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きみが卒業するまでは

作者: 秋津ゆう緋




 毎朝、ぼくは門の前に立つ。

 木でできたカンヌキを外して、ぼくの背丈よりずっと大きな門を押しひらいた。そうして中へ足をふみ入れ、また元通りに門を閉じる。


「おはようございます!」

「おはよう、ぼく」


 制服を着こんだおじさんが笑いかけてくれる。シュエイ(守衛)の人だ。おじいちゃんと同じくらいの年の人で、たまにおかしをくれる。門のすぐそばの小屋にいつも座っていて、何年も顔を合わせているからすっかり顔なじみだ。

 ぼくはランドセルの肩ひもを握って、ぱたぱたとかけ出す。最近は桜も散っちゃって、ぽつぽつと植わっている木はすっかり緑色にぬり変わってしまった。木もれびがゆれて、少しだけ目がちかちかする。それでもまっすぐ小道を抜けると、いきなり目の前に校舎が現れた。窓の外から黒板や机が見える。けれど、ここはぼくが通う学校じゃない。

 大学だ。

 小学校と中学校を出て、高校に通って、それから行くところ、らしい。人それぞれだけど、だいたいの人はそうだってお父さんが教えてくれた。普通は学校の中なんて勝手に入れないのに、大学は誰でも入れるから不思議だなって思う。小学校じゃ不審者訓練してるくらいなのに。

 朝の大学は人がまばらで、たまにリュックや肩かけバッグを持った人が歩いている。若い人はきっと学生で、もっと年上の人たちは先生なんだろう。あっ、違う。キョウジュって言うんだっけ。そんな中で歩いてるぼくはやたらチビで、ちょっと場違いな気分になる。ううん、実際場違いだ。小学生なんだから。

 ぼくがこの大学を通るのは、学校へ行くためだ。大学の外をう回すると遠いし、車の多い道路があって危ないから。学校へ行くのに学校を通るのって、ちょっとおもしろい。しかも大学は小学校と違って広いし、校舎ももっとたくさんあるし、ヘンなオブジェとか看板がいっぱいある。たまにネコもいる。

 ぼくは入ってすぐの古い校舎は無視して、その奥の新しい校舎の前で道を曲がった。そのまま突き進んだらグラウンドがあるから、その手前の自販機で左に進む。最初は似たような校舎ばかりでとまどったけど、もはや慣れたものだ。さっき通り過ぎた校舎は理学部で、一番手前は文学部だってことももう知っている。理学部は最近建て直したけれど、文学部のほうはまだ古くてトイレにゴキブリが出るらしい。シュエイのおじさんに教えてもらった。最近はサークルのチラシがそこかしこに貼ってあって、見ているだけで楽しいなって思う。

 テニスをしている人たちを横目に見ながら、ぼくはさらに奥へと走った。そうしたらまた新たな校舎があって、そして。

 あっ、いた。


「お兄さん!」

「おう、おはよ」


 ぶんぶんと手を振ると、校舎の外、犬走りに腰かけたお兄さんが振り返った。持っていたなにかを地面に押し付ける。煙が見えたから、たぶんタバコ。


「おはよう!」

「朝から元気だなお前……」

「へへ」


 そう言うお兄さんはお疲れだ。大学生はヒマだってよく聞くけど、お兄さんはいつもだるそうな空気をただよわせている。眠そう、かな。眼鏡の下の目元はクマがくっきりついていて、黒髪はぼさぼさしている。着ている白衣だってしわしわだ。きいたら昨日はここに泊まったらしい。すごい。もしかしたら大学生はヒマじゃないのかもしれない。


 このお兄さんは、この大学の人だ。

 初めて会ったのはぼくが一年生のとき。いつものようにここを通っていて、うっかり転んでしまった。それはもうマンガみたいにスッテーンって転び方で、うでとひざを思いきりすりむいてしまった。そこに通りがかったのがこのお兄さんだ。ひざを真っ赤にしたぼくを見て「おぅおぅ」と呟くと、ぼくを犬走りに座らせて手当してくれたのである。

 それ以来、会うたびにこうしてお話している。お兄さんは意地悪でちょっと口が悪いけど、本当はすごく優しい。学校に遅刻しちゃだめだから五分くらいしか話せないけれど、ぼくはお兄さんとお話するのが大好きだ。学校であったこととか、お兄さんの研究の話とか、いろいろ。お兄さんは植物の研究をしているらしい。サイボーショーキカンがどうとか言っていたけど、ぼくにはよくわからなかった。それでも聞いているだけでなんだか楽しくて、わくわくする。

 ぼくはいそいそとお兄さんの横に座った。お兄さんの白衣からほんのりタバコの香りがする。


「そうだ! きいてきいて、こんど運動会でピラミッドやるんだよ」

「ああ、組体操ね。懐かし……」

「そう! あ、小さいピラミッドなんだけどね、それでさ、ぼく、一番上なんだ」


 ふふん、と胸を張ると、お兄さんは意地悪く口の端を持ち上げた。


「おまえチビだもんなぁ」

「むっ」


 ほら、すぐチビって言う。


「まぁ頑張れよ。一番おいしいとこだもんな」

「うん!」

「怪我は気をつけろよ」


 お兄さんが目を細める。そしてん? と首を傾げた。


「おまえ六年?」

「え? ううん。五年生だよ」

「五年か……」


 お兄さんがふっと遠くを見た。どうしたんだろう。そう思った瞬間、お兄さんはぼくの頭をわしづかむ。そのままワシャワシャと掻き回されて声が出た。えっなに、なに。


「あんまりでかくはなってないな」

「っ、身長のことはいいの!」


 もう、すぐからかうんだから!

