<番外編>三姉妹の中で唯一光り輝くはずだった私【姉編 その2】
なにかがおかしいと思ったのはいつだったのかしら?
なんだって簡単にできると思っていたのよ。マルティナは学園を卒業するまでの便利な使い捨ての駒のはずだった。卒業して、結婚したら、マルティナを頼れないことはわかっていたし、マルティナにできたことなら、わたくしが本気を出せばできるって思いこんでいたの。
卒業して、マルティナと話す暇もなく、結婚式の準備と、花嫁修業のために公爵家へ居を移した。まぁ、マルティナの心は散々折っておいたから、口止めしなくても、これまでの事を言いふらす心配はなかった。
結婚式までの数カ月は穏やかで楽しい日々が続いた。結婚式の段取りは終わっているし、ドレスの最終チェックをしたり、婚約者と観劇に行ったり、お茶をしたり。
まだ、爵位の継承はしていないので、本宅に公爵夫婦も住んでいる。義理の父と母になる公爵夫婦は、小さい頃からの婚約者のわたくしにやさしくしてくれる。公爵夫人の仕事についての確認のようなことはあったが、おおむねゆったりとした時間が流れた。
結婚式の日は天気も体調も肌の調子も絶好調だった。式自体は豪華に滞りなく行われ、そこかしこから花嫁で本日の主役でもあるわたくしをほめたたえる声が聞こえる。今日も有頂天だった。
違和感を感じたのは披露宴のパーティーかしら?
公爵家の領地は海と接していて、外交の窓口であり、交易も盛んで、他国の人間の行き来も多い。その関係で披露宴パーティーでも、他国の賓客がみえていた。
まかせてちょうだい。語学は得意なの。共通言語はもちろんのこと、公爵家が直接取引のある三カ国の言語も読み書きできるし、話すだけなら、さらに国を隔てた二カ国の言語もできる。
彼と共に挨拶にまわる。基本的には彼の後ろで控えていたけど、時折話かけられることもあった。緊張することもなく笑顔を振りまいて、得意の言語を操る。教師や彼にも発音を褒められたんだから。
『私どもの地域の特産物について、御存じですか? あまりこちらの国ではなじみのない食べ物ですが……』
『ええ、確かエビを乾燥して加工したものですよね?……』
えっと、こういう時になんと答えればいいのかしら? まるで、試験の問答みたい。学園で習った以上の事は知らないし、下手な事を言ったら失礼にあたる。なによりわからないことをわからないと言うにはプライドが邪魔をした。言葉につまったわたくしに代わって彼が上手く答えてくれたようだ。
「どうしたんだい?緊張しているのか? 言葉は聞き取れているんだろう?」
「ごめんなさい。ちょっとコルセットの締め付けが苦しくて…」
彼にしては珍しく苛立ちを見せている。自然と言い訳の言葉がでてくる。
「次はうまくやってくれよ」
いつもはやさしい彼の冷やりとした物言いに背中に冷たいものが走る。せっかく俯いて、儚げな表情をしたのに、彼には一つも響いていないようだった。
今までの茶会や夜会では、ほとんど同年代か後輩と話していたので、大人や年配の方と話す機会はほとんどなかったし、一方的に褒められるのをほほ笑んで聞いているだけでよかった。
それが、次期公爵となる彼と結婚した途端、次期公爵夫人として、内容のある会話を求められた。それは今までわたくしが避けていたもので、学園で教えられる知識を詰め込むだけで、それを分析したり、情報をつなげて考えたり、熟考したことのないわたくしには難しいものだった。そう、それらの面倒くさいと、意味などないとマルティナに丸投げしていたものこそが必要となったのだ。
だって、誰もそんなこと教えてくれなかったじゃない!
こんなことになるなら、マルティナにどう考えるのかのコツを聞いておけばよかった……
結局、披露宴パーティーでは、わたくしの自信はボロボロと崩れていった。わたくしと会話して、あからさまにがっかりした顔をして去っていく客人もいた。隣に立つ彼の温度がどんどん冷えていって、それが怖くて彼の顔を見ることはできなかった。
やっと、最悪な披露宴パーティーが終わり、無事、初夜を迎えた。いつも優しく溺愛してくれる彼との初夜はアイリーンの想像していたロマンチックなものではなく、ひどく義務的なものだった。
きっと彼も緊張して疲れているんだわ。気を取り直して、彼にしなだれかかる。
「やっと、この日を迎えられたわね」
甘えるように、腕に腕を絡めると、上目遣いに見上げる。そこには冷え冷えとした表情の彼がいた。彼はそっけなくアイリーンの腕をひきはがすと、顔を真正面から見つめる。そこには愛などの甘い感情はなかった。
「それより、今日の君はなんだったんだ? 自分でもわかっているよね?」
「ねぇ、今日はちょっと調子が悪かっただけじゃない。少しの失敗くらい見逃してくれないの? わたくしのこと愛してくれているんじゃないの? どんなわたくしでも愛してくれるんじゃないの?」
初夜を迎えた後の甘い雰囲気などまるでなく、厳しく叱責されて、瞳が潤む。
「私は、次期公爵夫人にふさわしい君を愛しているんだ。今日の君のふるまいはなんだ? 学園では優秀だったのに、気が抜けたのか? 今日、客人に聞かれた内容を君は立派なレポートにまとめていたじゃないか? なんで答えられなかったんだ?」
「………」
だって、そのレポートを苦労してまとめたのはマルティナであって、アイリーンじゃない。書き写すときに、全体は把握したし、質疑応答に答えられるように、細部まで疑問はつぶした。ただ、自分で調べ、考え、まとめたわけではないので、時間の経過とともにするりと頭から抜けてしまった。
彼に言われてはじめて、客人との会話に関連のあるレポートを書いていたと知ったぐらいだ。
「君には失望したよ。私が次期公爵夫人としてふさわしいと思えるよう、せいぜい挽回してくれ」
彼の蔑むような目線はいつもマルティナに向けられていたものだ。彼は一つ大きなため息をつくと、ガウンを羽織り、ベッドから出ていく。
「えっ、ここは夫婦の寝室なのに……どこに行くの?」
「今日は一人になりたい気分なんだ。夫婦としての義務は果たしただろう。
ああ、君を婚約者に選んだのは、美しくて賢くて所作が美しかったからだ。君より高位の貴族令嬢で条件に適う子もいたけど、単に君のおっとりとした雰囲気と顔が好みだったんだ。同じ条件なら好みにあう容姿のがいいだろう?
次期公爵である私に選ばれたんだ。
次期公爵にふさわしい妻でいてくれ。
私を失望させないでくれ」
彼は静かに部屋を出て行った。
広い寝室に取り残されたアイリーンはぎゅっとシーツを掴んで、くやしくて歯ぎしりする。
自分が誇りに思っている部分を、彼は求めてくれた。
美しい。賢い。所作が美しい。
なのに、なぜかアイリーンは胃に重い石を詰め込まれたような息苦しさを感じた。違う。求めていたのは、伴侶に求めていたのはそういう愛ではない。
こんな、少しのミスで切り捨てられてしまうようなうすっぺらい愛ではない。
この披露宴の短い時間に彼に何か感づかれてしまったのかもしれない。
それでも、この時はまだがんばれば、挽回できると思っていた。




