偽者の聖女として追放された私は、精霊師として隣国の公爵閣下と幸せな第二の人生を送る事にしました
「『聖女』の名を騙っていた偽者の『聖女』として、エスト・フェルグ、貴様を国外追放とする」
それは、王家主催であったパーティーの終わり際。
主催者であったダミアン王子殿下が、最後に一つ。と、参加者の注目を集めたのち、私に向けて言い放った言葉であった。
その唐突過ぎる発言のお陰で頭の中が真っ白になる。しかし、私のその反応をこれ幸いと、ダミアン王子殿下がまくし立てるように言葉を並び立てる。
「ついては、ここにいるメルト嬢を新しい『聖女』として迎える事とする」
彼の言葉に応じるように、セミロングの青髪をひょこっと揺らしながら、少女が顔を見せた。
パーティーの最中。
ほぼずっとダミアン王子殿下の側に彼女がいた理由はそれ故であったのか。
そんな理解が場に広がってゆく中、
「お待ち、ください」
どうにか言葉を絞り出し、私は声をあげた。
「偽者の『聖女』、とはどういう事でしょうか」
『聖女』として、比類なき活躍をし続けてきたかと言われれば素直に首を縦に振れないかもしれない。未熟な部分も多分にあっただろう。
しかし、これでも『聖女』として出来る限りの事はしてきたつもりだ。
王太子様に己が嫌われていると察した上で、それでもと与えられた役目をこなしていた。
なのに、いきなり『聖女』の名を騙っていた偽者の『聖女』呼ばわりをされる事は、幾ら何でも納得がいかなかった。
「言葉の通りだが? 貴様よりもここにいるメルト嬢の方が余程『聖女』に相応しい人間だ。ならば必然、彼女ではない貴様は、『偽者』でしかないだろう?」
『聖女』は二人も存在しないのだから。
王太子様はそう言葉を締めくくる。
「……何より、〝精霊〟などという得体の知れないものに手を借りなければ何も出来ない貴様は、元より『聖女』に相応しくなかった」
昔は、〝精霊師〟などという人間もいたらしいが、〝精霊〟と心を通わせる人間はここ数十年の間に全くと言っていい程にいなくなっていた。
それもあって、〝精霊〟に対して「得体の知れない」という認識を持つ者達も多くいた。
王太子様も、その一人であった。
「そもそも、貴様は〝精霊〟などという得体の知れないものを使役出来るという物珍しさから『聖女』に選ばれただけだ。『聖女』として相応しいだけの力は貴様に備わっていないだろうが……!!」
「そ、れは」
————ちがう。
そう言ってしまいたかった。
でも、喉元付近にまで出掛かった言葉をどうにか飲み込み、私は目を伏せる。
『聖女』の役目は、害獣と呼ばれる魔物から民を守る事であったり、治癒師の真似事であったりと多岐にわたる。
そして、『聖女』の代名詞とも言える『聖結界』の維持、等。
ただ、私はそれを、見える範囲では最低限しかこなしていなかった。
……否、こなせなかったが正解か。
〝精霊〟の力を十全に借り、私が誰もが理想とする『聖女』である事を王太子様自身が許さなかったから。
それを強行しようものならば、私だけに留まらず、周囲にまで彼の嫌がらせは及んだ。
だから、気付けば、私は王太子様の前では『聖女』らしく振る舞う事より、不興を買わないようにと出来る限り平凡に振る舞うように気をつけるようにしていた。
「一部の人間は貴様が『聖女』となってからというもの、豊作になっただ、魔物が減っただ、なんだかんだと言っているが、それらは単に元からそうなる運命であっただけの偶然の産物だ」
きっとそれは、〝精霊〟達が力を貸してくれていたから。
しかし、私はそれを言ったところで信じてはくれないだろう。
