姉に紹介してもらった彼氏が、姉と不倫してるかもしれない
「おめでとう、ヘルマ姉さん」
姉に赤ちゃんが産まれると聞いて、ジュリアは婚約者と共にギルドの病室に駆けつけた。姉は夫を亡くして10ヶ月。冒険者の身で結婚した以上、死別の危険からは避けられない。上級騎士のウォルターは姉にお似合いの強くて優しい良い人だったが、ダンジョンの転移トラップにかかり、腕一本を残して消えてしまったという。出血量からしてもう生きてはいないとされていた。この赤ちゃんは亡き義兄、ウォルターの忘れ形見とも言える。
「ありがとう、ジュリア。あなたみたいな妹を持って私は幸せよ。あなたが依頼の代行の申し込みやギルドの病室の手配を頼んでくれなかったら、哺乳瓶すら買えなかったかもしれないわ」
「これに懲りたら普段からちゃんと貯金するのね。これからは子供も育てないといけないんだから」
ジュリアは冒険者の姉と違ってギルドの受付嬢をしていた。姉がそれまで受け持っていた依頼を待って貰ったり、他の冒険者に頼んだりするのはかなり神経を使う仕事だったが、姉がたくさんの冒険者に慕われていたこともあり、彼女のためならとみんなが協力してくれた。
気さくでおおらかなところのある姉にはたくさんの人が集まる。ジュリアの婚約者、ロルフも姉の紹介で出会ったのだった。粗野な人間の多い冒険者達の中でロルフは実直で真面目な青年だった。二人は順調に交際を進め、来月には結婚を控えていた。
そのロルフはやけにソワソワしていた。彼は今でも姉に助言を求めに行くことがあるので、師匠のような存在が臨月の妊婦になっているというのは衝撃的なのだろう。
「もういつ産まれてもおかしくないんでしょう? あんまり長居するのも悪いからこのへんでお暇するね」
「ええ、本当にありがとう」
ジュリアはロルフと腕を組みながら病室を出ていった。
※※※※※
「こんなときにドラゴンが現れるなんて……」
冒険者ギルドに戻ったジュリアは頭を抱えていた。移動しているルートからして数日以内にこの街に来るのは確実だ。
幸いにも街にドラゴンを討伐できるような冒険者達は揃っていた。しかしドラゴンは飛行する上に炎まで吐くため、どうしても街に被害が出てしまう。
姉が入院している冒険者ギルドは頑丈な建物ではあるが、巨大なだけあって標的になりやすい。かと言っても他に民間人をまとめて避難させられる候補は教会くらいしかない。
「ジュリア、酷い顔してるわよ。今日はもう帰りなさい」
同僚のフラウに言われ、ジュリアは地図から顔をあげた。あたりはすでに真っ暗になっていた。
「でも避難先を早い段階で決めておかないと……」
「こんな時間に決めたところで誰もすぐには動けないでしょうが。まだ日にちはあるんだし明日にしなさい」
そう宥められてもジュリアの顔は暗い。
「でも、ギルドに臨月の姉がいるんです。移動させるなら早くしておかないと困るでしょうし……」
フラウは眉根を寄せた。
「ああ、ヘルマね。はぁ、全くあの人はこんな時にも厄介になるのね」
ジュリアは申し訳なさそうに問い返した。
「あのぅ、姉が何か?」
フラウはあなたに言ってもしょうがないんだけどねと前置してから、書類の山から一つを取り出してジュリアに見せた。それを見てジュリアは固まった。
「あの人、自分の夫の死亡届けをギルドに出すのを3ヶ月も遅らせてたのよ。おかげで保険会社ともモメるし散々よ」
フラウは憤懣冷めやらぬといった風に続ける。
「絶対に保険金目的よ。遺児がいると金額が跳ね上がるからね。にしても夫が死んですぐ子供作る? 普通。相手の男も男よね。まったく、誰よ父親は」
「なになに? 誰のはなし?」
同じく残業をしていた同僚のジェシーが面白そうな話のにおいを嗅ぎつけて寄ってきた。
「ヘルマの子供の父親よ」
「あー! あれね。ヘルマは男が絶えなかったからねえ。まあウォルターは除外よね。オズワルドもギャレスもなくはなさそうだけど、やっぱり本命は彼女のお気に入りのロルフじゃない?」
