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<閑話>それでも、もう時は戻らない side ボルトン子爵(マルティナの叔父)

マルティナの叔父で、マルティナの父の弟でもあるボルトン子爵視点。

マルティナの父親と母親の末路。

微ホラー?注意。

 家族とは? 兄弟とは? なんなんだろうな。

 年甲斐もなく、そんな問いが最近、頭を駆け巡る。

 答えの出ないその問いを振り切るようにして、頭を横に振ると、目の前の現実に目を向ける。


 スコールズ伯爵家の領地の片隅の村の外れにある小屋と言っていいほど小さな家の台所で、久々に兄と対面している。


 スコールズ伯爵家の爵位の渡譲の手続き後、伯爵家の邸へ戻ることを許さずに、兄夫婦を揃って、この領地の片隅へ送り込んで、一ヶ月が経った。


 目の前に座る兄にかつて学園や社交界で女性を賑わせた美貌は影も形もない。農夫の着る粗末な木綿の服に身を包み、髪には白いものが多く混じる。顔も体も日に焼けて、額には苦悩したのか深く皺が刻まれている。白く傷一つなかった手も日に焼けて、農作業によるものか皮も厚くなり、荒れていて、泥の汚れが爪にこびりついている。


 目の前に出されたお茶は、ティーカップではなく、縁の欠けたマグカップで、お茶の種類は不明だが、香りも色も薄い。一応のもてなしとして出されたものだろうが、それがどんなものであれ、手を付ける気はない。


 万が一の事を考え、兄は断種の上、こちらに送り込まれている。そして、この一ヶ月は監視をつけてあったので、暮らしぶりはある程度は把握している。それでも、聞くのと見るのとはやはり違う。


 「それで、義姉上はどうされているのでしょうか?」

 二人揃って、自分と対面するよう伝えたはずなのに、目の前には兄しかいない。

 「……それは、実際に見てもらったほうが早いだろう」

 台所からつながる扉の一つをそっと開ける。


 「あまり刺激するとやっかいだから、静かに頼む」

 兄の言葉に、少し離れていた所で控えていた護衛が二人、自分の傍に近寄った。


 寝室と思しき簡素なベッドだけが置いてある部屋のベッドで義姉は上半身だけ起こして、空を見つめ、何か独り言をつぶやいている。あれだけ身なりに気をつかっていたというのに、げっそりと痩せて、手足はほとんど骨と皮しかないぐらいになっていて、髪もぼさぼさで、兄と同じく白いものが多く混じっている。落ち窪んでいるのに、目だけギラギラとしているのが、不気味だ。


 しばらく兄と二人、そっとその様子を窺う。特に暴れることもないようだが、なにか背筋がぞっとするような気配が漂う。兄に頷くことで、もう十分であることを伝えると、そっと扉を閉じて、再び台所で兄と向き合う。


 「ここに着いてすぐは、案の定、ヒステリーを起こして、家じゅうの食器や物を壊していた。でも、新しい物を支給されることもないし、私が村人に頭を下げて最低限の食器などを分けてもらってくるのを見ると、物に当たることはなくなった。まぁ、壊す物すらなくなったというのが、本当の所だ。


 家事をすることも、畑仕事をすることも拒否して、今度は寝室にこもりきりになって、日がな一日、同じことを言うようになった。

 内容は三つ。『アイリーンや公爵家は、助けに来ないのか?』『マルティナに家事や畑仕事をやらせればいいじゃない』『リリアンを男爵に嫁がせれば大金が手に入って、こんな暮らしから抜け出せるのよ』


 はじめは、もう誰も助けにこないと懇々と言い聞かせていたけど、こちらの話なんてまったく聞いていない。たまに、我に返るのか叫んだりしているけど、暴れることはないよ。暴れる体力ももうないのかもしれないけど。