彼は、今は体調を崩しがちな現国王陛下が特に評価していた〝精霊〟についての話をひどく嫌う。王太子様自身が〝精霊〟と言葉を交わす事が出来ない側の人間である事も嫌う要因の一つだったのかもしれない。
だから今、その言い訳をしようものなら火に油を注ぐものでしかなくて。
ゆえに、口籠る事しか出来なかった。
「対して、このメルト嬢は偽者の『聖女』とは異なり、胡散臭い〝精霊〟などという存在に頼る事もなく、重傷を負った人間の傷を治せるだけの確かな治癒の才能を持っている」
『聖女』としての適性も申し分ない。
だからこそ、僕はメルト嬢を真の聖女として迎える事に決めた。よって、偽者であった貴様は『聖女』としての地位を剥奪。
加えて、その〝精霊〟という得体の知れない力で逆恨みをする可能性もなきにしもあらず。
故に、貴様を国外追放の処分とする————と。
「これで間違いなく、これからの我が国は更なる繁栄を約束される事だろう」
意気揚々とそう口にする彼を前に、私はどうにか、王太子様に考え直して貰えるように言葉を黙考して探す。
確かに彼の言う通り、豊作になったのも、魔物が減ったのも、全て私の力によるものじゃない。
王太子様は信じてはくれないだろうが、それらは全て、気の良い〝精霊達〟が手を貸してくれた結果である。
しかし、王太子様に私の言葉を聞く気は微塵もなくて。
意を決して声を張り上げようとした刹那、私と彼との間に割ってはいるように、二名の騎士が立ち塞がった。
まるで、これ以上の言葉は必要ないと言わんばかりに強引に会話を打ち切られる。
言いたい事を言いたいように口にした王太子様は、私に背を向け、最後に一言。
「五日以内に荷物を纏め、この国から出て行け」
それだけを告げて、私の前から姿を消した。
それからというもの。
国外追放を宣告された事。
私は『聖女』としてどうすれば良かったのか。
そんな事を考えるうち、気づけばあれから三日ほど経過してしまっていた。
約束の日まで後二日。
それまでに私は国を出ないといけない。
一応、実家へ手紙は送ったし、もう一通り荷物はまとめておいた。
でも、国を出る事に対して躊躇う気持ちと、王太子様ともう一度会話する機会を得られればこの誤解は解けるのではないのか。
それらの考えが、未練がましく私を部屋に留めさせていた。
『ほんっと、あり得ない。私達のエストにあんな態度を取るなんてあの人間、本当にあり得ない』
そして、怒った様子で私の近くで飛び回る〝精霊〟————ソフィスの声を聞きながら、私は苦笑いする。
『聖女』に選ばれる前より私の近くにいてくれた〝精霊〟の一人。
だからなのかも知れない。
今回の事の顛末を、ふざけるなと言わんばかりに小さな体躯ながら荒れ狂っていた。
でも。
「大丈夫だよ。ちょっと、悲しくはあるけど、もしかすると私にも非があったのかもしれないし」
『……ないわよ。エストに非なんて何もない。あぁ、もう。ほんと、あの人間、どう懲らしめてやろうかしら』
だから、ね?
落ち着いてと促すも、不満げな表情が和らぐ事はなく、機嫌は悪化する一方。
どうしたものかと眉根を寄せる私であったけど、唐突に怒り狂っていたソフィスの口が止まる。
『エスト。誰かが近づいて来てる』
怒りは一旦なりを顰め、そのかわりと言わんばかりに警戒心の滲んだ声音が私の鼓膜を揺らす。
「……まだ、二日はある筈だよね」
『……これは、多分、騎士じゃないわ』
「騎士じゃない? なら、もしかして、」
さっさと国を出ろ。
などと騎士を使って言いにきたのかと思ったけど、どうやら違うらしい。
なら、もしや王太子様が考えを改めてくれた……?