「あー、しょっちゅう二人で遠征行くもんね。ほんと、ジュリアもあんな姉をもって大変ね。あんな人になっちゃダメよ。そういえばジュリアは今度結婚するんだよね? そろそろ相手の名前くらい教えてよ──って、あれっ? ジュリアは?」
フラウが辺りを見回す。フラウとジェシーの二人しかいない。
「走って帰っちゃったけど。どうしたのかしら」
※※※※※
ロルフが家に帰ったとき、部屋の中は真っ暗だった。いつもなら同棲しているジュリアがご飯を作って待っているのだが、今日は残業しているのかもしれない。
そう思いロルフは照明に火をつけた。
「うわっ! いたのか」
ジュリアが暗闇のなかでテーブルの前の席についていた。彼女は神妙な面持ちで何もない空間を見つめていた。灯りがついても振り返りすらしない
「ジュリア、どうしたんだ?」
彼女は首以外を全く動かさずにロルフの方を向いた。
「座って」
ロルフはジュリアに言われた通り従った。手汗がじんわりと滲み出てきた。
「ヘルマ姉さんの子供、ウォルターさんの子供じゃないんだって」
「そうなのか」
ピクリと頬の筋肉が痙攣したが、ロルフはなんとか表情を崩さずにやり過ごした。俯いていたジュリアが視線を向ける。
「驚かないんだね」
「まあ、彼女は奔放な人だから」
「知ってたんじゃないの?」
「いや」
「そう、噂ではあなたが父親かもしれないって言ってたけど」
「くだらないな。おおかた魔物討伐作戦の指揮を任される僕を妬んでるだけさ」
「そうね」
ロルフは声が震えないように努めた。いつも愛想よく冒険者達の受付をするジュリアとは思えない雰囲気だった。
「次のドラゴンの襲撃だけど、姉さんは教会に移ってもらうことになったわ。子供とかのすぐに逃げられない民間人もそこに避難してもらった。あそこは頑丈だし、ギルドと違って目立たないから」
そう言うと彼女は居間から出て行った。扉を閉めるとき、彼女は一言だけ言い残した。
「信じてるから」
その瞳には微塵の感情も見えなかった。
※※※※※
いよいよドラゴンが街を襲撃する。ロルフは街全体を見渡せる尖塔の上にいた。ドラゴンによる被害を受けた場所を確認し、即座に伝達魔法によって冒険者たちを割り振らなければならない。これにはドラゴンを討伐することだけでなく、純粋な人命救助のための人員配置も必要とされるので、繊細な判断が要求された。
ドォーン!!
ドラゴンの口から発射された火の玉が教会に命中した。引火はしなかったが塔楼が崩れたため、瓦礫の下敷きになっている人がいるかもしれない。そしてドラゴン自身は冒険者ギルドの方向に向かっていた。二つの建物はロルフのいる尖塔を挟んでちょうど反対側にあった。
ジュリアによると教会には大勢の子供や老人が避難しているのだという。逆にギルドは誰もいない。しかしこの事実は火事場泥棒を防ぐために住民には知らされていない。普通ならギルドには最低限の人員を配置し教会に人を送るべきだ。しかし──
「………………」
彼女はロルフを疑っている。いや、あの瞳は不倫が事実だと確信していた。それなのに本当に何もしないのだろうか。
彼女はギルドの受付嬢だ。そして今回の避難計画を練った責任者でもある。自分に復讐するつもりならば、これは絶好の好機だ。自分に嘘の情報を与え、本当はみんなが避難している先のギルドを無視させる。そうすればロルフの評価は地に落ちる。騙されたのだと主張しても大切な人を失って感情的になった遺族はロルフの言い分など聞かないだろう。
ロルフは望遠鏡で教会を見た。かなり小さな建物だ。あんな小さな教会に大勢人を避難させることなどできるだろうか。
逆の方向のギルドを見る。この距離では中に人がいるかわからない。だが窓から中で受付嬢の服が動くのが見えた。ロルフはにやりと笑った。
やはりギルドに人を避難させていたのだ。このまま教会に大勢の冒険者を配置すれば危うくドラゴンに食べ放題バイキングを提供するところだった。
「…………冒険者ギルドだ!! 冒険者ギルドに応援要請!! 早く行け!」
※※※
冒険者ギルドの近辺でドラゴンは討伐された。大勢の冒険者を送り込んだだけあり、ギルドの被害は軽微、犠牲者はいない。
