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<番外編>三姉妹の中で唯一光り輝くはずだった私【姉編 その3】

 それからの日々はあがけばあがくほど、絡まる糸のようにどんどんと事態は膠着していった。


 マルティナにできたことがわたくしにできないはずがないのよ!

 そう思っていたのに……

 次々に難題が持ち込まれる。


 最初は結婚式後の雑事。結婚式の招待客への御礼状を書き、婚姻を祝う品への返礼の品を選び、礼状を添えるといった……


 言葉にすると簡単そうなそれらの公爵夫人としての初仕事で、早くも躓いた。字の綺麗さには自信がある。意気揚々と礼状を書くと、夫のチェックを受ける。


 「全てやり直しだ。宛名以外、全て同じ文章だがどういうことだ? これなら字の綺麗な他人に代筆させても同じだろう。ここは伯爵家ではない。公爵家なんだ。公爵夫人として、ふさわしいものに仕上げてくれ」


 問題なのは、アイリーンには、なにがいけないのかすらわからないことだった。

 「……では、どのように書けばよいですか?」

 「君はこんな初歩的な仕事すら、細部まで指示されないとできないのか? なんのために生徒会会長を経験させたと思っているんだ? 少しは自分の頭で考えるんだな。次期公爵である私の手を煩わせないでくれ」


 最近の夫は、以前のように甘く優しい目でアイリーンを見ることはない。取り付く島もない夫に、ため息が出る。仕方なく、義母である公爵夫人を訪ねる。夫にこれ以上縋るより、優しい義母に聞くほうがいいだろう。


 「あの……結婚式の招待客への御礼状なのですが……」

 「あら、アイリーンちゃん。そうよね、公爵家って交際範囲が広いから大変なのよね! どこの国への御礼状で困っているの?」

 「……あの、一応、全ての方へ書いたのですが……クリストファー様に全て書き直すように言われまして……」

 国内の招待客への礼状は問題ないこと前提で返事をされて、居たたまれなくなるが、もう頼れる人はいない。恥を忍んで、書き上げたものを見せる。


 いつもは柔らかい表情の義母の表情がアイリーンの書いた礼状を見て、段々と険しくなる。

 「アイリーンちゃん、あなた学園で何を学んできたのかしら? 公爵夫人教育で何を学んできたのかしら?」

 眉頭のあたりをもみほぐすと、アイリーンを鋭い目で見て問いかける。


 夫も義母も、なぜアイリーンの質問に答えてくれないのだろう。

 アイリーンの書き上げたもののどこが悪いのか具体的に教えてくれればいいのに。せめて、修正しなければいけない方向性を教えてくれればいいのに。


 「やはり伯爵家の令嬢では、公爵夫人は荷が重かったのかしらね……高位貴族の令嬢を凌ぐ才媛かと思っていたのだけど……」


 なぜ、質問にわけのわからない質問で返して、アイリーンに失望したような顔をするのだろう?


 結局、公爵家に古くから仕える侍女長がアイリーンの補佐につくことになった。

 「ですから、まずは季節のご挨拶に始まり、お礼に絡めて、さりげなくお相手のお好きなものや趣味、領地の特徴を入れて下さい。ただ、褒めるだけではいけません。お相手の爵位を鑑みて、阿るでもなくへりくだるでもなく、絶妙なさじ加減でお願いします。才媛と名高いアイリーン様には簡単な事でしょう? 結婚式からあまり時間が経ちすぎますと、不自然ですから、お早めに仕上げて下さい」

 

 侍女長から、夫や義母よりは具体的な内容の指摘をもらう。しかし、何回書き直しても、侍女長から合格がもらえない。各貴族家の名前や顔などは頭に入っているが、領地や特産物は元より趣味や好きな物などはさっぱりわからない。


 渋々、領地や特産物について調べて、書き直したのに、やはり合格がもらえない。イライラが募り、マルティナにしていたように侍女に対して、八つ当たりをしてしまう。


 最終的には、時間切れで、アイリーンが書いたものに侍女長が訂正を赤字で入れて、それをアイリーンが清書するという方法でしのいだ。


 「アイリーンちゃん、結婚式の御礼状の件、侍女長から聞きました。そんな所で苦戦している場合ではありませんよ。あれは、たまたま調子が悪かっただけよね?