と、一縷の希望を見出す私であったけど、程なく出口に続くドアが押し開けられた事で、その予想が違っていたのだと思い至る。
「久しぶりだな、エスト・フェルグ殿」
特徴的な、銀髪の青年であった。
貴族然とした服装、佇まいから、利発さが滲み出ていた。
しかし、私の名を呼ぶ彼の存在に心当たりがすぐには浮かばなくて。
キョトンとする私の表情から、その内心を察してくれたのだろう。
「十年ぶりくらいだからな。一目で分からないのも無理はない」
笑って彼はそう口にする。
ただ、
「ヨシュア・ヴェザリア。ヴェザリア公爵家の名に誓って返すと決めた恩を、返しにきたと言えば、思い出してくれるか?」
「……ぁ」
ヨシュアと名乗った彼が口にしたその一言で、全てを思い出す。
この国では全くみない銀色の髪をしていた事も昔の記憶を思い出す手掛かりとなった。
「話は大体ではあるが、把握してる。言ったよな、俺は。貴女が困った時は、立場を押してでも駆け付けると」
……それは、十年近くも前の話。
私でさえも今の今まで忘れていた記憶を、彼は当然のように掘り起こしてゆく。
「だから、言わせてくれ。あの時に返せなかった恩を。昔助けて貰った恩を、どうか今、返させてくれないか」
* * * *
それは、私がまだ『聖女』になったばかりの随分と昔の出来事。
「〝聖女の力〟については、どうかご内密にお願いしたいのです」
真っ白な部屋の中。
苦笑いを浮かべながら私は一人の少年に向けて、そう告げていた。
隣国の貴族であった彼は、『聖女』の噂を聞きつけ、やって来た人間であった。
「それは、どうして……?」
そして、数分前まで彼は病におかされていた。
それを、私が『聖女』の力を使って治した。
一見、『聖女』として相応しい行為に見える。
事実、少年もそう捉えていたのだろう。
だから、内密にと懇願する私の発言の意図が分からないと言葉で訴えかけて来ていた。
「王太子様の前では、出来るだけ目立ちたくなくて」
私は一度、彼の病は治せないと公式の場では頭を下げていた。
でも、意気消沈とした様子で場を後にする少年と、その使用人達を追いかけ、密かに治療を私は行った。
そういった行動を私がとった理由は、知られたくなかったから。
彼の病をある人物の前で治すわけにはいかなかったから。
「……えっ、と、その、私はあんまり、好かれてないみたいなので」
『聖女』としての才能に恵まれていた私は、ある時、『聖女』として、王太子様の婚約者として迎え入れられた。
それもあって、私は『聖女』らしくあろうとしていたけれど、それを歓迎しない人がいた。
————王太子様だ。
彼は、『聖女』として私が周囲の人間達から持て囃される事をひどく嫌っていた。
己よりも、『聖女』として活躍する私を。そして持ち上げ、賞賛する周囲を、執拗に。
それ故に、『聖女』として活躍しようものならば、私だけに留まらず、私の実家であるフェルグ侯爵家にまでその嫌がらせは及んだ。
だから必然、私は誰からも頼りにされる『聖女』でいるわけにはいかなかった。
「……なら、尚更この恩を返したい」
彼から恩返しをされては、何かの拍子で王太子様に知られる可能性がある。
そうなっては、密かに行動をした意味がなくなってしまう。
それを理解してくれたのだろう。
彼の表情に刻まれていた険は、跡形もなく霧散していた。でも、彼は大人しく引き下がる、という事をしようとはしなかった。
「そうだ。俺の家に、客人として席を用意しよう。それならきっと、息苦しい思いをしないで済む。貴女は俺の恩人だ。父上や母上も、無下には、」
「いえ」
————しないだろう。
本来、彼の口から紡がれる筈だった言葉を私は遮る。そして、首を左右に振った。
「お気持ちだけで、十分です。それに、『聖女』として役目を引き受けたからには無責任な事だけはしたくなくて」
「…………」
そう告げる私の意思は固いと判断してか。
少年は、残念そうな表情を浮かべながらも、口を真一文字に引き結んだ。
森の奥を想起させる彼の深緑の瞳はどこか、悲しげに揺らいでいて。
何処かいたたまれない空気に染まる中、何を思ってか、少年は再び口を開いた。
「————なら」
それも、殊更大きな声で。
「なら、この恩はいつか返させて貰う事にする。それがいつで、どんな形になるかは分からない。でも、この恩はいつか返す。ヴェザリア公爵家の名に誓って」
……そんな大層な誓いを立てなくてもいいのに。
そもそも、私が好きでやった事なんだから、「ありがとう」の言葉一つで十分過ぎるのに。
なんて感想が頭の中に浮かんでいたけれど、そこまでいってくれる相手に固辞し続けるのも失礼にあたってしまう。
何より、「いつか」であるならば問題はないだろうと私は頷く事にした。
「……貴女が、こうして〝精霊〟に愛される理由がよく分かる」
