20 姉の結婚式
新しい学年に進級した。
もう学園にはブラッドリーがいない。
学園のなじみの場所は、ブラッドリーの事を思い出させる。
どうして、一緒にいるときより、いなくなってしまってからのほうがその存在を色濃く感じるのだろう?
ブラッドリーに恥じない自分でいたい。その思いだけで自分を奮い立たせる。
最終学年に進級して、前年度の試験の結果を考慮され、Aクラスに上がった。最終試験結果が三位であったので、生徒会にも選出された。
姉よりも良い成績を取っても、生徒会に選出されても、母は相変わらずマルティナに無関心だった。
「三位ってことは上に二人もいるってことでしょ。それにアイリーンは生徒会長に選出されていたわ。平の役員くらい、なんてことないじゃない。それよりマシューも成績優秀で、生徒会役員なんでしょ? あっちは分家で子爵家なんだから、負けるんじゃないわよ」
マルティナが何をしたって、母の目には入らないんだろう。
もう母に対して何も期待していないけど、それでも心のどこかが反応してしまう。もう何度目かわからない失望の気持ちが広がる。
マルティナのクラスが上がったので、マシューと同じクラスになり、生徒会役員にマシューも選出されている。
今年度の生徒会長は侯爵家嫡男で、家のことで忙しく、他の役員も文官試験を控えていたりして、今年度は最低限の事を淡々と行うことになった。マルティナの他にも生徒会の経験者もいる。去年の大変さが嘘のように、生徒会の仕事はスムーズに進んでいった。マルティナがいなくても問題ないくらいに。
クラスや生徒会でマシューがなにかと気にかけて声をかけてくれるせいか、姉が次期公爵夫人でその縁が魅力的なのか、マルティナが身なりを整えるようになったからなのか、成績が上がったからなのか、マルティナの周りにも人が集まるようになった。深入りすることもないが、卒なく友人関係を築いていった。
母と交渉して、なんとか食堂での食事をとれるようになった。生徒会やクラスの友人達と食事をする。きちんと栄養を取らなくちゃ。きちんと自分で自分を大事にしなくては。もう、マルティナを気遣ってくれる人はいないのだから。
姉も花嫁修業と結婚式の準備のため、公爵家へと居を移した。母は、姉の結婚が間近に迫り、次期公爵夫人の母として、社交界でも鼻高々なようで、マルティナへの当たりもだいぶ弱くなった。
マルティナを苦しめていた姉は学園にも家にもいない。願っていた通り、姉の卒業で、母や姉からの束縛から解放された。夢にまで見た穏やかな生活。それでも、喜びより空虚な気持ちが強い。
歪な家族の役回りから解放されたら、きっと空っぽな自分に気づいて耐えられなくなると思っていた。実際に、今のマルティナには何も残っていない。
でも、今のマルティナが空っぽに感じるのは、隣に大事な人がいないから。そのことを見ないふりをして、自分の空虚を埋めるように、ひたすら勉強や生徒会の仕事に打ち込んだ。
◇◇
姉の結婚式は、全てのものに祝福されるように天候にも恵まれ、未来の公爵夫婦の挙式は盛大に行われた。
いつもは自分のドレスに頭を悩まされるが、さすがに次期公爵の結婚式ということで、リリアンと色味や雰囲気が揃った、伯爵令嬢としてふさわしいドレスが用意されていた。
煌びやかで華々しい式をぼんやり見守る。
姉の次は私の番なのかしら……?
そこには年頃の娘が抱くようなふんわりとした希望はない。
いつかこの家と縁を切って隣国へ渡れたら、と夢見た日もあった。
出奔して隣国に行くためには資金が必要になる。だが、その資金を調達することが難しい。
進級してできた友人達との会話でそのことを痛感した。
古い慣習が残るこの国で、貴族令嬢が働くことは難しい。働いているのは、家が貧しいか、没落寸前か、下位貴族の令嬢で、その職種も侍女か家庭教師と限られる。もし仮に働いても、そのお金は家に納められて手元には残らないだろう。
もう結婚して家を出ることでしか、家と縁を切る方法はないのだろうか?
そうしたら、隣国へ渡ることは諦めるしかないだろう。
いつまでも黒いクマのぬいぐるみを見えるところに置いておくからダメなのだろうか?
最近では、マルティナが普通の貴族令嬢のような風貌になり、姉が嫁入りすることにより、伯爵家を継げるかもしれないとマルティナにアプローチしてくる下位貴族の次男、三男が増えた。
父も母もマルティナの今後について言及することはない。未だに婚約者もいない。そろそろ自分で動くべき時なのだろうか?
◇◇
披露宴のパーティーで、従弟のマシューに声をかける。
「マシュー、話があるの」
「……断りの言葉なら聞きたくないなぁ」
相変わらず柔らかい雰囲気のマシューも最終学年になり、大人っぽくなった。そのことに、成長したなと感慨深く思うが、胸が弾むことはない。
「マシュー、私の事を、伯爵家でハズレと言われていて、なんの役にも立っていないって言われていた私を、好きになってくれてありがとう。マシューは、私達三姉妹を差別せずに、私にも優しくしてくれたよね。本当に救われていたのよ。だけど、マシューのことは、従弟としか兄妹のようにしか思えないの」
「マルティナ、はじめはそれでいいんだよ。嫌いじゃなければ、親愛の気持ちがあれば!」
学園でも、なにくれとなく声をかけてくれるし、見守るような目線を感じる。そのことには感謝しかない。いつもは穏やかなのに、声を荒げる様にマシューの真剣さを感じる。
「マシューが真剣に思ってくれているのがわかるからこそ、断るわ。私には忘れられない人がいる。貴族令嬢として、お父様に嫁げと言われたら、その言葉通りに嫁ぐわ。でも、マシューが真剣な思いを向けてくれているとわかって、あなたと結婚することはできないの。
私と結婚するということは両家の確執を思うと、茨の道になるでしょう。あなたに中途半端な気持ちで向き合いたくないの。逃げ道にしたくないの。例え、意に沿わない進路になろうと、あなたを選ぶことはできない」
マルティナもまっすぐに、マシューの目を見据える。少し離れた場所から、二人で話す様子を鋭い目で叔父が見守っている。
「……逃げちゃえばいいのに、利用してくれていいのに、マルティナはそれができないんだね……
もー…、十年後とかに、こーんないい男逃したって後悔しても知らないからね!」
「ふふふ、そうかもね……マシューありがとう。あなたは幸せになって。叔父様や叔母様に祝福される人と幸せになってね」
「はー、マルティナにはかなわないなぁ」
最後はいつもの調子に戻って、マルティナに負荷をかけないようにしてくれる。どこまでも優しい従弟の手をとることはできなかった。
もしかしたら、ブラッドリーと出会っていなかったら、マシューの手を取っていたかもしれない。でも、もう出会ってしまった。そして、心の大事なところに未だに居座っている。
未来の見えないマルティナにとっては、マシューの手を取ることが一番幸せな道なのかもしれない。他に残されている道は最悪なものしかないのかもしれない。それでも、自分が人を好きになることを知ってしまったら、同じように思いを向けてくれる人を利用することはできなかった。




