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27 家族に見切りをつけた日

 「お取込み中のところ申し訳ありません。私から一つお願いがあるのですが……」

 父が爵位も仕事も失うという息詰まるような展開の中で、マルティナはそれをどこか他人事のように眺めていた。父と母と叔父の緊迫したやりとりが一段落ついたところで切り出す。


 「次女殿、どんな用件だい?」

 憔悴する父や母に代わり、父の上司であるオルブライト侯爵が答えてくれる。


 「私をスコールズ伯爵家から、正確にはもうスコールズ伯爵令嬢ではないので、スコールズ伯爵家に連なる者として、除籍していただきたいのです」


 「なっ!! どういうことだっ!!! 除籍だと? お前は何を言っているかわかっているのか!!!」

 バンッと父が机を打つ音が響く。お父様がこんなに感情をあらわにするところをはじめてみたわ、なんて白けた感想をマルティナは抱く。


 「私はスコールズ伯爵家で、いてもいなくても同じような扱いをずっとされてきました。いなくてもよい存在であれば、どうかスコールズ伯爵家から籍を抜いてください。その方が伯爵代理であり次期伯爵の後見人である叔父様や次期伯爵であるマシューにとってもよいはずです」


 「お前は何を言って……貴族令嬢としての義務を放棄するというのか?」

 

 「……貴族令嬢の義務。そうですね、貴族令嬢ならば、教育や服飾などにお金や手間をかけてもらっているのですから、除籍しろなどというのは無責任ですよね。


 ですが、私は、教育や服飾にほとんどお金をかけてもらったことはありません。家庭教師は姉の家庭教師に便乗して一学年上のものを学習していましたし、服飾費はほとんどかかっていません。家で着る普段使いのドレスからパーティー用のドレスまで、ずっと姉のお下がりを自分で繕って着ていました。ドレスをはじめて買ってもらったのは、デビュタントのドレスです。宝飾品も姉のいらないもの、使わなくなったものを使用していました。私には髪や肌の手入れをする侍女もついていませんでした。


 貴族令嬢としてお金や手間をかけてもらっていないのに、義務を果たせとは? その義務とはなんでしょうか?


 私の貴族令嬢としての義務とは、学園を良い成績で卒業し、お父様が全面的に信頼されているお母様の采配通りに養子に出すはずだったリリアンの代わりに、大金と引き換えにお母様の懇意にしている男爵様の後妻に入ることですか?」


 「マルティナっ!!」

 母がすごい形相で睨んでくるが、それに構わず淡々と続ける。

 はじめて聞く話ばかりで頭が真っ白になっているのであろう父は特に反論はないようだ。


 「ああ、お母様を信用されているお父様にはにわかにこんな話信じられないでしょうから、お父様の大好きな数字にして、まとめてきましたので、ご確認ください」


 母に頬を打たれた日にまとめ直した二枚の紙を取り出し、握りしめる。


 ――マルティナに割かれなかった伯爵家の費用とマルティナが家族に割いた時間についてまとめた紙。


 あの日から、いつ父に会ってもいいように肌身離さず持っていた。少しよれてしまった二枚の紙を丁寧に開く。


 マルティナが二枚の紙をテーブルに滑らすと、父は奪うようにして手に取り、目を通していく、数字を追いかけて目線が下がるとともに父の顔色がだんだんと青ざめていく。その紙を持つ手が震えている。スコールズ家の家令がオルブライト侯爵にそっと二枚の書類を差し出す。おそらくマルティナが渡した写しだろう。


 「優秀なお父様に余分な説明は不要かと思いますが、一応説明をしますね。


 一枚目は、費用に関するまとめです。お母様は非常に優秀で、お母様と私達三姉妹に関する服飾費の合計は毎年、必ず予算内に収まっていました。


 しかし、その内訳は、見ての通り、お母様とお姉様で予算の八割を使い、残りの二割が妹。私はほとんどゼロです。お母様曰く、お母様は伯爵夫人として、お姉様は公爵家の婚約者として、品格を保つために、必要なんですって。