私の周囲には、複数の〝精霊〟が飛び交っていた。その様を目にして、彼は言う。
私は、『聖女』などと呼ばれているけれど、その実態は、〝精霊〟から力を借りる事が出来ている一人の人間というだけだ。
だから言うなれば、『聖女』とは〝精霊〟に愛された人間の別称とも言えた。
「俺達の国では他の国ほど〝精霊師〟の存在は珍しくないが、それでも、これほど高位の〝精霊達〟に慕われる人間は見た事がなかった」
「〝精霊達〟が優しいだけですよ。でも、だからこそ、その期待には出来る限り応えたいし、私にしか出来ない事があるなら、その力になりたい。困ってる人達の助けになりたい」
まるで、私が凄い。
と言わんばかりに彼が言うものだから、「そうじゃない」とつい否定してしまう。
凄いのは〝精霊〟達であって、私ではないから。『聖女』としての地位だって、〝精霊〟がいたからこそのものである。
「なーんて。ちょっと分不相応な言葉過ぎましたね」
王太子様の話題を持ち出してしまってからというもの。少しばかり重苦しい空気が続いていたものだから、ここらで空気を和ませよう。
そう思って、茶目っ気を出してみたのだが、何故か予想していた反応はやってこなくて。
「俺は、そうは思わないけどな」
「…………」
予期せぬ返答に、私の思考は停止する。
……ここは、一緒に笑って流すところだったんだけれど。
「そういう綺麗な考えは、俺は素敵だと思うし、何よりその考えに俺は救われた」
「ぁ……え、と」
「俺がもし、貴女と同じ立場だったとして。こうして誰かを助けるという行為を同じように選べたかどうかは即答出来ない。でも、貴女は違う」
だからこそ、分不相応とは思わない。
真っ直ぐな瞳を向けられながら、そう言われたものだから、少し照れてしまう。
鏡があるならば、きっと映り込む私の頰は紅潮しているかもしれない。
「……なんか、照れますね」
真正面から。
どこまでも真摯な態度でそう褒められたものだから、多少なり世辞が入っていると思い込んで尚、うまく割り切る事が出来なかった。
「だからこそ、貴女が困った時、今度は俺が助けよう。元より貴女に助けられた命だ。その時は、立場を押してでも駆けつけると約束する」
……義理堅い人だなあ。なんて思ってしまう。
〝精霊達〟もそう思っているのか。
心なし、いつもより楽しそうに飛び回る彼らは、私の考えに同調してくれているようでもあって。
「またいつか、会える日を楽しみにしてる」
「私も、です」
病を患っていた彼にとって、「またいつか、会える日」という言葉は相応の意味が込められたものであると思った。
だから、私もそれに笑顔で応える事にした。
それが、彼————ヨシュア・ヴェザリアと私の出会いであった。
* * * *
「単刀直入に言おう。ヴェザリア公爵家に、身を寄せる気はないか」
「ヴェザリア公爵家に、ですか」
「というより、うちの国————アルザークに来ないか?」
公爵家に身を寄せる。
と、ヨシュアさんが発言した際に、少しばかり私が難しい表情を浮かべたからか。
彼はそう言い直していた。
「アルザークは〝精霊〟に対して理解がある。というより、今の王子殿下が〝精霊師〟なんだ」
「それは……珍しいですね」
この国では、〝精霊師〟と呼べるような人間は私を除いて全くと言っていいほど出会う事はなかった。
だから、余計に珍しいと思ってしまう。
「きっと、この国よりもずっと過ごしやすいと思う」
その通りだと思った。
国のトップに限りなく近い人が〝精霊師〟であるならば、〝精霊〟に対する偏見はないだろう。
ただ。
「……でも、お気持ちだけ受け取っておきます」
笑みながら、私は彼のその申し出を、昔と同様に辞退しようと試みる。
「何故、と聞いても?」
「これは、私の問題ですから。申し出は本当に嬉しかったんですけど、厄介ごとをこうして抱え込んでしまってるのに、ヨシュアさんまで巻き込むわけにはいきませんから」
国外追放されました。
はい、おしまい。
であるならば、良いのだが、本当にこれで全部綺麗さっぱり終わりとも限らないし、もしかすると嫌がらせもあるやもしれない。
そう考えると、やはりその厚意に甘えるべきではないだろう。
考えを纏めながら、固辞する私を内心を見抜いてか。
側にいたソフィスは、『あっきれた』と言わんばかりに溜息をついていた。
でも、エストのそういうところが私は好きなんだけども。
という言葉が続き、つい頰が緩んでしまう。
そして。
「なら、問題はないな」
「……はい?」
まるで、先の私の返事を度外視するような発言が聞こえてきた。
だから、聞き間違えたのかなって思って素っ頓狂な声を上げてしまう。
「その程度は、俺は迷惑と思わない。そもそも、俺は貴女に一度命を救われてる。その恩返しなんだ。最低でもそのくらいはさせて貰わないと、とてもじゃないがつり合わない」