ロルフがギルドに到着したとき、ギルドはちょっとした騒ぎになっていた。集まっていた冒険者達はロルフが来るのを見て不思議そうな顔をした。
「何かあったのか?」
「ああ、ちょっと面白い事件が起きてな。それにしてもこんなに大勢ギルドに集めてよかったのか? 無人ってことはここは囮で他の場所に避難させてたんだろ?」
ロルフの口がポカンと開いた。
「……無人、だって?」
「はあ? どこに避難させてどこを空けるかはギルドの受付嬢と相談してんだろ? なんでお前が知らないんだよ。確かうちのばあちゃんは教会に行ったんだっけな。あそこは大きな地下墓地があるから」
ロルフは青ざめた。答えない彼に代わって他の冒険者が言った。
「あそこに火球が衝突してたよな。瓦礫で埋まってないといいんだが」
※※※※※
ヘルマは妹の制服を着てギルドの中を物色していた。ここがもぬけの殻になるという情報を掴むのは難しいことではなかった。ギルド内の病室にいればいくらでも情報は手に入る。本当に妹のジュリアには感謝してもしきれない。
ジュリアは常にヘルマを信頼していた。ヘルマの言う事ならなんでも正しいと思ってくれていた。ウォルターは結婚するにはいい男だが、つまらない男だった。ロルフは情夫にするにはいい男だったが、どうせ結婚すれば飽きる。妹にあてがっておいて、たまに借りる程度が一番良い関係だった。
「さてと、金庫はどこかな〜」
ヘルマにはまだまだ金が必要だった。本来ならウォルターの保険金が山ほど支払われるはずだったが、子供が別の男の子供だとバレてしまった。ギルドも適当に話を合わせておけばいいものを、ちょっと保険会社に突かれたくらいでバラしてしまうなんて情けない。
そうなれば本来受け取るべきだった金額をギルドに補填してもらうしかない。
ヘルマは妹の鞄から拝借した鍵で金庫を開けた。
ブチッ
「…………あっ」
破水した。
生温かい水がどんどん流れ落ちていく。
「こ、こんな時に……」
水を止めようと力を込めるがどうしても止まらない。ヘルマは金庫を諦め外に出ようとしたが、耐え難い痛みが周期的に起こり、最後にはうずくまってしまった。
「誰か……助けて……」
「大丈夫か」
ヘルマが力なく言葉を漏らしたとき、無人のはずのギルドに答えるものがいた。助け起こしてくれた男の顔を見て、ヘルマは凍りついた。
「なんであんたが……」
死んだはずの夫、ウォルターがそこに立っていた。
※※※※※
ロルフが自分を信じないであろうことは分かっていた。ジュリアは教会に何かあったときに対処出来るように、信頼出来る冒険者に付近に待機してもらっていた。おかげでなんとか生き埋めという最悪の事態は避けることが出来た。
ジュリアがギルドに戻ると凄まじい騒ぎになっていた。ジュリアは近くにいた同僚のフラウに何があったか聞いてみた。
すると死んだと思われていたウォルターが生きており、ギルドに挨拶しにいこうとすると、無人のギルドで盗品を握ったまま破水した妻がいて、誰の子供か問いただすと近くで指示の不備を責められていたロルフが自分だと認めたのだという。
ジュリアは正直こんなに面倒くさい状況には関わりたくなかったが、ここでケジメをつけておかないともっと面倒なことになるので諦めて騒ぎの中に身を投じた
※※※※※
結局姉のヘルマは警察の預かるところとなり、ロルフは慰謝料で多額の借金を抱えた状態でギルドから除名された。
ジュリアはここまで奇異な騒動を起こした冒険者ギルドで働けるほどずぶとくはなかったので受付嬢の職を辞した。
そして今はというと──
「いいですか、ウォルターさん。義手を魔物に食わせてその隙に叩き切るという戦法は止めてください。義手は高いんです」
「だが命には代えられんだろう。仕方ないじゃないか」
「仕方なくないです。あなたが今まで壊した義手の修理費で新しい人が四人雇えます」
ジュリアは騎士団の帳簿係を任されていた。ジュリアとウォルターはお似合いの二人だと言われていたが、姉と結婚するような人間とは付き合いたくないとジュリアが一方的に拒否しているという。