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33 なくてはならない存在になった私(終) side マルティナ&ブラッドリー

 折に触れて訪れる海岸に、マルティナは今日も散歩に来ていた。太陽の光に反射して、腕に煌めく腕輪を見て結婚したんだという実感が湧いて、幸せな気持ちになる。


 ここまで自分を支えてくれて、今日もマルティナのお願いを聞いて、海に連れ出してくれた彼に手を振る。


 「ブラッドリー」

 今は過保護な彼の忠告により、海には入れない。お腹に大事な命がいるのだからマルティナにも否やはない。少し丸みをおびてきたお腹をやさしくなでる。


 波打ち際をゆっくりと歩いている。それだけでも、海を眺めたり、波の音を聞いたりするだけで、マルティナの心は十分満たされた。


 自分が子どもを産むことに葛藤がなかったわけではない。


 母のようになってしまうかも?

 ちゃんとした家庭で育っていない自分が子供を育てられるのだろうか?


 不安や悩みはとめどなく溢れてくる。でも、それらのことをマルティナはもう一人で抱え込むことはなかった。


 ブラッドリーはもちろん、母や父や長兄夫婦やエイミー達にも打ち明けた。みんな口を揃えて、ブラッドリーもいるし、家族、ひいては一族みんなで育てればいいと言ってくれた。


 なによりエリックの一言が決定打だった。

 「リリアンちゃんがあの家にいてまともに育ったのは、マルティナちゃんがやさしさと厳しさと愛を注いだからでしょう。幼少期から面倒をみていたんでしょ。こんないい子に育てておいて、子育てに自信ないなんてどの口が言うの?」


 妊娠してからは、夜眠る度に悪夢を見た。夢にはなぜか母が出てきて、ただひたすらマルティナを罵倒してきた。


 最近は家族のことを思い出すことも少なくなってきたのに、なぜだろう?


 すごく消耗したけれど、いつでも起きればブラッドリーがいてくれるから乗り越えられた。その悪夢も悪阻がおさまると、嘘のように見なくなった。


 貝殻や丸みを帯びたガラスの欠片を拾い集めながら、歩み寄る彼にゆっくりと近づいていく。


 「マルティナは本当に海が好きだね」

 「だって、見たことなかったし、キレイだし、気持ちいいし、宝物がいっぱいあるじゃない?

 あーねぇねぇ、こんなかんじのデザインってどう? 薄い透ける布を重ね合わせて。ひらひら軽いかんじにするの。あーエリックとリリアンに話さなくちゃ」

 浜辺にガリガリと思いついた服のデザインを枝で書いてみる。

 自分には実務能力しかないと思っていたけど、エリックにはマルティナもデザインのセンスがあると言われた。


 「ハイハイ、紙に書いて、明日会いに行こう。まずは俺のことかまってくれない?」

 「ふふふ、そうね、愛しい旦那様」

 ブラッドリーはマルティナを抱き上げるとそのまま横抱きにして浜辺を歩きだす。

 「あーしあわせー」

 ブラッドリーの新緑を思わせるすっきりとした香りとぬくもりに包まれて、安心感を感じる。


 時折、あの家族ーー血のつながっただけの人達との過去を思い出すこともある。少しチクリとまだ痛みは感じるけど。

 今は、ブラッドリーもブラッドリーの家族もいるし、リリアンとエリックもいるし、エミリーという友達もできたし、商会で働く人たちもいる。みな陽気で温かくて、マルティナの生活は満ち足りていて、愛が溢れている。


 あそこにしがみつかなくてよかった。

 ここが私の居場所って胸を張って言える。

 

 胸に顔を摺り寄せるマルティナにブラッドリーは口づけをおとした。


◇◇


 ブラッドリーは、正直な所、あまり神という存在を信じてはいなかった。

 この国では海の神を信仰する人がほとんどで、マーカス家も一応、その宗派だ。陽気でおおざっぱな国民性を反映してか、宗教もあまり厳しくしめつけるものではない。


 だけど、マルティナと海に散歩に行くたびに、海風に髪をなびかせて、ほほ笑んで楽しそうに波と戯れるマルティナをみる度に、感謝や喜びの気持ちが溢れてきた。


 神とかなにか大きな存在に感謝したくなる。


 それぐらいマルティナと結婚できて、新たな命を授かったことは奇跡に近いことだとブラッドリーにもわかっている。


 ブラッドリーが学園を卒業する時に、マルティナを攫ってきてしまいたかった。でも、マルティナは無責任に家やリリアンのことを放り出せる性格ではないし、ブラッドリーにも他国の貴族令嬢を攫う力もなかった。


 エリックにも後に、「さすがのアタシも二人は綺麗な悲恋で終わると思ってたわ」と言われた。


 卒業後、一旦、国に帰り家族に全てを話し、床に頭を擦り付けて、あの国にいられるように頼んだ。どの道、次兄はあの国で展開していたレンタルドレス事業を引き揚げる算段をしていて、その仕事を手伝うことと、一年間だけ、という条件であの国に戻った。


