よく眠れたということだが……」
「どうやら今になって、緊張してきたようです。私、鈍感ですね」
あはは、と空元気を出して笑うと、パーシヴァルは空いている方の手でそっと、サンドラの腕に触れてきた。
「不安かもしれないが、引き返すことはできない。……それは、分かってくれるかな」
「もちろんです」
このパーティーはサンドラのため、国王夫妻や王太子、パーシヴァルたちが計画してくれたものだ。招待客たちも多忙な中、スケジュールを調整して来てもらっている。今更「やっぱり怖いので、パスします」なんて言えるはずがないし……言うつもりもない。
パーシヴァルはほっと息を吐き出してから、先を行くギャヴィストン侯爵夫妻の背中を見た。
「……戦場でも同じだ。撤退は許されない戦況でも、いくらでも危機を切り抜ける方法はある」
「……」
「もしどうしても辛くなったら、私にサインを出してくれ。私が何か適当な理由をでっち上げて君を早めに下がらせることくらいはできるし……そうだな。いっそ、『私が暑いから妻と一緒に引っ込みます』とでも言い訳をしようか」
「ええっ! それはだめですよ!」
「分かっているとも。……うん、表情がほぐれたな」
パーシヴァルが言ったので、あ、とサンドラは自分の頬に触れた。そこは、先ほどよりも少しだけ筋肉が緩んでいた。
(パース様、私の緊張をほぐすために……?)
「……ありがとうございます、殿下」
「どういたしまして。だが、いざというとき用の言い訳ならいくらでも思いつくから、本当に厳しい状況になったらいつでも私を頼るように。いいな?」
「はい、もちろんです。頼らせていただきますね、殿下」
サンドラが微笑んでぎゅっと腕に抱きつくと、日傘の陰の下で一瞬、パーシヴァルの青色の目が丸く見開かれたように思われたが――
「……殿下、サンドラ様。こちらへどうぞ」
ロイドに促されて、二人ははっと前を向いた。そこでは、本日の招待客たちが主催者の言葉を待っていた。
(……よ、よし! 頑張らないと!)