「…………」
「あの時のように、無責任な事をしたくないと言われればそれまでだったが、此方の心配であるならば問題はない。その程度は、迷惑とすら思ってないからな」
あっけらかんとした様子で、ヨシュアさんは私に向かってそう口にする。
でも、私自身はあの時、自分ができる事をしただけだし、〝精霊〟に力を貸して貰っただけ。
その認識が強いせいか。
安易に頷く事は出来なくて。
「あの時の事、エストさんは覚えてるか」
あの時、とはきっと私が彼の病を治したあの日の事なのだろう。
「俺、優秀な治癒師は勿論、精霊師も誰も彼もに無理って匙を投げられてたんだ」
他国の人間がお忍びで『聖女』と呼ばれていた私を一縷の望みとして頼ってきたのだ。
だから、出来る事は全てした後だったのだろうという事はすぐに想像がついた。
「で、この国にやって来て。それで、また無理って言われて、諦めたところに……貴女が来てくれた」
「ぇ、と、その、すみません」
「いや、責めたいわけじゃないんだ。あの時の対応が仕方がなかった事くらい、現状を見れば一目瞭然だ。あの時のエストさんの対応に、何一つとして瑕疵はなかった」
そのくらい、王太子様と私の関係は昔からお世辞にも良いとは言えないものであった。
「そして、そのお陰でこうして今も俺は生きてる。貴女のお陰だ」
ヨシュアさんが、歯を見せて笑う。
屈託のない正真正銘の笑顔であった。
「だからこそ、俺は貴女に恩を返したい。それに、あまり良い言い方ではないが、これもいい機会だと思うけどな」
「いい機会、ですか」
「ああ。これまで、『聖女』としてこの国に貴女が尽くしていた事は知ってる。けれど、そのせいで自分の時間ってやつは全くなかっただろう?」
その一言を、私は否定出来なかった。
『聖女』として選ばれたからには責任を持ってやる。本当に、ただそれだけであったから。
「これを機に、自由気ままに生きてみるのも良いと、俺は思うけどな」
「自由、気まま……」
言葉を反芻する。
「世界には色んな生き方がある。色んなものがある。貴方のお陰でこうして楽しく生きられている俺だからこそ、エストさんにも楽しく生きて欲しいって、そう思うんだ」
「…………」
『あら、珍しい。エストが照れてる』
「ぅ、うるさいな」
ヨシュアさんからの言葉に面食らって、思考が停止する私であったが、会話に割り込んできたソフィスのおかげで我に返る。
……ただ、純粋に私の事を考えて貰った機会というのは殆どないからか。
そこに未だ引っ張られて、上手いこと思考が働いていない気しかしなかった。
でも、『聖女』としての私が追い出されてしまった以上、ヨシュアさんの言うように、これを機に自由気ままに生きるのもありかもしれない。
気付けば、そう思う自分が頭の中に存在していた。
『良いんじゃないの? そういう生き方をしても。誰もエストを責めやしないわよ』
その思考を見抜かれ、側にいたソフィスからも背中を押されてしまう。
そして、数秒の沈黙を経たのち。
「……えと、あの……お言葉に甘えさせて貰ってもいいでしょうか」
「ああ、それはもちろん」
一度断っておきながら、不躾でしかないけれど。
語尾にそんな言葉を付け足そうか悩んだが、付け足す前にヨシュアさんからの返事がやってくる。
……本当に、義理堅い人だなあ。
十年近く前に抱いた感想とちっとも変わらない印象をヨシュアさんから感じながら、私はアルザークへと向かう事となった。
ただ、その心境は、少し前よりもずっと晴れやかなものに変わっていて。
自由気ままに生きてみるのも、悪くない気がする。
そんな考えで私の心の中は埋め尽くされていた。だからか。
『しかし、あの小僧も馬鹿な事をしたわね。よりにもよって、エストを追放するだなんて。複数の〝精霊〟から愛されてる上、エストの場合は精霊王の助力を受けられる希少過ぎる人間なのに』
ソフィスの独り言をうまく聞き取れなかった。
「……? ソフィス、何か言った?」
『いーえ。なーんにも。ただ、あの王子が愚かだなあって思っただけ。これだけ〝精霊〟に愛された人間もいないのに。ま、くだらない理由で追い出したのだから、多少の痛い目は見て貰うけど』
「物騒な事はやめてね、ソフィス」
何やら、物騒な呟きを漏らすものだから一応釘を刺しておく。
『もちろん。あたしはただ、もう手を貸してはあげないってだけ。それよりも、行くと決めたからには早く支度をするわよエスト』
ソフィスのその言葉が、遠くない未来。
この国がちょっとばかし大変なことになる予知めいたものであったと私が知るのは少し後の話である。
読了ありがとうございました。
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