 不器量な私に割く費用はないらしいです。お母様が不機嫌になるたびに壊す扇の合計金額を見ると、私のドレスの一枚くらい購入できたのでは?と思いますけどね。


 家庭教師は、同じ内容を教えるとはいえ、二人相手なので、一人分の金額よりは多いですが、二人分の金額を思うと、だいぶ少ないですよね。しかも、妹の家庭教師は軒並み、匙を投げてしまったので、妹の家庭教師は私がしていました。妹の分の家庭教師代が浮いていることを考えると、教育費もゼロに近いのではないかと思います。


 それらの金額は、家令にお願いしてお母さまの執務室の帳簿や領収書を拝見しました。ですので、帳簿や領収書と照らし合わせていただければ、間違いないかと。お母さまは私の服飾費や教育費を着服したり、削ることになんの疑問もなかったのでしょうね。帳簿が誤魔化されていたら、どう証明しようかと心配してたのですけど、堂々とつけてありました。きっと、何一つ自分は間違っていないとお思いなんでしょうね」


 「私の執務室に勝手に入ったのね! そんなの出鱈目よっ! あなた、マルティナと私のどちらを信じるというの?」

 父は、隣で唸る妻には目も向けず、マルティナがまとめた紙とマルティナの顔を交互に見て、「うぅ」とか「あぅ」とか唸り声をあげることしかできない。


 「もう一枚の紙は、私の家族へ費やした時間のまとめです。年代別にまとめてあります。私の一日は、姉の勉強や生徒会の仕事のフォローをして、母の愚痴を聞き、妹の勉強やマナーを見たり、世話をすることに費やされていました。これは、貴族令嬢として、当たり前の事なのでしょうか?」


 ブラッドリーの言う通り、財務省に務める父には実際の数字という客観的な事実の方が、感情に訴えるより堪えたのだろう、うなだれてしまってなんの反応もない。


 「確かに最低限の衣食住は保証されていましたし、この前までは暴力を振るわれることもありませんでした。ですが、これは貴族令嬢の暮らしと言えるのでしょうか? そして、貴族令嬢として、貴族に縁づく者として、今後もお母様の采配を受け入れないといけないですか? この家に縛られないといけないですか?」


 「これがもし、事実だとして、なぜもっと早くに言わなかった? もし言ってくれれば……」


 「お父様に言って、何か状況が変わりましたか? 家にほとんど帰らない、帰っても夕食をともにすることもないお父様に、いつ物申す時間がありましたか?

 

 まだ、記憶に新しいと思いますが、お母様が差配してくださらないので、意を決して、お父様にデビュタントのドレスの件を訴えました。その結果は覚えていますか? お父様は全て娘の事はお母様任せ。そのお母様に訴えても、無駄。あの時に、お父様やお母様に、訴えることは諦めました。私の不遇を訴えたいのではないのです。ただ、お願いしているだけです。もう、この家から除籍してください」

 

 「はっ……」

 そこには、いつもの厳めしい偉そうに指示しかしない父はいなかった。娘の容赦ない追及に、ただおろおろとするしかない情けない男がいるだけだった。


 「おい、この資料の数字は正しいのかい?」

 「細かい部分は、覚えておりませんが、ええええ、おおむね間違いないですよ」

 オルブライト侯爵が背後に佇む、スコールズ伯爵家の家令に確認すると、家令は大きく頷いて肯定する。


 「なぜ、なぜ、それをもっと早くに報告しなかったんだ!!!」

 父は上司がいることも忘れて、憤りを家令にぶつける。


 「旦那様の指示は『奥様の仰せの通りにせよ』とのことでしたから。そもそも家に帰ることもほとんどなく、帰られたとしても、家では領地の報告書に目を通すだけで、家政や家族に関することの報告は求められませんでしたよね?」


 「しかし、こんなことになっているのなら、報告の一つや二つくらい!!」


 自分の無関心を棚に上げ、家令に責任を擦り付ける父とのらりくらりとかわす家令にしびれを切らして、マルティナは言葉を投げる。


 「お父様、私の名前はわかりますか?」

 

