9 誕生日プレゼント
最悪だった姉の誕生日パーティーから二日が経った。今日はマルティナの誕生日だが、いつもと変わらない。例年と同じく、家族や伯爵家に仕える者から何かを言われることもないし、食事のメニューも普段と変わらないし、もちろんプレゼントなど何も用意されていない。マルティナは静かに十六歳を迎えた。
「ん、これ誕生日プレゼント…」
その日の生徒会室での昼休憩のこと。今日はエリックはクラスの友人と昼食をとると言って二人きりだ。ブラッドリーから手の平二つ分くらいの長方形の包みを渡される。
「私に?」
「マルティナ以外に誰がいるんだよ……」
マルティナは逸る気持ちを押さえて、丁寧に包みを開いていく。
「わぁ……」
かわいいピンクの包み紙から出てきたのはふわふわのクマのぬいぐるみだった。
マルティナの顔くらいの大きさでふわふわの黒い毛並み、黒い目がくりくりとしたクマのぬいぐるみ。首に鮮やかな赤色のリボンまでついている。
「かわいい……うれしい……私の……?」
ぬいぐるみをなでて、ふわふわの毛並みを味わう。色々な方向からぬいぐるみを眺めてみる。
「ちょ……マルティナ……泣くなよ……」
ぬいぐるみに夢中になっていたら、ブラッドリーが慌てふためいていた。マルティナは片手で自分の目元を確認する。
「涙? ……泣いてるの? 私……もう、涙なんて枯れ果てたと思ってたのに…」
自分で泣いている自覚がないのに、次から次へと涙が両目からこぼれてくる。
「これは、うれし涙? うれしくても涙って出るのね……
ブラッドリーありがとう。私、はじめてなの。誕生日プレゼントもらうの」
「あー誕生日、勝手に調べてごめんな。エリックには、勝手に調べるなんて気持ち悪いって言われたんだけど……」
「ブラッドリーが勝手に調べるのも、好きに行動するのもいつものことじゃない。私は、はじめてのプレゼントがブラッドリーからで、こんなに可愛いクマさんでうれしい」
泣き笑いの表情で、ブラッドリーを見ると思いのほか、真剣な表情をしていた。
「なぁ、マルティナ。あの姉から、あの家から解放される方法がないか真剣に考えてみないか? ずっと、あの家に縛られて、あの姉に使われて、そんな人生、嫌じゃないか?」
「真剣に考える……?」
ブラッドリーに言われてみると、マルティナは多少の口答えはするものの、それ以上、考えたり、行動してみたことはない。
「嫌だけど、そんな人生嫌だけど、どうしようもないじゃない。貴族の令嬢として家に縛られるのは仕方ないし、姉は立ち回りだけは上手いのよ。それに姉が結婚して、自分も結婚したら状況も変わるかもしれないし……」
「……マルティナがそう思っているなら、今はこれ以上は口出ししない。でも、覚えておいて。生徒会の仕事でも一人でするよりは楽だっただろ? 人に言うことで、助けを求めることで、状況が良くなることもあるんだ。辛いことがあったら、俺に言えばいいし、アドバイスがほしければ、俺に聞いてほしい」
「なんで、ブラッドリーはそこまでしてくれるの?」
「なんでか俺にもわからない。でも、マルティナが不遇な立場に置かれてるのが、誰もマルティナを大事にしないのが、マルティナ自身も自分を大事にしないのが、なんか納得いかないんだよ。まぁ、俺のマルティナへの不遜な態度への慰謝料だと思ってよ。
……ねぇ、マルティナ、諦めないで。人に何を言っても通じないってあきらめないで」
ぎゅっとクマのぬいぐるみを抱きしめながら、マルティナはやさしく降り積もるようなブラッドリーの言葉に返事を返すことはできなかった。
◇◇
「マルティナねーさま! 今日は早いお帰りですね!」
家に帰った後、自室でクマのぬいぐるみを眺めながらぼーっとブラッドリーとの会話を反芻していると、バーンッとノックもなしにリリアンが飛び込んできた。
「きゃーっ、なにこのクマさん!!! かーわーいー!!」
軽くつかんでいたクマのぬいぐるみを目ざとくリリアンが見つけ、マルティナの手から奪っていく。
「えー、黒いくまさんー赤いリボン似合ってる~、わーリリアン、これほしい!」
マルティナは目の前が真っ暗になった気がした。
リリアンがクマを掲げて、部屋をくるくると回っている。
ああ……いつものことだわ……
どうせ、私のものは全部、家族に奪われていくんだわ……
私に割り当てられる予定の予算も、私の時間も……
そして、はじめてもらった誕生日プレゼントも……
「返して!!!」
自分で、思ったよりも強い声が出て、一瞬息が止まる。マルティナに怒られたことのないリリアンも固まっている。リリアンの手から、奪うようにクマのぬいぐるみを取り返した。今度はとられないようにしっかりと抱える。
「これだけは、リリアンにあげられない。譲れない。初めてもらった誕生日プレゼントなの。大事な人からもらった物なの。だから、あげられない」
リリアンの大きな青い瞳にみるみるうちに、涙が溜まっていくのが見える。
大泣きされて、人が来たら、ぬいぐるみを取り上げられてしまうのかも。そんな情景が浮かんで、恐ろしくなりぎゅっと目を瞑って、ぬいぐるみを握りしめる。
「ごめんね……ねーさまの大事だったんだね……ごめんね……」
リリアンは、静かに泣きながら、謝ってくれた。
「うん、……うん。これだけは譲れないの。それにリリアンには、黒よりももっとかわいい色が似合うと思うわ」
リリアンの涙をハンカチでそっと拭うと、頭を撫でた。
「そうね。リリアンもそう思う。黄色とかピンクとかのくまさんがいーな。くまさんより、うさぎさんのがいいかな? 黒いくまさんね、きっと、ねーさまが大事にしていたから、すっごくいいものに見えたの」
「うん。すっごく大事なものなの」
すぐに泣き顔から、笑顔に表情を変えるリリアンに苦笑しながら、マルティナは、クマのぬいぐるみを抱きしめた。
姉との関係性は少しも変わらないけど、妹には響いた。
もしかしたら、ブラッドリーの言う通り、妹以外にもマルティナの言葉が届く人がいるかもしれない。
その日、ほんの少しだけ、マルティナの心に希望が芽生えた。