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<閑話>もう君は手に入らない side マシュー

マルティナの従弟のマシュー視点。

姉の末路とマシューの思い。

 「やあ、アイリーン久しぶり。といっても君の結婚式以来かな? 一年半ぐらい経ったのかな?」


 「……マシュー? なに、わたくしを助けに来てくれたの?」

 窓際に置かれたソファーで佇んでいたアイリーンは、僕を見ると目を瞬かせて、喜びに顔をほころばせる。


 結婚式には輝かんばかりの美しさを放っていたのに、今では萎れた花のようだ。公爵家の領地の別宅とはいえ、きちんと手入れされているであろう肌や髪は艶やかだし、身に着けているドレスも宝飾品のグレードも次期公爵夫人としてふさわしいものだ。だが、前にはあった自信がみなぎっていて、大輪の花が咲いたかのような人を惹きつけるなにかがなかった。


 「いやあ、スコールズ伯爵家を僕が継ぐことは決定したけど、次期公爵夫人を助ける力なんてないよ」


 「は? 冗談を言っているの? お父様が健在なのに、なぜ甥のあなたが継ぐの? お父様になにかあっても、マルティナかリリアンが婿をとって継げばいい話でしょう?」


 「ははは。君は公爵家の領地に押し込められた挙句、自分の実家に起こったこともなにも知らされてないのかい?」


 「え? え? お父様とお母様になにかあったの?」


 アイリーンの向かいのソファに腰を下ろすと、侍女がさっとお茶を用意して、去っていく。


 「もうだいぶ前の話になるけど、君が結婚した後、マルティナは除籍を願い出て、平民になって、隣国へ渡り、今は商会の息子と結婚して幸せに暮らしている」


 「あはははは。マルティナったら、平民になったの。第二夫人か侍女になってわたくしを助けていたらそんな惨めな事にならなかったのに、いい気味だわ」


 「今の君よりは全然惨めじゃないし、学園時代から支えてくれた思い人と一緒になれて、自分の存在をないものとしたり、駒のように使う家族から解放されて幸せだと僕は思うけどね」


 「あの黒い髪の平民と……」

 きっと学園時代、マルティナがブラッドリーと幸せそうにしていた光景でも思い出したのだろう、アイリーンはギリギリと手に持った扇を絞る。その表情と仕草は伯母とそっくりで、吐き気がする。


 「リリアンも望んで除籍されて、隣国に渡って、ドレスメーカーを立ち上げている子息の実家と養子縁組して、ドレスのデザイナーとしてがんばっているみたいだよ」


 「は? リリアンも平民になって、ドレスのデザイナーに? そんなのお父様とお母様が許すはずないじゃない」


 「リリアンの移住は学園に入学できないっていう事情もあったけど。マルティナの除籍と移住は、うちの父上、伯爵家当主代理であり、次期伯爵である僕の後見人でもある父が許可したから、話が進んだんだ。君の父上は領地の管理ができていない上に次世代に継ぐ事を考えていないということで貴族院から爵位譲渡を宣告される手前だったんだ。最後は自らサインをしたけどね。でも、君の父上と母上はもう、伯爵でも伯爵夫人でもない。なんの権限もないんだ。もちろん、今の君を救う力もね」


 じわじわと僕の死刑宣告のような話の内容が染みたのか、顔色が青ざめていく。


 「そんな……そんな重大な事、わたくしに知らされないはずがないわ……」


 「公爵夫人としての社交も最低限の仕事もできなくて、結婚してすぐに夫から見捨てられて、領地の片隅に押し込められているのに? そんな君に誰が情報を教えるというの?」


 「うるさいわね! マシュー如きが口を慎みなさいよ!」

 いきなり扇が飛んできたので、避ける。おっとりとした風を装っていたけど、子どもの頃のまま苛烈な性格は変わっていないらしい。


 「ああ、今日の用件なんだけどね、次期スコールズ家の伯爵として先に言っておこうかと思って。もし、君が離縁されたとしても、伯爵家では受け入れないから。財務省の仕事もクビになって、伯爵家の領地でひっそりと土を耕して生活している君の父上の所に身を寄せるというなら、それぐらいは許可するけど。今後、王都や領地の伯爵家の敷地に足を踏み入れることは許さないから」


 睨みつけてくるアイリーンに負けないぐらいの冷たい眼差しで本題を告げる。


 「はっ? 離縁? わたくしが?」


 「ああ、君はそんなことも聞かされていないのかい? 君に情報が渡ったら、面倒くさいことになるからかな? レッドフォード公爵家の次期公爵は、第二夫人としてフェザーストン侯爵家のアンジェリカ様を娶ったのは知っているかい? 学生時代は君としのぎを削っていたライバルかな? 君が役に立たないから、秘書として次期公爵を支えてた方だよ。まだ、正式に発表されていないけど、ご懐妊の噂も広まっているよ」


