0 プロローグ
「なぁ、なんでそんな事してるんだ?」
一瞬、自分に話しかけられたと思わず、反応が遅れる。
学園に入学してから三年間、興味津々に遠巻きに見に来る人は多かったが、話しかけられたことはない。
華やかな美人であるアイリーンの妹なら、さぞかし美しいのだろうと期待して見に来た人達は、マルティナを見て、すぐに興味を失って、去って行った。
寝不足の脳に質問が浸透するのにも、時間がかかる。
なんでそんな事をしているかなんて、こっちが聞きたいくらいだ!
なんで、生徒会役員でもないのに、生徒会室にいるのか?
なんで、困ったことになったのと泣きついてきて、ここに連れてきた姉が、早々に生徒会室を出て行っているのか?
なんで、置き去りにされて尚、姉の仕事である生徒会長の仕事を把握して、なんとかしようとしてるのか?
ああ、こういうタイプは苦手だ。質問してきた男の顔を見て思う。
獅子のように存在感と華があって、自信にあふれている。目の前にいる人が誰であれ、自分の質問に答えない人はいないと思っているタイプだ。
マルティナと同じ黒髪黒瞳なのに、顔立ちが違うとこんなにも印象が変わるのか。艶があり豊かな黒髪が、彫が深い顔立ちと褐色に焼けた肌に似合っていて、凛々しい印象を与える。マルティナの場合は、黒い髪と瞳が、地味な顔立ちをさらに、暗く強調するばかりだ。まとまりにくい癖のある髪質のせいで、艶感がなく見えるし、寝不足のせいで、肌の調子も顔色も悪く、常に隈があることが、余計に寂れた印象を与えているだろう。
私のことになんて、かまわないでくれたらいいのに。こういう時になんて返事をしたらいいのか、わからなくて、ただ下を向いてもじもじしてしまう。頭に色々な考えが広がって、なにを答えるのが正解かわからなくて、だんまりを決めこんでしまうのだ。早く、飽きてどこかへ行ってくれないかしら?
「おーい、聞こえてる? なんで、生徒会役員でもないのに生徒会室にいて、生徒会長の仕事の資料を見ているのか聞いてるんだけど?」
生徒会役員でもないのに、生徒会室にいることを咎められているのかしら?
姉が生徒会長に選出されて、そのお手伝いで、って不自然だよね……
子どもの頃から、ずっと才媛と言われる姉の勉強や雑事を手伝ってるんです。その延長なんです!って言って、そんな事信じられる人いる?
その当人の姉は、婚約者の公爵家の令息にデートに誘われて、早々に退室しましたって正直に言っていい?
本当はこんなこと、やりたくない。こんなこと、放り出したい。そう言ってもいい?
でも、マルティナは何も言えない。
いつからこんなにたくさんのものを抱えることになったのか…
常に急き立てられるように、たくさんの物事をこなし、家族のフォローをして…
もう、こんなに背負えない、そう思っても止まれない。
誰かに、強制的にでも、止めてほしい、そう願っても、自分で止まることはできない。
だって、立ち止まってしまったら、マルティナには何も残らないから。
カラカラに枯れていて、空っぽでなんの価値もないって、バレてしまうから。
そうなったら、自分の心が砕けて、きっともう立ち上がれないとわかっているからーー
マルティナの選択肢はいつも一つだ。
姉に押し付けられた生徒会長の資料を乱雑にまとめると、それを持って無言で生徒会室を立ち去った。
言い訳も、泣き言も、正論も不要。ただ、無言で立ち去るのみ。
マルティナに答えられない疑問を投げかけてきた彼が隣国の有名な商会の息子だけど、平民であり、曲がりなりにも伯爵令嬢であるマルティナの不作法を咎められないことも、頭のどこかで計算しながら。