10 王子妃の一日②
アーシュラは微笑み、紫色の花を花瓶に差した。
「今のあなた、とてもいい顔をなさっていますよ。そのお顔を見せれば、殿下もあなたに心を奪われるのでは?」
「……ええと。パース様の前で今の顔を再現できる自信がないので」
「それは残念。……でもいつか、わざわざ表情を作らずとも殿下の前で自然に微笑むことができるでしょう」
アーシュラはそう言って、「できました」と花瓶を前にずらした。
彼女が選んだ花で作られたフラワーアレンジメントは、紫や濃い青などの暗めの色合いで構成されていて、しとやかな美しさがあった。
「いかがですか?」
「しっとりとした上品な美しさが込められていると思います」
「ありがとうございます。……夫なら、『なんだか暗くて地味だ』と言いそうですね」
「まあ……」
「平気ですよ? あの人は、こういう作品を作るわたくしが好きらしいですから」
そう言うアーシュラは、堂々としている。
自分から夫への愛、夫から自分への愛を信じている彼女は、とても強い。
ふと、サンドラは自分の作りかけのフラワーアレンジメントを見てみた。
ピンク、白、オレンジ、赤などの、明るい色の花ばかりで構成されている。アーシュラとは真逆で、花の配置もなんだかちぐはぐな感じもする。
(……これを見て、パース様はなんとおっしゃってくださるかしら)
なんだか今日は、早くパーシヴァルの顔を見たい気分だった。
夕食前に、パーシヴァルは離宮に戻ってきた。
「ただいま戻った」
「おかえりなさいませ、殿下」
離宮の主の帰宅を、サンドラは他の使用人たちと一緒に出迎える。
アーシュラのときと同様に、「ドアが開いている状態の玄関にいるときは、礼法に則った振る舞いをする」と決めているので、今はドレスをつまんでお辞儀をし、パーシヴァルのことも「殿下」と呼んでいた。
離宮までパーシヴァルの護衛をしてくれていたロイドが一礼して、外からドアを閉める。すると使用人たちもサンドラも体を起こし、パーシヴァルも大きく息をついて微笑んだ。
「……ドアが開いているとき限定とはいえ、堅苦しいことをするのは疲れるな」
「お疲れ様です、パース様。お荷物、受け取りますね」
「ああ、ありがとう」
サンドラが両手を差し伸べると、パーシヴァルはそこに鞄を置いてくれた。
剣やマントなどの重いものは使用人に預け、サンドラには軽い書類鞄だけ渡してくれる。これも、社交界に出る際の練習の一環だった。
「お夕食の準備ができておりますので、二階に参りましょう」
「ああ、そうだな……」
そこでパーシヴァルは、足を止めた。彼の目線の先には、二つ仲よく並んだ花瓶が。
(あっ、今日の私たちの作品に気づいてくださった!)
明るい色の花でまとめたサンドラの作品と、暗めの色の花でまとめたアーシュラの作品。
……なんとなくどきどきする心臓を抱えてサンドラが待っていると、やがてパーシヴァルは明るい色の花瓶を示した。
「……これを生けたのは、君か?」
「正解です! 今日、アーシュラ様と一緒に作ったのですが……分かりましたか?」
「……ああ、まあな」
嬉々として問うたのだが、パーシヴァルの返事はやや言葉の切れが悪かった。
(……あ。もしかして、二つのうち下手な方が私のだと思ったとか……?)
あながち間違いでもないので少ししゅんとしたが、こちらに横顔を向けている状態のパーシヴァルはしげしげと花を見つつ言う。
「この色合いが、君らしいと思った。華やかで元気で、見ているだけで私の胸も温かくなってくるような……まるで君自身のようだと思ってな」
「……え?」
「作品には、その人の個性や気持ちが表れるという。私は物作りにはあまり縁がないのだが、このフラワーアレンジメントは君の内面をよく現している、素敵な作品だと思った」
花を見ながらパーシヴァルが言っており――ぽん、とサンドラの頬が熱くなった。
(……えっ? それじゃあパース様は、私を見ていると胸が温かくなるってこと……?)
自分の爆弾発言に気づいていない様子のパーシヴァルは、続いて隣の花を見た。
「ということはこちらが、侯爵夫人の作品か。……どうかしたのか、サンドラ」
「……え」
「顔が赤い」
いつの間にか、パーシヴァルは花瓶からサンドラへと視線を移動させていた。不思議そうな顔の彼が右手を伸ばし――そ、とサンドラの左頬に優しく触れる。
(……ええっ!?)
「あ、あの、パース様……」
「ああ、やはり熱いな。まさか、熱でもあるのか? それならすぐに休んで……」
「ね、熱はありません! あ、いえ、あるかもしれないけれど……これは病気とかではないのです!」
のけぞるように身を引っ込め、サンドラは裏返った声で叫んだ。
サンドラの顔が赤くて熱いとしたらそれは間違いなく、パーシヴァルの発言が原因だ。それなのに彼は、気づいた様子もない。
(こ、この方ってもしかして……ものすごく、天然なの!?)
やはり彼は自分の発言で妻を照れさせたと分かっていないらしく心底不思議そうな顔で、宙ぶらりんになった右手を遊ばせている。
「病気ではないのか? てっきり君も夏の陽気で参ってしまったのかと思ったが……」
「平気です! それより、お夕飯に行きましょう!」
「ああ、そうだな。もし君に熱があったなら、せっかく一緒に食事のできる大切な時間をなくしてしまうところだった。元気でよかった」
――ゴッ、と鈍い音を立てて、サンドラは廊下に置いていた銅像につま先をぶつけた。
パーシヴァルの発言で、方向転換を誤ってしまった。
「サンドラ!?」
「だ、大丈夫です」
「それならいいのだが……この銅像は、危険だな。場所を移動させようか」
「……ええと、ありがとうございます」
どうやら彼は、サンドラがいきなり銅像に足をぶつけたのは銅像の位置が悪かったと解釈したようだ。
(やっぱりこの方、天然のたらしだわ!)
銅像が「解せぬ」と言いたそうな目でこちらを見ているように感じつつ、サンドラはどきどき鳴る胸を押さえて食堂に向かったのだった。