 「アンジェリカが第二夫人?……懐妊?……そんなこと、そんなこと、わたくしが許さないわ」

 この話は追い詰められているアイリーンの逆鱗に触れたらしい、その華奢な手で、ローテーブルの茶器を横に薙ぎ払う。ガチャガチャーンと派手に陶器の割れる音が響く。


 「ここまでで。お帰りはあちらです」

 家令に退出を諭される。まだ暴れそうな気配を見せるアイリーンを屈強な体をした侍女が抱え込み、連れ出していった。こういった事態に慣れているのか、侍女や侍従が手際よく床に散らばった茶器の破片や、飛び散った紅茶の掃除をして、飛んでいった扇を回収している。


 肩を竦めると、大人しく帰路についた。


 今日は、アイリーンへ伯爵家に戻ってくるなと釘を刺しにきたわけではない。もちろん、離縁されて戻ってきても受け入れるつもりはない。


 伯母が自分の状況を受け入れられずに、ヒステリーを起こしたあげく引きこもり、衰弱して亡くなったことはさすがに告げられなかった。追い詰められているアイリーンが伯母の後を追ったら、さすがに後味が悪いからかもしれない。


 「マルティナの意趣返し……だったのかな」

 帰りの馬車に揺られながら、一人つぶやく。わかっている。マルティナは別に復讐なんて望んじゃいないし、もう家族の事も僕の事もきれいさっぱり忘れて、自分を大事にしてくれる人達に囲まれて幸せに暮らしているって。


 「こんなことしても無駄なのわかってるけど、こうでもしないと気持ちに踏ん切りがつかないんだ……」

 頭のどこかで僕は計算していたのかもしれない。

 マルティナのことは幼い頃から好きだったし、大切な人で、結婚したいと本気で思っていた。


 でも、『貴族として』ということをマルティナの心情より優先させた。


 父や母に婚約の許可を貰えないうちは表立って動けない、とか。

 伯爵家の当主教育があるから忙しい、とか。


 父は幼い頃から、秘密裏に兄と自分に、将来、子爵家と伯爵家を僕ら兄弟に継がせる意向を話していた。ただし、伯爵家は爵位が上だが、簒奪に近い形であり、確実に手に入るものではないこと、子爵家は爵位が下だが、確実に父から継げること。メリット、デメリット、父の世代の確執を何一つ隠すことなく話した。


 穏やかで優秀な兄は、子爵家を継ぐことを希望した。僕は、あまり爵位に興味はないが、マルティナと結婚したいと思っていたこともあり、伯爵家を希望した。兄は学園を卒業すると早々に、幼馴染で小さい頃からの婚約者である子爵令嬢と結婚し、今は父から爵位を継いで、問題なく子爵領を治めている。


 僕は小さい頃から父と伯爵領を駆け回り、陰になり日向になり伯爵領で起こる問題を領主代理や先代から仕える部下と解決してまわった。先代伯爵夫人であるお祖母様や家庭教師からの伯爵家の当主教育にも真剣に取り組んだ。


 マルティナが社交の場になかなか出てこないとか、マルティナの誕生日パーティーが開催されないとか、たまに会っても、疲れた顔をしているとか気になることはあったけど、それは結婚してから挽回できるとどこかで思っていたのかもしれない。


 学園で隣国の平民の男子生徒と連れ立っているのを見ても、今だけだし、むしろ、表立って接触できない自分の代わりにマルティナを支えてくれるならありがたいなんて思っていた。


 きっとマルティナのことも、彼のこともどこか侮っていたんだと思う。

 いつだって挽回可能だと思っていた。

 

 貴族という自分を大事にすることがダメだとは思わないけど、商人としての利をかなぐり捨てて、マルティナを優先した彼の情熱には負けたのだろう。


 「気持ちに区切りはつきましたか?」

 なぜか、今回の同行に立候補してきた年老いた伯爵家の家令が対面から訊ねてくる。


 「僕がお願いしたって、マルティナは戻ってきてくれないよね?」

 

 「あの方はもう自由になっていいんですよ。もう十分、がんばりました。これ以上何を求めるんですか?」


 「本当にお前は誰の味方なんだよ?」


 「先代と伯爵家の繁栄が第一のただの傍観者ですよ」


 「わかってるよ。伯爵家に戻ったら、僕に届いた釣書に目を通すよ、次期伯爵としてね」


 「それはようございます」

 安心したように家令はほほ笑んだ。


 そう、マルティナはもう自由なんだ。

 身勝手な家族からも、僕の初恋からも。

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