<番外編>三姉妹の中で本当にハズレなのは私【末妹編 その2】
ずっと地獄のような愛玩動物のように扱われる日々が続いていたら、いくらマルティナ姉さまが傍にいてくれても、気が狂っていたかもしれない。
リリアンの身長が伸びて、体がすくすく成長しだすと、おじさまの膝に乗せられることもおばさまからべたべた触られることもなくなった。
それまで頻繁にあったお茶会にお母さまによって連れて行かれることが、パッタリなくなった。お母さま曰く『リリアンはマナーがなっていないから連れていて恥ずかしい』とのことだ。
今までは、マナーどころか愛玩動物のようにリリアンの意思を無視して、可愛がられることを求めていたくせに勝手なものだと思う。
そして、今度は別の地獄が待っていた。
リリアンは学習という学習が全て苦手だった。アイリーン姉さまとマルティナ姉さまを教えている家庭教師がリリアンも教えることになった。
しかし、リリアンには勉強がひとつもわからない。文字を追っているはずなのに、いつの間にか思考は別の所に飛んで行ってしまうし、内容も一つも覚えられない。数字の計算などはもっと悲惨で、言っている意味がわからないし、数字は読めるけど、それがどうして計算されるのかわからない。
その家庭教師は早々に匙を投げた。新しい家庭教師が来ては代わり、それを何度も繰り返して、最終的にはすごく厳しい人になった。
「リリアン様、あなたはどうやらすごく我儘で甘ったれらしいわね。その心根から矯正してあげるから」
眼鏡をかけて、痩せぎすの中年のおばさまは、今までのどの家庭教師より厳しかった。リリアンが少しでも間違えると手を鞭で打つ。手の甲を打つと跡が残るのでいつも手の平を打たれた。
どうして勉強がわからないのか、リリアンが教えてほしいくらいなのに、それは教えてくれなくて、ただ出来ないことを責められる。
その状況に気づいてくれたのもマルティナ姉さまだった。
「リリアン!! あなたの手、どうしたの? 自分でしたの? 違うわよね? ……まさか」
マルティナ姉さまはリリアンの家庭教師に同席を頼み込み。部屋の隅でじっと見ていた。姉さまの目があるから、もしかしたら打たれないかもという期待と、鞭を使っていることを人目に曝してくれれば状況が変わるかもしれないという気持ちが半々だった。
家庭教師は自分の方針を悪いとは思っていなかったようで、いつものように授業を進め、容赦なくリリアンの手を鞭打った。
「その鞭打ちに、意味はあるのでしょうか?」
静かにいつもの授業風景を見守っていたマルティナ姉さまは、家庭教師に問いただす。
「私はこのやり方で三十年やってきました。これで矯正されなかったお子様はいません。伯爵夫人にも罰の鞭打ちの許可はいただいています」
「……そうですか。わかりました」
マルティナお姉さまなら、なんとかしてくれるそんな期待はあった。でも、お母さまが鞭打ちを認めているとなると、さすがに今回ばかりはダメかもしれない。リリアンは鞭打ちの日々が続くことを覚悟した。
うん、痛いほうが、自分の意思を無視されてベタベタ触られるよりは全然ましだ。まだ、耐えられる。
「お母様、リリアンの家庭教師がリリアンを鞭打つのをご存じですか?」
「はっ? なにを突然言い出すのよ。リリアンはちょっと甘やかしすぎて、勉強とマナーが全然追いついてないのよ。甘えてるのよ。だから、ちょっとぐらい厳しくしないとダメなのよ」
その日の夕食で、突然マルティナお姉さまは切り出した。
「お母様はリリアンの手がこんな状態になっていることをご存じですか?」
徐にマルティナお姉さまは、リリアンの酷い方の手の平を母に向ける。
「食事中にそんなもの見せないでよ! 侍女にきちんと手当するよう言いつけるからそれでいいでしょ! このまま、マナーや勉強が身につかなくて困るのはリリアンなのよ! せっかく可愛く産んであげたのに、マナーや勉強が身に着かないなんてもったいないでしょ! 文句があるなら、マルティナ、あなたがリリアンのマナーや勉強を見なさい!」
母は酷い状態のリリアンの手から目を逸らして、まくし立てる。
「わかりました。リリアンのマナーと勉強は私が見ます」
「あんた、安請け合いしちゃって大丈夫なの? わたくしの方も手を抜くことは許さないわよ」
「わかっています、お姉様」
「マルティナ、あなたがリリアンをきちんと躾けられなかった暁には、今回より厳しい先生をリリアンにつけますからね」
「わかりました、お母様、お姉様」
アイリーンお姉さまやお母さまの畳みかけるような言葉にも、凛としてマルティナお姉さまは返事をした。自分がいくら理不尽な目にあっても、黙って耐えているのに、リリアンのことになるとお母様に盾突いてでもかばってくれる。そのことがうれしいような悲しいような気分になった。
マルティナは今までの家庭教師と違って、まずリリアンがなぜわからないのか、どんな風に文字や数字を捉えているのかそこから、一緒に紐解いていってくれた。
「たぶん、認識っていうか、文字や数字の見え方がきっと違うのね……」
普通の勉強の分野は、色紙や絵を使ったりして、家庭教師とは全然違う方法で教えてくれて、基礎的な事はなんとか身につけることができた。
「リリアンはお洒落が好きでしょう? ほら所作を綺麗にするとリリアンの可愛いドレスやリリアンがもっと映えるわよ。どう? 手をこうするのと、こうするのどっちが綺麗かしら?」
理解できないというより、やる気のでないマナーや所作は、リリアンの好きなものに絡めてやる気を出してくれた。