 頬を膨らませると、お兄さんがクツクツと喉を鳴らす。お兄さんはびっくりするくらい背が高い。でもひょろひょろ細いから、この前本で読んだ黒ずくめの名探偵みたいだなってこっそり思っている。白衣の代わりに黒の背広を着て、眼鏡の代わりにサングラスをかけたらぴったりじゃないだろうか。

 ……そうだ、年といえば。


「お、どうした?」


 急に黙り込んだお兄さんが首を傾げた。これ、きいちゃっていいのかな。ぼくは少し迷いながら口を開く。


「お、お兄さんさ」

「おぅ」

「もしかして、リューネン、した?」

「は?」


 クマだらけの目がまぁるくなる。ずる、と黒ぶちの眼鏡がずり下がった。


「はぁ? 留年?」

「う、うん」


 だって、そうとしか考えられない。

 お兄さんに会って今年で五年目になる。ふつう大学は四年だから、お兄さんはこの前の春に卒業しているはずだ。院ってところに行く人もいるらしいけど、シュエイのおじさんいわく、こことは別の場所に通うことになるんだって。そうなると、ここにお兄さんがいる理由はひとつしかない。リューネンってやつだ。

 ぼく知ってる。リューネンって、もう一度同じ学年で勉強をやり直すことだ。お兄さんが最近お疲れぎみなのも、そのせいなのかもしれない。

 って、思ったんだけど。


「はははッ!」

「へ?」

「は、ハハッ、はー……あはははは!」


 え、なんで、こんな笑って。

 頑張って説明したら、いきなりお兄さんが笑い出した。こんなに笑ったところ初めて見た。思わずあわあわすると、お兄さんが目元を拭う。涙が出るほど笑っているんだ。腹いてぇ、と呟く声が聞こえる。


「あーおもしれぇ……ははは」

「な、なんで!」

「そーかぁ、オレまだ大学生に見えんのか。あはは!」


 え?


「お兄さん大学生じゃないの?」

「違うぞ」

「えええっ!!」

「いやーオレもまだまだ若いなぁ」


 お兄さんはまだ笑っている。ぼくの肩をぽんぽんと叩いた。


「オレは勉強教える側。学生じゃねぇぞ」

「えっキョウジュ!?」

「キョウジュではないけど」


 キョウジュじゃないんだ。また別の呼び方があるのかもしれない。

 はー笑った、とお兄さんは膝を叩く。ぼくはまだ驚きが止まらなかった。お兄さん、大学生じゃなかったんだ。先生で、でもキョウジュじゃなくて。

 あっ。


「な、ならさ」

「ん?」

「来年もいる……?」


 ずっとどきどきしていたのだ。お兄さんが卒業したらもう会えなくなってしまうんじゃないかって。お兄さんがリューネンしたかもって思ったら悲しかったけれど、こうしてお話できたのは嬉しかった。われながらひどいなって思うけど。

 でも先生なら、卒業もなにもないはずだ。


「来年もここにいる? お話できる?」

「……まぁ、いるんじゃねぇの」


 んな顔すんな、と額を弾かれる。どんな顔だろう、とぼくは頬を触った。


「だって、お兄さんが卒業したらお話できなくなるって思ってたから」

「あっそ」

「……お兄さんは寂しくないの」


 お兄さんがあまりに素っ気なくて、なんだかむかむかしてきた。ぼくばっかりがさびしがってるみたいだ。


「あ? 寂しいぞ」


 ぼくはじっとお兄さんを見た。眼鏡で、ぼさぼさで、若いのになんだかくたびれている。


「……ぜんぜん見えない」

「おまえが鈍いだけだよ」

「わっ」


 また頭をワシャワシャされた。さっきのワシャワシャよりもずっとひどくて、髪があっちこっちに跳ねてしまう。ああもう、ちゃんとクシでとかしてきたのに。

 あー寂しいよ、寂しい寂しい、とぼくの頭をいじりながらお兄さんが言う。お兄さんの眼鏡が朝日に照りかえして顔がよく見えない。ふわふわとタバコの残り香が白衣から香った。なんだかはぐらかされているような気がひしひしとする。悩んでたぼくがバカみたいだと思って、カッとほおが熱くなった。


「も、もう行く!」

「はは」


 お兄さんの手を払って、犬走りを下りる。

 ああでも、お兄さんは卒業しないんだ。ずっとここにいるんだ。そう思ったら、ちょっとだけホッとした。まぁ、そんなこと言ってあげないけど!

 ランドセルをしょい直して、手さげかばんをつかむ。


「……いつか卒業するのはおまえのほうだよ」

「え?」


 歩き出そうとしたとき、お兄さんがなにか言った気がした。よく聞こえなかった、とぼくは振り返る。


「お兄さん、なにか言った?」

「んー?」


 お兄さんはだまって口の片はしを持ち上げた。ぼくのランドセルを軽くたたく。


「いってらっしゃい、って言ったんだよ」





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