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24 貴族院への呼び出し

 「お手紙が届いております」

 家令の手当てを受けた後、マルティナに一通の手紙が差し出された。綺麗な薄緑色の封筒。差出人を見て、どくっと心臓が鼓動を打つ。見慣れた力強い少し癖のある筆跡。


 なんで今頃?

 なんで今日なの?

 なんでこんな時に?


 逸る気持ちを押さえて、急ぎ部屋へ戻る。震える手でペーパーナイフを操り手紙を開封する。入っていたのは小さなメッセージカードが一枚。ふわりと新緑の香りが香る。


 『親愛なるマルティナへ

 誕生日おめでとう。幸せな一年でありますように。

 ブラッドリーより』


 母にどれだけ罵倒されようとも、頬を打たれても出なかった涙が溢れる。

 もう自分なんて空っぽになったと思ったのに。もう心なんて、感情なんてなくなったと思ったのに。


 「ブラッドリー……」

 感情が揺さぶられる。なんと言っていいのかわからない気持ちが溢れる。


 どうして、この人はもう一欠片もなくなったと思った心を動かすんだろう?

 とっくになくした希望や勇気を思い出させるんだろう。

 たった、一行の社交辞令とも取れるメッセージで。

 まだ、心は揺さぶられる。

 まだだ。まだ、きっと心は全部は枯れていない。

 マルティナは目を閉じて、メッセージカードを握りしめ、奔流のような自分の感情にしばらく身を委ねた。


 「まだ、できることはあると思う?」

 こんなどん底のような状況で、誰も助けてくれる人のいない状況で、足掻いても、無駄足になるかもしれないけど。


 それでも、少なくとも母の思う通りの人生なんて歩んでやらない。

 マルティナの中に小さいけど、強い決意が産まれた。


 マルティナは机の引き出しの奥から二枚の紙を取り出すと、眺め、別の紙にまとめ出した。


 それは、一年ほど前、ブラッドリーからアドバイスを受けて作成したマルティナに割かれなかった家政の費用についてまとめたものとマルティナが家族へ費やした時間についてまとめたものだ。


 既に内容としてはまとまっているが、より見やすいようにまとめ直していく。そして、それの写しとして同じ内容のものをそれぞれ一枚ずつ複製した。


 完成したそれらの書類を持ち、家令の元を訪ねる。


 「傷が痛みますか?」

 「先ほどは手当ありがとうございます。その件ではなくて、お父様が次に邸に帰る予定を知りたいのですが……」

 「旦那様からは特に帰る予定は伺っていませんが、急ぎであれば、王宮のお仕事場を訪ねることもできますよ」

 「……お仕事場……」

 「ええ、騎士や文官などのご家族は、忘れ物や差し入れを届けたりしています。ご家族であれば比較的すんなりと面会できますよ。お急ぎであれば、そうするのがよいかと」

 「わかったわ。ありがとう。もうしばらく様子を見て、邸に帰られないようなら、お仕事場に伺うわ。あと、以前お渡しした書類、見やすく手直ししてみたので、お渡しします。前回のものと数字は変わっていないけれど、体裁を整えてみたの」


 家令には、以前、お母様の執務室の家政の財政に関する書類や領収書などを見せてもらう代わりにまとめた書類の提出を求められていて、既に提出していた。新たにまとめ直したものを渡す。


 「……確かに受け取りました。王宮に旦那様を訪ねられる時には、またお声がけ下さい」

 いつも表情が変わらない淡々とした家令の態度にほっとする。


◇◇

 

 母に頬を打たれてガーゼで片頬を覆われている状態は貴族令嬢としてあるまじき姿だったが、マルティナは変わらず学園に通った。

 

 「マルティナ!! その頬っ……」

 案の定、教室に入ると皆がざわめき、マシューに声を掛けられる。

 「ちょっと転んじゃって……。見た目は大げさだけど、大したことないのよ」

 マルティナが少し困ったような笑顔で答えると、周りにほっとしたような空気が広がる。


 「そう……。お大事に。もし、辛かったら生徒会の仕事は休んでも大丈夫だから」

 「本当に見た目が痛々しいだけで、大したことないの。生徒会の仕事にも支障はないわ」

 マシューはマルティナが求婚を断った後も相変わらず、態度が変わらない。大丈夫。ちゃんと私を私として見てくれる人もいる。マシューの態度は昔からマルティナの心を少しほっとさせてくれる。


 マルティナは不思議と凪いだ気持ちで、授業や生徒会の仕事をこなしていった。迎えた長期休暇前の試験は余分な肩の力が抜けていて、今までで一番手ごたえがあった。


 母はあれから、マルティナとは一切、目も合わせず、口も利かない。それでも、きっとマルティナを不幸に落とすことは諦めていないだろう。じっと母の動向を見守っていた。父は相変わらず家に帰る気配はない。もうすぐ長期休暇だ。母はきっと領地に帰るだろうから、母の不在のタイミングで父に直談判に行こう、と思っていた。