マルティナが学園に通うようになって、リリアンは暇を持て余すようになった。お母さまはほとんど邸にはいないし、時折茶会に連れ出されるが、話すことを一切禁じられているので、苦痛な時間だった。話すこともできないので、友達もできない。そんな退屈な日々の中で、やはり支えとなったのはマルティナだった。
マルティナがリリアン以外の家族にも振り回されて忙しいのも、大変なのも知っていた。でも、リリアンにはマルティナしかいないから、まるで試すかのように、我儘をたくさん言って、マルティナを呼び出した。
マルティナにだって譲れない大事なものがあるのを知ったのは、黒いクマのぬいぐるみが欲しいとねだった時だった。
マルティナの部屋は、アイリーンとリリアンと同じ並びにあって、同じ広さがある。衣装部屋だって同じ広さだ。ベッドや机などの家具は同じようなものが置かれている。マルティナに侍女はついていないけど、清掃や洗濯はきちんとされている。ただ、明らかに二人の姉妹と比べて、衣類や小物などの持ち物が少なく、部屋は閑散とした印象だった。
だから、余計にその黒いクマのぬいぐるみが目立ったのかもしれない。マルティナ姉さまの部屋に遊びに行くと、黒いクマのぬいぐるみを掲げて、愛おしそうに眺めていた。マルティナ姉さまが大事に持っていたからなのか、マルティナ姉さまの関心をそのクマが集めていたからなのか、今となってはわからない。
気づいたら、猛烈にその黒いクマが欲しくなった。
「これはあげられない!!」
マルティナ姉さまがリリアンに声を荒げたのはこの時が初めてだった。ショックを受けたこともあって、涙がこみあげてくる。
ショックを受けたのは、マルティナ姉さまが怒ったからだけではない。この時、気づいたのだ。
いるのかいないのかわからないお父さま、いつも嫌なことを言うお母さま、いつもやることを押し付けているアイリーンお姉さま……そして、いつも我儘ばかり言っている妹。数少ないマルティナお姉さまの大事なものを奪おうとする妹。
きっと、マルティナ姉さまにとって、家族は嫌な存在だわ、私も含めて。
マルティナ姉さまに謝ると、涙が止まらなくなった。優しいマルティナ姉さまは許してくれて、涙を拭いてくれて、頭を撫でてくれた。
お願い。もう我儘言わないから、リリアンのこと嫌わないで。
それからはマルティナ姉さまの気を惹きたくて言っていた我儘を止めた。そうしたら、時々、一緒にお茶してくれるようになった。マルティナ姉さまの部屋で、黒いクマのぬいぐるみも一緒に並べて、マルティナ姉さまが淹れてくれたお茶を飲む時間は、我儘を言ってそれを聞いてもらう時間よりもっともっと楽しかった。
そんな日々を過ごしながらも、リリアンには漠然とした不安があった。どれだけマルティナ姉さまが工夫してくれても、自分は二人の姉とは違って、マナーも勉強も最低限しか身につかない。学園に通うことはできるのだろうか? 年が離れているマルティナ姉さまはリリアンが入学する頃には卒業している。きちんと卒業することはできるのだろうか?
そんな不安を吹き飛ばしてくれる存在が現れた。
マルティナ姉さまの学園でのお友達のエリック様だ。エリック様はまだ若くて、学生なのに隣国でドレスデザイナーをしていて、自身でドレスメーカーを立ち上げているという。
話を聞くだけでは、よくわからなかったけど、ブラッドリー様の商会でエリック様にデザイン画を見せてもらったり、ドレスを作る工程を見学させてもらって、はじめて見る世界に胸がわくわくした。
これだ!ってお腹の底から思ったの。
私もドレスや服のデザインがしたい! エリック様のようにそれを仕事にして生きていたいって思ったの。
昔から、ドレスや服の色の組み合わせとか考えるのが好きだった。文字や数字より色や形の方に興味があった。エリック様に会って、仕事風景を見せてもらって、エリック様がスケッチブックやペンをプレゼントしてくれてから、自分の中からどんどんどんどん、アイディアが浮かんできて、ひたすらに描き続けた。
描きためたデザインともいえない、拙い絵をエリック様は褒めてくれて、よくできたものをお人形さんサイズで再現して作ってプレゼントしてくれたりした。
私がデザインに夢中になっている間に、マルティナ姉さまは一人、勉強に生徒会にと学園でがんばっていた。
やはり入学試験を受けた結果、学園から入学を断られた。なんとなく、ずっとブラッドリー様の商会でエリック様にデザインのことを教わる日々が続くと思っていたから、目の前が真っ暗になった。
こんな時もやっぱり、頼りになるのはマルティナお姉様だった。いつの間にかエリック様に話をつけてくれていて、エリック様が私をこの家から連れ出しに来てくれた。
久々にお父様もいる場で、私を連れ出しに来てくれたエリック様に反対するのはお母さまだけだった。
なぜ、お母さまは母親らしいことはなに一つしていないのに、「私が産んだのに!」とか「私が母親なのに!」って主張しているんだろう?
ただ生んでくれたからといって、子どもが無条件に母親を好きになるとでも思っているんだろうか?
お母さまは、私の事、娘じゃなくて愛玩動物としか思っていないでしょう?
動物にだって、感情があるんだって。もちろん、人間である私にだって、ちゃんと感情があるんだよ。
どうしても、この家から出ていきたくて、引き留めるお母さまに幼い頃の嫌だったことを伝える。今なら、普通の母親が愛する娘をそんな目に遭わせないことはバカな私にだってわかる。
そうして、リリアンは貴族令嬢としての自分や、家族から解放されて、エリック様と、隣国へと向かうことになった。
もう会えない、そんな雰囲気を漂わして、大切な黒いクマのぬいぐるみを預けてきたマルティナ姉さまが気になったけど、リリアンにできることはなにもなかった。