 あの国で、マルティナになにかあった時にすぐに駆けつけられる距離に居たってできることは何もなかったし、マルティナの姿を見ることすらできなかった。


 商会に入り浸ってエリックの仕事を見学したり、デザインの真似事をしたりしているリリアンからマルティナの近況を聞いて、なんとか自分を抑える日々を送っていた。


 リリアンから聞く限り、マルティナの身辺は平和なようで、貴族令嬢として、責務を果たすために自分達と距離を置いたであろうマルティナの覚悟を尊重して、こちらから接触することはなかった。


 時折、マルティナのために買ったルビーを眺めたりして、淡々と商会の支店を引き上げる仕事をこなしていた。


 リリアンをスコールズ伯爵家から除籍するようマルティナとエリックが動いていることを知ったのは、全てが終わった後だった。


 「ごめんなさい。リリアンだけあのお家から出てきてしまって。マルティナ姉さまからクマちゃん渡されて『この子だけでも連れて行って』って。マルティナ姉さまを連れてこれなくて、ごめんなさい」

 ブラッドリーの顔を見て、ブラッドリーがかつてマルティナに贈ったクマのぬいぐるみを抱きしめて泣き崩れるリリアンを前に、ブラッドリーは何も言えなかった。エリックがなにか言っているけど、頭に入ってこない。


 「ブラッドリー、最後まで諦めちゃだめよ」

 エリックのその言葉は根拠のないものではなくて、伯爵家のお家事情とか、家令や当主の弟一家の思惑だとか、財務省での父親の立場だとか、背後で蠢いているものを利用したら、マルティナをあの家から切り離せる可能性があった。


 万感の思いを込めて、マルティナの誕生日にカードを送った。


 エリックの伝手を使って、無駄足に終わるかもしれないと思いつつ、エリックの後見人でマルティナの父親の上司であるオルブライト侯爵や、マルティナの叔父であるボルトン子爵に会いに行き、有事の際にはマルティナを引き取りたい旨を伝えた。もちろん、相手に有利な条件を添えて。

 

 貴族院で、マルティナの父親から爵位がボルトン子爵令息に渡譲されることが決まると、ブラッドリーに連絡が入った。ボルトン子爵との話し合いでは、学園でのマルティナとの仲睦まじい様子を見ていたマシューの口添えもあり、トントン拍子でマルティナの除籍とマーカス家がマルティナの後見人となり、この国へ移住する許可が下りた。


 急転直下の展開に、マルティナに会うまで現実味が湧かなかった。


 ただ、久々に会ったマルティナはまるで抜け殻のようだった。たった数ヶ月会わない間に、何があったのだろうか? リリアンから聞く限り平穏を保っていたと思っていたが、裏ではあの家族に心を蝕まれていたのだろうか? マルティナの孤独と心の傷を思うと、自分の心も絞られるように痛む。


 隣国へと移住し、なんの障害もなくなったというのに、あの家から、家族から解放されたのにマルティナの心は閉じたままだった。


 この国に着いても、マルティナはどこかぼんやりと上の空で、もしかしたら従弟のマシューに心を残してきているのかも?なんて明後日のことを考える日もあった。

 ブラッドリーにはただ隣にいて、寄り添うことしかできなかった。


 この国に連れて来たら、自分の手元に来たら、思いっきり甘やかして色々な所へ連れて行って、色々な事をしてあげたいと思っていたのに、なかなか思い通りにいかない。


 それでも、マルティナの傍に居られるだけで、困った時に助けられる距離に居られるだけで、幸せだった。


 結局、マルティナの日常生活を助けたのは母や甥で、突破口を開けたのは従妹のエミリーだった。


 エミリーがマルティナに突っかかっていった時は、本当にあせったけど、それから、本来の生気を取り戻したマルティナは、生き生きと仕事に家事にと精を出し始めた。


 ただ笑っているのを見られればいいけど、一番傍にいたい。日々、ブラッドリーの中のマルティナへの思いは大きくなっていく。


 ことあるごとにつっかかってくる甥、仕事もプライベートもべったりのエミリーと時々リリアン。マルティナの周りは人で溢れていたけど、その隣をなんとか死守した。エミリーから店の事務や法律的なことを外注している男もマルティナを狙ってると聞いて気が気じゃなかった。


 気持ちだけがあせる日々を過ごしていたある日、夕食後に部屋に戻ったら二番目の兄のレジナルドがいた。


 「これ、銀細工とか金細工とかする職人の連絡先。あと、宝石を加工するのが得意な職人の連絡先がこっちな」

 兄が差し出すメモを言われるがままに受け取る。


 「まぁ、俺が悪いんだけどな。元は俺が立ち上げた仕事だし。隣国の支店を撤退する仕事を誰かさんが途中で投げ出すから、その代わりにフォローしにいって、大変だったなぁ。でも、エリックが契約した工房の引退を迫られている腕利きの職人をこの国へ引き抜けたからよしとするよ」