◇◇


 今日は長期休暇前、最後の生徒会の会合の日だった。先生に授業の質問に行っていて遅れて生徒会室に向かう。生徒会室の扉に手を掛け、そっと扉を開けると、自分の名前が耳に飛び込んできた。


 「スコールズ伯爵令嬢に、釣書を送ったんだけど脈あるかな? マシュー従弟だろ? 婚約者いないって聞いてるけど、どう思う?」

 「お前、次男だろ? 伯爵家への婿入り狙ってるなら、無理だぞ。マルティナが婿を取って伯爵家を継ぐことはない」

 「はっ? だって長女は公爵家に嫁入りしただろ? 跡取りはどうすんだよ」

 「とにかく、マルティナが伯爵家を継ぐことはない」


 マシューのいつもの柔らかい声色ではない冷たいもの言いに、足が竦む。マルティナだって、母だって、マルティナが婿を取って伯爵家を継ぐことはないと思っている。


 マルティナは領地のことは学園で学ぶ以上のことは知らないし、領主教育も受けていない。最低限のマナーや淑女教育は受けているけど、伯爵夫人として社交をする土台がまるでない。小さい頃から茶会も出席していないし、学園でも禄に人脈も築けていない。母と同様に、そのマイナスを補える愛嬌や愛想のよさもない。それはわかっている。


 でも、それをマシューの口から聞いたことにショックを受けた。マシューはマルティナの知らない何かを知っているのだろうか? マシューの求婚はなにか裏のあるものだったのだろうか? マルティナへの態度も演技だったのだろうか? 足元がぐらぐら揺れている気がする。


 「あら、スコールズさん、入らないの?」

 マルティナと同じく、遅れて来た生徒会役員の生徒に促されて入室する。

 「マルティナっ……、今の聞いて……?」

 「遅れてしまって申し訳ありません」

 「では、皆揃ったし、はじめよう」

 マシューの言葉を無視して、遅れたことを謝罪すると、何事もなかったかのように会議がはじまった。


 コンコンコンッ、会議も中盤に差し掛かったところでノックの音が響く。

 「ボルトン子爵令息、スコールズ伯爵令嬢、すぐに荷物をまとめて、王宮の貴族院へ向かうように」

 学園の教員に声をかけられる。

 驚くマルティナと対照的にマシューは落ち着いて荷物をまとめはじめている。


 王宮に向かう馬車の中で、マシューは、いつもとは違った険しい顔をして切り出した。

 「さっき、生徒会室で話していた内容に偽りはない。マルティナが伯爵家を婿をとって継ぐことはない」

 マルティナは、ただ静かに頷いた。マシューはいつもまっすぐで、誤魔化さない。


 「ごめん、言い方がきつかったように聞こえたかもしれないけど、ただ、無邪気になんの障害もなくマルティナに求婚できる彼にイライラしただけなんだ。今もまだ、マルティナに気持ちが残ってる。今日、貴族院での話し合いで全容はわかる。覚えておいて。困ったら、僕を頼っていいから」

 マルティナは先ほどマシューの会話を立ち聞きして、彼の気持ちや行動を疑った自分を恥じた。それでも、なんと返事をしていいのかわからずに、ただ頷くことしかできなかった。


 「彼の商会……マーカス商会のレンタルドレス事業、撤退が決まったって聞いたよ。マルティナも知っているだろう? 彼も自分の国に帰ってしまうんだろう? 前も言ったけど、僕のこと、利用していいから。困っても自棄にならないで」

 マシューは頑ななマルティナの痛いところをまっすぐに突いてきた。下位貴族を中心に出回っているその噂はマルティナも耳にしていた。マーカス商会のレンタルドレス事業は密かに人気があったが、この国の商会が後続で似た事業を始めると、背後にいる貴族家などに慮って、そちらに乗り換える流れが止まらないらしい。もう、ブラッドリーに会えるなんて思っていない。色々な思いを振り払うように首を横に振った。


 マルティナの様子に、マシューもそれ以上、言葉を重ねることはなく沈黙が続いた。マルティナはぼんやりと車窓から景色を眺めた。なにがあるのかはわからないが、マルティナはただ言われるがまま従うだけだ。


 王宮に着くと、スムーズに案内され、マシューの後ろに続いて行く。案内された場は思ったより公的できちんとした場所で、思わず背筋を伸ばす。


 簡素だが、広々としている会議場のような場所で、父の上司と父と母、マシューの両親である叔父と叔母も揃っている。そして、高齢で恰幅のいい紳士が二人、静かに控えていた。なぜかスコールズ伯爵家の家令が父の上司の傍に控えている。


 机はコの字に配置されていて、上座に父の上司と見知らぬ高齢の紳士二人が座り、その左右に向かい合う形でスコールズ伯爵家の父、母、マルティナが座り、対面にボルトン子爵家の叔父、伯母、マシューが座る形になっている。スコールズ伯爵家の家令は、相変わらず父の上司の背後に控えていた。


 この異様な状況に、マルティナは息を呑んだ。リリアンの除籍の時からなにかが背後で動いている気配がしていた。それが解き明かされる時がきたのかもしれない。願わくば、これ以上最悪の事態になりませんように。マルティナには祈ることしかできなかった。

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