 「はっ?………お前は………お前の名は……」

 父に関しては、元々何も期待していなかったが、ここまでとは思ってもいなかった。場がしんと静まる。さすがの母も言葉を失っている。


 「それが、答えです。名前も覚えていない娘など、不要でしょう」

 

 「……お前には家族の情というものがないのか?」


 「無関心なお父様、愚痴の吐き出し先にするお母様、見下し、自分のやりたくない勉強や生徒会の仕事をさせる駒のように扱うお姉様……リリアンだけは、手はかかりますが可愛いと思いますけど、あなたたち三人は、家族とは思えません」


 「……これから、やり直すことはできないのか?」


 「いつか私の不遇に気づいてくれるかも、いつか私に感謝してくれるかも、いつか私を認めてくれるかも、いつか私を褒めてくれるかも……いつか愛してくれるかも……などと希望を抱いていた時もありました。


 でも、そんな気持ちは今日までに、全て粉々に打ち砕かれたのです。貴族令嬢としての誇りや義務感も家族の情も、もうどうでもいいというくらいに全て打ち砕かれたのです。


 いえ、もともと家族だと思っていたのは私だけで、それは幻想で、私が縋りついていただけなのでしょう。だから、もういいですか?」


 父はもう諾とも否とも言わず、両手で顔を覆い項垂れている。母も先ほどの威勢はどこへいったのか青白い顔で佇んでいる。


 「マルティナ、スコールズ伯爵家の家令や侍女長を通じて、君やリリアンの窮境は知っていた。知っていると言っても、表面的なものだけで、一部分だけかもしれないが……


  それを伯爵家の爵位の問題を解決するまではと放置していたことは申し訳ないと思う。その償いといってはなんだが、今後、君を無下に扱うことはない。君の父親と母親とは離れて暮らせるように手配する。養女にはできないが、学園卒業の暁にはしかるべき貴族家へ嫁に出すことを約束しよう。もちろん君の母が結んだ男爵の後妻の件は破談にする。だから除籍などと早まらないでくれ」


 いつも、スコールズ伯爵家の面々に厳めしい顔しかしない叔父の額には深い皺が刻まれているが、かけられる言葉には労りの気持ちがこもっていた。マルティナは静かに首を横に振る。


 「叔父様は貴族として、領地を預かる者として当然のことをしたまでです。本当の所、もう疲れてしまったのです。あと半年ですが、学園で学業や生徒会をがんばる気力も、どこかの貴族家へ嫁いで夫人として振る舞うことも、もう何もできる気がしません。ですから、どうか除籍してください」


 「貴族令嬢が除籍されて、どうやって生きていくんだい?」

 オルブライト侯爵の当然の問いに一瞬、忘れていた希望がよぎる。

 あの人に会いたい。あの人の隣で生きていきたい。

 そして、瞬間的にその思いを否定する。


 これがブラッドリーの手も、マシューの手も取らなかった自分の末路だ。

 姉も妹もキラキラとした未来があって輝いていて、自分は泥に沈んでいく。姉も多少の問題はあっても、きっと持ち前の底力で挽回していくであろう。

 三姉妹のハズレで、家族にとっていらない存在である自分にはお似合いの末路だ。一時でも夢を見られただけ、よかったのだと思おう。


 マルティナは自分に言い聞かせるように首を横に振る。そんな事は希望できない。


 「自分が伯爵家を除籍されて、平民として生きていけないことなどわかっています。修道院に身を寄せて、静かに余生を送れたらと思います。それでも寄付金など必要になることもわかっていますが……叔父様、せめてもの温情としてお支払いをお願いできますか?」


 「………そこまでか。そこまで、追い詰められていたのか……」


 マルティナの静かな決意の宿った目に、叔父は項を垂れる。


 「マルティナ、君の意思はわかったよ。悪いようにはしないから、しばらく伯爵家でのんびりして沙汰を待ってほしい」


 「わかりました。一応、私の希望は述べましたが、叔父様の采配に従います」


 叔父の絞り出すような言葉に、マルティナは静かに頷いた。

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