 

 あなたのこと、次期公爵夫人としてクリストファーも私も期待しているのですよ。次期公爵であるクリストファーをしっかり支えてちょうだい。


 次は高位貴族のご夫人を招いての公爵家での茶会の采配をしてもらうわ。私の顔に泥を塗らないようにしっかり手配してちょうだい」


 義母の言葉や表情は柔らかいが、目が笑っていない。アイリーンに与えられた猶予はあとどのくらいだろうか……


 せっかく御礼状を書いたり、返礼の品を選ぶといった机にかじりつく日々が終わったというのに、今度はアイリーンが最も苦手とする茶会の采配だ。


 「お茶会は開催するより、お呼ばれするほうが好きなのよね……茶会って一体、何から準備すればいいのかしら……こんな時、マルティナがいれば……」


 自分が追い込まれる度、浮かぶのは馬鹿にし、虐げていた一つ下の妹の顔。最近、意を決して、夫に妹を公爵家に呼び寄せ、自分の配下に置いてよいか聞いてみた。次期公爵夫人なのだ。妹の一人くらい手元に置いてもよいではないか。


 「なぜ、あれだけ卑下していた妹を君の手元に置く必要があるんだい? 卒業後に行く宛のない妹に泣きつかれたのかい? それとも、次期公爵夫人としての仕事を熟すために、あの妹が必要だとでも? だいたい、妻の妹を公爵家に入れる名目はどうするつもりだ?」


 「それは……やっぱりわたくしにはマルティナが必要で……姉妹の絆とでもいうのかしら……侍女でもいいし、第二夫人として、とか?」


 「話にならない。私は仕事があるから、もう行くよ」


 夫は最近向けてくる他人を見るような冷たい一瞥をくれると、さっさとアイリーンに背を向けた。


 あまりに話を聞いてくれない夫にしびれをきらして、実家へと駆け込み、実力行使でマルティナを連れてこようとしたものの、それを察した夫に引きずるように連れ帰られた。


 また、侍女長がアイリーンの補佐につけられ、ほとんど叱責されながら茶会の準備をこなしたが、それは惨憺たる結果に終わった。


 しばらく自室での謹慎を言い渡された。その間、色々な妄想が頭を駆け巡り少しも落ち着けない。


 大丈夫、大丈夫、きっと夫はわたくしの気持ちをわかってくれるわ。きっと元の優しい夫に戻ってくれる。きっと、困ったアイリーンのためにマルティナを連れてきてくれる。マルティナは、一生アイリーンのために尽くせばいいのよ。


 久しぶりに会った夫は無言で、アイリーンを馬車にエスコートする。今日は何の日だったかしら? 最近はアイリーンに仕える侍女たちも必要最低限の事をすると、話もせずさっさと仕事に戻っていってしまう。今日は、簡素な旅の装いで、夫も普段の豪奢な装いではなく同じく簡素な格好をしている。


 しかし、途中、宿に泊まりながらの五日間の旅の間、観光することはおろか夫は口を聞くこともなかった。馬車の中や宿では、仕事の書類に目を通していた。


 そんな味気ない旅の果てに着いたのは、人里離れた山の中にある公爵家にしては簡素なこぢんまりとした屋敷だった。


 「私は反省しているんだ」

 アイリーンにあてがわれた部屋を訪れた夫のその言葉に、顔をあげて縋るような目線を向ける。


 「自分の見る目のなさに。君はずっと、馬鹿にして見下していた妹に勉学で大事な部分である“考える”部分を肩代わりしてもらっていたんだね。ずっと隣にいたのに気づかなかったよ。確かに君は賢いから、学生時代は上手く隠し通せたんだろうね。


 次期公爵だというのに、君が面倒な部分を妹に肩代わりしてもらっていることも、妹が君なんかより余程優秀だということも見抜けなかった。そこは反省する。


 ただし、君の提案は却下する。

 君は知能もその程度だったのか? 次期公爵夫人として考えられないのか?


 君の妹は“考える”力があったとしても、貴族令嬢として失格だ。そこの意見は変えない。所作や学力は及第点だが、外見、コミュニケーション能力など―そのあたりは君の得意分野だけど、壊滅的だ。今までの醜聞もある。


 第二夫人にすることはまずない。第二夫人になるということは第一夫人になにかあったときに代わりに立つということだぞ、君の妹にそれができるか?


 さらに一つの家から二人娶るということがまわりからどう見られるか考えたことはあるのか? 妹を侍女にするということはどういう風に見られるか考えたことはあるか?


