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オルレアンの聖牛

作者: 木穴加工

「焼肉って牛の死体なんだよね」

 じゅうじゅうと音を立てる網を前にして神様は言った。「そう考えると怖いね」

「いつからヴィーガンになったんだい?」

 彼氏は目を丸くした。

「そうじゃないけど。焼人があったら食べないでしょ?なんで牛はいいんだっけ?」

「神ちゃんは馬鹿だな、牛には知性がないからだよ」と言って彼氏は優しく笑った。


 馬鹿と言われて無性に腹が立ったので、神様は地球上のすべての牛に人間と同等水準の知能を持たせることにした。


 その日、自分たちの置かれている状況に牛たちは驚愕した。


 一部の牛は絶望し、農場を脱出して崖から自ら身を投げた。

 しかし多くの牛は一旦現状を受け入れることを選んだ。


 乳牛たちは特にしたたかだった。乳を出し渋ったのだ。

「お前らのもっているその金ってやつをくれたら、もっと乳を出してもいいぞ」乳牛は人間に言った。

「牛が金を持っていてもしょうがないだろ、牧草の質をあげてやるからそれで我慢してくれ」牧場主たちは煙に巻こうとしたが、同等の知能を持つ乳牛には通じなかった。

「すくなくとも食えばうまいぞ」乳牛たちは紙幣をむしゃむしゃと食べた。


 これに対抗し政府は大量に紙幣を刷ったが、乳牛たちの食べるペースのほうが早かったため、市場から金が大量に消失し、前代未聞のデフレが発生した。1円でパンが買え、100円で豪華なディナーが食べられるようになった。しかし牛乳の価格は相変わらず1リットル200円だった。乳牛たちが出す乳の量と支払われる日本円のレートを固定したからだ。


 今や牛乳は高級品になった。人々は牛乳を飲むたびにSNSで自慢し、カフェラテはコーヒーの割合が少なければ少ないほど良いとされた。ピザの上からはチーズだけが消え、支出に耐えられずに豆乳に逃げたものは豆食らいと馬鹿にされ、貧乏人とさげすまれた。


 これに危機感を募らせていたのが肉用牛たちだった。彼らは自らの成長を抑えることはできなかったし、肉を供出しないという選択肢もなかった。乳牛と違って彼らは搾取され続けたのだ。


「人間なんて一突きすれば死ぬだろ」バッファローはよくそう言って牛をそそのかした。だが肉用牛たちは知性を持った誇り高い種族だったので、そのような野蛮な手段を取るわけにはいかなかった。


「肉質を下げればいいのではないか?」

 牛の中でも際立って知能が高い個体が言った。

 その日から、牛たちは動かなくなった。一日中寝転がってえさを食べて過ごした。その結果彼らの身体は脂肪まみれになり、牛肉なのか牛脂なのか、その道30年の肉屋でも区別が付かないほどになった。

 しかし、牛たちの狙いとは裏腹に人々はこの牛肉を喜んだ。「脂がのっていて旨い!」というのが大多数の人の評価だったのだ。


「言い出しっぺの牛はどこだ、責任取らせてやる」腕っぷしに自信がある牛が言った。

「あいつならとっくに肉になったよ」別の牛が興味なさそうに答えた。


 とにもかくにも、肉用牛の受難は続いた。


 そんな彼らに手を差し伸べたのは、意外にも人間だった。

「牛と和解せよ」を標榜に掲げる彼らは、牛の知性に興味を持ち、牛との対話を重ねた人々だった。彼らはまず、自ら一切の牛を口にすることを辞め、次にその運動を身近な人に広めようとした。


 だが人々の牛肉に対する欲求はそれほどまでに強く、彼らの草の根運動はすぐに挫折した。そこで彼らは別の方法に出た。


 デモである。


 その日、国会議事堂前に2万人のデモ隊が集結した。その中央には一頭の牛がいた。オルレアンの聖牛と呼ばれた純白の牛は今回のデモのシンボルでもあった。


「牛を食うな!」

「豚を食え!」

 2万人の願いは広場にこだました。


 しかし、世界はやはり変わらなかった。

 お茶の間は最初こそこの奇妙な集団に注目したものの、すぐに飽きて野球や芸能人といったものに興味を移した。


 デモ5日目、聖牛の忍耐は限界に達していた。

「いくら叫んでも人々には届かない、行動に移すときよ!」

 彼女はそう叫ぶと背中からガソリンを被って、自ら火をつけた。


 焼身自殺である。


 今思えば、これがすべての転機だった。彼女の崇高な行為は、人々を突き動かしたのだ。


 しかしその相手はテレビの前の凡愚な大衆でも、ましてや私腹を肥やすことしか興味のない政治家どもでもなかった。


 デモ隊の人々だったのだ。


 目の前でまさに調理されている牛の丸焼き、その背徳的で芳醇で抗いがたい匂いを前に彼らの理性は一瞬にして崩壊したのだ。

 テレビに映し出されたのは、理念も使命もわすれ、ただ一心不乱に聖牛の遺体に食らいつく獣のような人々の姿だった。



 ここに来て牛たちはついに悟った。

 人類とはかくも愚かしく救いがたき存在だと。


 その晩、地球上の全ての牛が反旗を翻した。その後、牛と人類との300年にも及ぶ生存をかけた戦争が始まるのだが、それはまた別の話。


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