 ただ、プライドが高いせいなのか口に合わないのか、ここについてから、何も食べないし飲まない。時々、我慢できなくなるのか、水だけは飲んでいるようだが……」


 「勝手なものだな。自分は好き勝手に娘を虐げ、娘の人生を好きにして、娘の心を壊しておいて、自分の心はこんなに脆いだなんて。まぁ、弱さと視野の狭さゆえの結果なのかもしれない。きっと自分を振り返ることも反省することもないだろうな」


 兄夫婦への一番の罰は、数字や実務から遠ざけることだと思い、あえて農作業や家事など身の回りのことを自分でさせることにした。ただ、小屋はこぢんまりしているが、普通に生活が送れる造りになっているし、生活用品もそれなりに揃っていた。兄夫婦の素性は隠して、近隣に住む村人にも気に掛けるように頼んでいた。貴族としては考えられない生活かもしれないが、平民よりは贅沢な状態だ。


 本当は、反省し、真摯に自分と向き合ったら、領地の事務の仕事へ転換させようと思っていたのだが、この状態では難しいかもしれない。義姉の心は壊れてしまって、もう戻らないだろう。


 「マーガレットには悪いことをしたと思っている。彼女の人生を狂わせたのは僕だ。自分が爵位を継ぎたいという欲に、彼女を巻き込んで、結果、彼女は狂ってしまった」


 「確かに兄さんは、自分の策略に義姉さんを巻き込んだ。ただ、その後のことは彼女の責任だ。義姉さんも自分の欲に負けたんだよ。自分の理想を追い求めて、金を使い、娘を虐げた。そして、現実を受け入れられずに狂った。


 確かに、兄さんも家族や義姉さんを顧みなかったことは悪かったと思う。でも、義姉さんがこうなったのは、自分の選択の結果だ。全部を背負うことはない。


 現に、マルティナは兄さんと義姉さんの血を引いて、あの劣悪な環境の中、腐ったり狂うことはなかったじゃないか。環境や本来の人格だけじゃない。その人の心次第だ」


 「ああ。ただ、僕は、今のマーガレットを見ても何も思わないんだ。申し訳ないとは思うし、僕と会わなければまっとうな人生を送れたのかもしれないとは思うけど。可哀そうだとも、助けたいとも思わない。娘がどうなったかも全然気にならないし、会いたいとも思わない。


 僕はきっと、人として何か欠落しているんだと思う。だから、お前ももう僕に会いに来なくてもいい。心配しなくても、ここで畑を耕して大人しく暮らすから」


 兄の静かに澄んだ目と穏やかな表情を見て、これ以上の情けは必要ないとわかる。

 

 「きっと義姉さんは長くはないだろう。聖職者とか医者の手配は必要ないのか?」


 「一応、この村の神父さんや医者に来て貰ったんだけどね。誰の話ももう響かない。医者も本人に生きる気力がないと匙を投げていた。このまま静かに見守るよ。マーガレットを見送って、僕はここでこのまま暮らして、この地に骨を埋めるよ。それが、たくさんの人の人生を狂わせた僕のせめてもの償いだ」


 「わかった。それじゃ、そろそろ行くね」


 玄関先でいつまでも見送っている兄を背に、馬車はどんどん進んでいく。


 兄は不器用で父親に、家族に認められることに飢えていたのかもしれない。


 父だって、優秀な兄に期待していた。兄の卒業直前に、僕に爵位を譲るかもと言ったのだって、本気ではなくて、期待ゆえに発破をかけるために言ったものだったのに。


 何かが違っていたなら……

 父と兄がもっとコミュニケーションをとっていたら……

 父が早世しなければ……


 過去の分岐点が頭をよぎる。

 そうは言っても、すべてに蓋をするようになにも見ないふりをしてきたのは兄だ。自分の生き方の責任は自分で取らなければならない。


 いくら、ああしていればこうしていればと後悔しても、時は戻らないのだから。


 せめて、自分の力の及ぶ範囲の家族や領民は幸せであってほしい。自分にできることは、今と未来に思いを馳せて、できることをするだけだ。


 過去と兄のことを振り切ると、これから自分がすべきことに頭を切り替えた。

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