 君はいつも自分の事ばっかりだな」

 

 「あなただって、いつも公爵家のことばっかりじゃない!」


 「当たり前だろう。私は公爵家に生まれて、次期公爵となるんだ。君は本当に貴族令嬢なのか?」


 「違う、そうじゃなくて。そうだけど、貴族としての自分も大事だけど、人として一人の人として……」

 だんだんと息が苦しくなってくる。確かに夫の言うことは正しい。正しいけどなにかが違う。いつも自分がマルティナに話す話し方にそっくりだと思う。力で相手を抑え込んで、自分を通す。それをされてみて、その重さに打ちのめされそうになる。


 「それは貴族として、次期公爵夫人として義務を果たした上での話だろう?


 私が一番憤っているのはなにかわかるか?


 まずは、私や公爵家に対して、自分の能力を偽っていたことに対する謝罪はないのか? 公爵家の嫁として不十分な自分への反省や謝罪はないのか?


 そして、なぜ自分で努力して、今まで誤魔化してきた部分を挽回しようとしないんだ? また、安易に妹を第二夫人や侍女にして、今までと同じように誤魔化そうとするんだ?」


 「わたくしだって挽回しようとしたわよ……でも誰も助けてくれないんだもの……

 あなただって冷たいし……」


 今までの経験を、最大限に生かしてソファにしなだれかかり、目線を伏せて涙を瞳いっぱいに貯める。


 「君と会うのはこれで最後になる。


 大丈夫。酷い待遇にはならない。君はこの公爵家の領地の別宅で、ずっと何不自由なく暮らすんだ。死ぬまで。綺麗なドレスも着られるし、美味しい食事も食べられる。世話をしてくれる侍女もいる。ただし、君に仕える者は何一つ話さないし、君がここから出られることもない。


 君を置いておくのは、公爵家にとっては無駄金だけどね。私や母が君という人間を見抜けなかった勉強料だと思うことにするよ。


 公爵家のことは、何も心配いらない。第一夫人である君は重い病を患ってしまい病気療養中で、君の希望もあって秘書として、侯爵令嬢のアンジェリカを雇った。彼女は君とは違って、学園時代の評判通り優秀で、恙なく公爵夫人の抜けた穴を務めてくれているよ。だから、なに一つ心配ないんだ。


 そのうち、アンジェリカが第二夫人になるかもしれないね。でも、君は妹を第二夫人に、などと提案するほど寛容な人だから、何も気にならないだろう。噂好きの社交の場でも、きっと、結婚してすぐに病に倒れた悲劇の第一夫人のことなど忘れ去られていくよ。君の散々な結果に終わった次期公爵夫人の茶会の話とともにね。


 そうそう、あまりに侍女に当たったり、暴れたり、物を壊すと、医師に注射を打たれるし、癇癪や問題行動が酷いと、本当に君が重い病気になって儚くなってしまうかもしれないよ……」


 言いたいことだけ言うと、夫であった人は去っていった。


 「ひっ、ひっ、……嫌……嫌……嫌ああああぁぁぁぁぁぁぁああ………」

 アイリーンの絶叫が屋敷中に響き渡るが、誰も来ることはない。


 「助けて……助けて……たすけて……お母様……こんな生活嫌だ……」

 今まで築いてきた自信も希望も粉々に砕かれた。

 子どものように泣きじゃくる。


 「マルティナ……たすけてよ……」


 ああ、自分がマルティナにやってきたことが返ってきたのかしら。

 あの子の心を粉々に砕いてやったから、今わたくしの心も砕かれているというの?


 それから、幾年月過ぎたのか、マシューがやってきて、アイリーンにとどめを刺した。


 もう、アイリーンを助けに来てくれる人はいない……

 そして、見下していたマルティナが幸せになったですって?


 それは、アンジェリカが第二夫人になったことより、アイリーンを打ちのめした。


 ああ、許せない許せない、マルティナだけが幸せになるなんて……


 それでも、アイリーンは人里離れた静かな屋敷で、憎しみと懇願に塗れて孤独に、残りの人生を過ごすしか選択肢はなかった。

アイリーン(姉編)完結です。


もしかしたら、気になる方がいるかもしれないので……


蛇足の設定:その後のレッドフォード公爵家。


第一夫人であるアイリーンを切り捨て、娶った第二夫人は優秀で、無事、男児を出産。しかし、公爵家当主となったクリストファーには子種がなく、生まれた子どもは托卵。実はその子は、放蕩を繰り返し、家をふらりと出て行った先代公爵(クリストファーの父)の弟の子ども。それを知ったクリストファーは苦悩に陥りながらも、なんとか公爵家当主としての仮面をかぶりつづけるが……というドロドロの愛憎劇が繰り広げられます。

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