 「ああ……、その件は本当に悪かったと思ってる。で、この職人の件は?」


 「お前のその後生大事にしているルビー、そろそろ加工したらどうだ? もういっそのこと腕輪でも作ったらどうだ? 最近、エミリーがマルティナちゃんと一緒に暮らすと息巻いているぞ。俺が忙しくして、しばらく自由にさせている間にエミリーもずいぶんな事を言い始めたし、こっちもそろそろ首輪……じゃなくて腕輪をつけさせたいんだ。お前もけじめをつけろ」


 マーカス三兄弟をよく知らない人や逆に近すぎるエミリーなんかはわかっていないけど、三人の内で一番怖いのはこの次男だ。長男やブラッドリーと違って、すらっとしていて、いつも柔和な表情を浮かべているが、一番容赦ない。


 確かに、そろそろ覚悟を決める時だ。兄に背中を押されて、ルビーをネックレスに加工した。


 マルティナの誕生日に、ようやくルビーのネックレスを渡すことができて、今まで言えなかった言葉が、素直に口から出た。マルティナも同じ思いを抱えていたと知って、思わず抱きしめる。


 今までは、手をつなぐまでで、一番距離が近かったのは、卒業パーティーのダンスの時だと思う。マルティナをはじめて抱きしめて、誓う。もうマルティナを手放すことはない。そのままの勢いにその日の夜にはプロポーズをしていた。


 「だから、ウェディングドレスって一生に一度のものだし、いくらこの国の主流がカジュアルなものだからって、作るのに時間がかかるのよーーー!!!」

 エリックに怒られながらも、マルティナに思いが通じたら我慢なんてできない。次兄が一カ月後に、式を挙げるというので、しぶしぶ三カ月後に式を挙げることにした。


 急きょ決まった結婚式は、海の見える教会で家族や親しい人に見守られる中行われた。エリックやリリアンや、工房のみんなが総力をあげて作り上げたマルティナのドレスはマルティナにとても似合っていて、今までで一番輝いていた。

 神と家族にマルティナを敬い誠実に愛することを誓う。

 誓いの腕輪にルビーとブラックダイヤが光る。ずっとマルティナの左手に腕輪をはめたかった。ずっとマルティナは自分のものだと主張したかった。ほの暗い気持ちが満たされる。

 「結婚したってマルティナちゃんみたいに清楚で奥ゆかしいタイプは人妻の色気出て余計にモテるわよ」

 そんな俺の心を見透かすようにエリックがささやいてくる。これまでの経緯を知っているくせに、コイツは応援したいのか、したくないのかなんなんだ?


 結婚してからのマルティナは、今までの節制ぶりが嘘のように、仕事の時以外はどこでもブラッドリーにくっついている。無邪気にうれしそうに甘えてくる。悪い気はしないし、はっきり言ってうれしい。お国柄的にも情熱と愛に溢れている国だから許されるだろう。


 今はもう生まれる前から一緒にいたんじゃないかっていうくらい、いつでもぴったりくっついている二人だけど、一緒に居られるのは確かに運が味方しただけなのかもしれない。


 でも、マルティナがあの最悪な状況で、諦めずに、傷を一つずつ増やしながら、一つ一つ行動を積み上げていったことも大きいと思う。


 ブラッドリーの執念深さとしつこさの賜物かもしれない。


 力も能力もお金も限られている二人が自分の状況を変えようと手を打った。足掻いた。それだけで満点だ。


 マルティナか、ブラッドリーが途中であきらめていたら、何か一つでもしていなかったら、この結果はなかったかもしれない。

 確かにマルティナは自分でも言っていたように自分ですべてを切り開いたわけではない。


 でもいいんだ、それで。

 あの家族の中で、あの環境の中でよく生き抜いた。よく自分の心を守った。

 それだけで、十分だ。


 それでも、マルティナ心の傷も全部癒えたわけではなくて、夜中にうなされる日もある。でも、今はちゃんと安心できる場所があるからきっと大丈夫。ブラッドリーだけじゃなくて、マーカス一族やリリアンやエリックやエミリーも商会のみんなだっている。


 子どものことについて、二人で話し合い、周りの意見を聞いて、乗り越えたように、これからもなにがあっても、きっと賑やかな家族と共に乗り越えていけるだろう。


 すやすやと眠る、今は妻となったマルティナの頬にキスをおとすと、後ろから抱きしめて、ブラッドリーも眠りに落ちていった。

本編はこれで完結です。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

番外編、後日談などが続きますので、よかったらどうぞ。

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