<番外編>マーカス家に嵐がやってきた④ side マルティナ
「ハァーイ! お久しぶり、マルティナちゃん。相変わらず、かわいーわねぇ」
いつの間にブラッドリーと二人で暮らす家に帰ってきたのか、寝室のベッドにマルティナは寝ていて、ベッドサイドにエリックの母親のナディーンがいる。ナディーンはプレスコット家に養子に入ったリリアンだけでなく、マルティナの事もなにかと気にかけてくれている。
マルティナを気遣って、ささやくような声であいさつをされる。優しくおでこのあたりをナディーンに撫でられて、そのひんやりとした手の感覚の気持ちよさに身を任せる。ブラッドリーもナディーンの隣で心配そうにマルティナを見つめている。
「マルティナ、気分はどう? なにか飲む?」
「うん、お水が飲みたい」
ブラッドリーがベッドサイドの水差しからグラスに水を注いでくれたので、ナディーンの手をかりて体を起こし、水をごくごくと飲んだ。冷やされた水がのど元を通り過ぎていって、少しすっきりした気分になる。
「なぜ、私が呼ばれたかというと、ちょこっとばかり医学の心得があるからなの。マルティナちゃん、月のものが前回来たのはいつくらい?」
「えーと……、そういえば、二ヶ月くらい来てないかな……」
祖国にいた頃は、不規則だったけれど、この国に来てからはわりと規則正しく月に一回はある。
「まだ、確実じゃないけど、妊娠してる可能性があるかもしれないわ。避妊をやめるって三ヶ月くらい前に決めたのよね?」
ブラッドリーと話し合って、周りのみなにも相談し、子どもがもしできたら生む決意をしたのは、三ヶ月ほど前だ。マルティナはナディーンの言葉にこくりと頷く。
「でも、悪阻とかないけど……」
エミリーが妊娠した時の様子を思い出して訊ねる。
「まだ、妊娠してすぐには悪阻ってないし、みんながみんなそうなるわけでもないのよ。マルティナちゃんは今日はなんで倒れたの?」
「えーと、なんか眩暈がして、頭がくらくらして。祖国に居た頃は常に体調が悪かったし、よくあったんだけど、この国に来てからは、今回が初めてかなぁ」
「熱っぽくて、眩暈がある。うーん、でも風邪ではなさそうなのよね。妊娠の可能性もあるってこと頭の片隅に置いておいてね。もう少し時間が経てば、検査する方法があるからね。どっちにしても大事にするのよ」
ナディーンは、話している間も、マルティナの額を撫でてくれていて、その優しい感触に静かに涙が零れてくる。
「あっ、ブラッドリー。急にケーキが食べたくなったわ。パティスリーダブリューさんのショートケーキがいいわ。買ってきて。マルティナちゃんは私が見てるから」
「えっ、でも……」
「ホラホラ、急に呼び出した伯母様をいたわると思って」
戸惑うブラッドリーを部屋から押し出すと、ナディーンがベッドサイドに戻ってきた。マルティナの涙をハンカチでそっと拭ってくれる。
「マルティナちゃん、全部吐き出しちゃいなさいよ」
全てを見通しているかのように、優しく微笑むナディーンにマルティナの気持ちが緩む。
「………マーカス家に親戚の十五歳の女の子が来て……」
六歳も年下の十五歳の女の子の言動に振り回されているなんて情けないと、ずっと自分の中にしまいこんでいた思いは、口に出すと止まらなくなった。
「その子は初日からフレドリックさんやレジナルドさんやブラッドリーにベタベタして……すごく嫌で。でも、レジナルドさんはあの子がいなくなるまで来ないって言って、私とブラッドリーまで行かないと、フレドリックさんだけ標的になるかもって、思って。それだとジョアンナさん辛いかなって思って。顔を出していたけど、私、結局ジョアンナさんに気を使わせて、あの子に言いたい放題言われるだけで、躱すことも諭すこともできなくて。結局、言いたい放題言われて……ブラッドリーを落すのに、可哀そうな私を演出したのかって聞かれたんです。私、薄幸そうですか? ウジウジしてますか? ブラッドリーは弱い人が好きな人だって思われてるんですか?」
ナディーンには不思議な包容力があって、マルティナはここ最近の出来事を全部吐き出してしまった。思い出しても自分が情けなくて悔しくて涙が出てくる。
「私、もっと強いと思ってたのに。この国に来てからもがんばったと思ったのに、こんなに弱い……情けない……」
顔を覆って泣きだしたマルティナの頭を、小さい子どもにするように撫でてくれる。そのことに安心して、涙が止まらない。
「マルティナちゃんはさー、小さい頃からがんばってたのよ。自分の心を無視して。自分やリリアンちゃんを守るために。ブラッドリーに会って、この国に来て、やっと自分の心を感じられるようになったのよ。弱い自分に気づけるようになったのよ。だから、今はそれを存分に感じたらいいわ。情けないなんて自分を責めないで。自分のどんな感情にも寄り添ってあげてね。きっとね、時間が経って、ブラッドリーやみんなに愛されるのが当たり前って思えるようにになる頃には、あんな小娘の一人や二人、簡単にあしらえるようになるわよ」
「はい、伯母さん、ご所望のケーキ」
その時、息をきらしたブラッドリーが部屋に入ってきた。
「アラ、思ったより早かったわね。行列のできる店なのに……」
「マルティナ、大丈夫? なんで泣いてるの? どこか痛いの? 気分が悪いの?」
ブラッドリーはベッドサイドにケーキの箱を置くと、マルティナに駆け寄ってくる。
「落ち着きなさい、ブラッドリー。もしかしたら妊娠してるかもしれないし、そうだとすると情緒が不安定になっちゃったりもするのよ。大丈夫よ」
慌てふためくブラッドリーをナディーンが納めてくれた。
「本当に、大丈夫? でも、ちょっと顔色はすっきりしたね。マルティナの分も買ってきたけど、食べられるかな? ショートケーキとフルーツのタルトがあるけどどっちがいい? ベッドで食べる?」
「ありがとう、ブラッドリー。タルトが食べたい。テーブルで食べられるよ」
甲斐甲斐しく世話をしてくれるブラッドリーに甘えて、ブラッドリーがセッティングしたテーブルにつく。ブラッドリーが行列に並んで買ってきてくれた瑞々しいフルーツタルトをほおばる。甘い生クリームとフルーツがマッチしていてとてもおいしい。ナディーンが淹れてくれたハーブティーとの相性も抜群だ。
「ふふふふふふ。私の可愛いマルティナちゃんを悲しませた害虫は駆除しなくちゃねぇ。エリックを連れて行って、釣り上げてきて、調理してあげるわ。ジョアンナちゃんも心配だからね。害虫をマーカス家から引き取って、プレスコット家でなんとかしてあげるから心配しないで!」
ナディーンもご所望のショートケーキをご機嫌で食べながら宣う。
「ほんと、こういう時、伯母さんて心強いんだよな……エリックにはあとからまた愚痴られそうだけど……」
ブラッドリーはショートケーキを食べて、コーヒーを飲みながら、遠い目をした。
「ふふふ、任せておきなさい! マルティナちゃんは自分の体を大事にすることだけ考えるのよ!」
ナディーンの力強い言葉に、久しぶりにマルティナに笑顔が戻った。




