<番外編>マーカス家に嵐がやってきた② side マルティナ
エイダの歓迎の晩餐会は、重い雰囲気で、マーカス家の当主夫婦だけがにこにことみんなを見守っている。
「レジナルド、ルースの世話ありがとう。でも、レジナルドが食べられないし、話せないでしょう? ルースの世話は私がするから……」
気まずい空気を察してか、エミリーがそっとレジナルドに話しかける。
「いいんだよ。ルースの世話が一番、俺にとって大事なことだ。それに、エミリーは普段ゆっくりご飯を食べられないんだから、食べられる時にしっかり食べな」
レジナルドはルースの世話をしながら、エミリーの皿にエミリーの好物を取り分けていく。その様子をエイダがじっと暗い目で見ている。
「ルース、いっぱい食べられたね。お腹いっぱいになったかな?」
ルース用に用意された赤ちゃん用のご飯を一通り食べ、お腹がいっぱいになったのか少し気もそぞろになったルースの口元をレジナルドが拭う。いつものレジナルドから想像できないくらい、デレデレしている。
「あの、私、赤ちゃん大好きなんです! ルースちゃん、いくつですか? 抱っこしていいですか?」
「………」
「レジナルド」
話しかけるエイダを無視するレジナルドにモニークの諫める声がかかる。
「赤ちゃん好きなんだね。ルースは二歳だよ。だいぶ重たいけど大丈夫かな?」
見かねたエミリーが、レジナルドからルースを取り上げて、エイダに向き合いルースを預ける。
「ふふ、ルースちゃんかわいいねー」
人見知りをしないルースは、エイダの腕の中でにっこり笑顔を見せる。次の瞬間、「うあー」と言葉を発した口からタラリと涎が垂れた。
「やだっ!! 汚ーい!! ヨダレ?」
必死にルースの胴を掴み、自分から離そうとするエイダからレジナルドがルースを引きはがす。
「アドルフ、ボブ、チャーリー、コリン先生、マイケル、ネイサン、ロバート、トム……」
もう笑顔が消えていて冷え冷えとした表情のレジナルドがルースを抱っこしたまま、呪文のように男性の名前をつぶやく。それを聞いたエイダの表情が青くなる。
「自分に関係する奴の事は、会う前に徹底的に調べる主義なんだ。俺は血縁だろうとお前と交流を深める気はない。母さん、僕達はこのへんで帰るね。この家には鼠がいるみたいだから、退治できるまでは来ないから。行こう、エミリー」
レジナルドは荷物をさっさとまとめると、ルースを抱っこして、戸惑うエミリーの背を押して、帰宅してしまった。
「え、この家、鼠なんて出るの? やだー」
しばらくは呆然としていたエイダだったが、レジナルド一家が姿を消すと、ブラッドリーの隣に座り、腕にしがみついた。ブラッドリーの腕に体を密着しさせて、胸を押し付けているようにも見える。その光景を見て、マルティナは固まった。心臓が嫌な音を立てている。
「血縁だからって、ベタベタしないでほしい。苦手なんだそういうの」
ブラッドリーは即座に、エイダを体ごと引きはがした。
「マルティナ、俺達も帰る?」
ブラッドリーはエイダに背を向けて、マルティナに身を寄せ、心配そうに尋ねる。マルティナはブラッドリーと目を合わせて、しばし考える。確かに、この場の空気は最悪で、正直な所帰りたい。
でも、ブラッドリーが絡まれるのが嫌だという理由だけで帰っていいのだろうか?
ここで、ブラッドリーとマルティナも帰ってしまったら、場の空気はもっと沈むのではないか?
マルティナにとっては不愉快な子ではあるけど、ブラッドリーにとって血縁であるエイダと親交を深めることは大事なのではないか?
どうしたらいいのかわからなくて、エイダを見やると、レジナルドに続きブラッドリーに冷たくされてもめげずに、今度はフレドリックにベタベタしている。
それは無邪気に親戚の兄にじゃれついているようにも見えるが、十五歳にしては発達した体をしていることもあり、わざと胸を押し付けて媚びているようにも見える。
ジョアンナはいつも通り顔色も変えず、食卓とは別のテーブルで子ども達とのんびりボードゲームをしている。
「なにが目的なんだろうなぁ……。ハニートラップみたいだよな。俺達三兄弟に媚び売ってなんになるっていうんだろうな。みんな既婚者なのに」
デザートのプリンをつつきながら、小声でブラッドリーがマルティナに話しかける。マルティナは好物なのに久しぶりに味がしない感覚を味わっていた。
「みんなカッコいいし、魅力的だからじゃないかな? 親戚のお兄さんが格好良くて浮かれてるだけかもしれないし……」
「ごめんね、マルティナに嫌な思いさせちゃったね。マーカス家は来る者拒まずなところがあるし、エイダの実家が男爵家だから、たぶん断ることができなかったんだろうな……。彼女がいる間はレジナルドのとこみたいにマーカス家に顔を出すのは止めよう」
「でも、そうなるとフレドリックさんだけが標的になっちゃうし……ジョアンナさんも嫌な思いするし……」
「でも、俺はマルティナが嫌な思いをするなら嫌だよ」
「ごめんなさい、ブラッドリー。私だけでも今まで通り顔を出すわ」
「わかったよ。でも、無理はしないって約束して」
ブラッドリーは空いている方の手でぎゅっとマルティナの手を握った。
マルティナは物静かなジョアンナが好きだ。会話をたくさん交わすわけではないけど、ジョアンナと一緒にいると、穏やかでやさしい気持ちになる。本屋や貸本屋を経営するジョアンナは時折、マルティナに絵本や本をプレゼントしてくれる。それは、なぜかマルティナの好みにぴったりとあったもので、心がくすぐったくなるようなうれしさがあり、ジョアンナの観察眼にひそかに舌を巻いていた。
そんなジョアンナだけ、エイダの矢面に立たされるのがいたたまれない。自分にできることなんてないかもしれないけど、自分だけ逃げることもできない。
エイダの歓迎会の夜は、マルティナの心にもやもやとした暗いものを落して、お開きとなった。




