プロローグ1.別の世界を見てみたい
リスタール家の姉弟たちの冬の夜の楽しみと言えば、暖炉の側に寝転がって祖母の語ってくれる昔話を聞くことだった。編み物の得意な祖母は、毛糸だけしか使っていないのに、まるで魔術のようにスルスルと作品を編み上げていった。複雑な模様も、途中から色が変わるマフラーも、祖母の手にかかればあっという間だった。
彼らの祖母は実に多才な人物で、語り手としても優れていた。柔らかい声音で、まるで本当にその場所にいるかのように聴衆を物語の世界へ誘った。それは動物たちの可愛らしい生活だったり、勇壮な戦士たちの一生だったりした。
中でも、グリセルダとジェレミアの姉弟が気に入っていたのは、別の世界からやってきた「マレビト」たちの物語や、別の世界を夢で覗けるという「夢渡り」たちの出てくる物語だった。二人は何度も祖母にこれらの物語をせがんだ。そして、いつか自分たちも「マレビト」や「夢渡り」たちのように、別の世界をこの目にしようと誓い合った。
「ジェレミア、一緒に探そう、マレビトを! 別の世界に連れて行ってもらうんだ!」
「うん、お姉ちゃん! 僕も別の世界を見てみたい!」
他愛ない子どもの夢だった。
後妻の産んだ弟だったジェレミアはその後すぐにリスタール家のゴタゴタのせいで遠くの聖堂へ預けられ、グリセルダは翌年のデビュタントに向けてさらに忙しい日々を送るようになった。同じ国に住んでいても、およそ正反対の場所にいたため、実際に会うことはもはや稀となったし、無精なグリセルダは手紙もまめには出さなかった。決して仲が悪いわけではなかったのだが。
そんな姉弟はおよそ二年前、念願だった「マレビト」との出会いを果たし、彼らを助けた。グリセルダはその縁で、半ば諦めていた伴侶を得ることができたのだから、「マレビト」が幸運をもたらすという伝承もあながち間違いではないのかもしれない。焚火を眺めながら彼女が二年前の出来事を思い出していると、さっき放り込んだ枝がひときわ大きな音を立て、夫であるサイネールが呻いた。
「グリセルダ……?」
「悪い、起こしちまったか」
「ううん、大丈夫。それより、代わろうか?」
「いや、いい。もう少し寝てろ」
眼鏡に手を伸ばすサイネールを押し留め、グリセルダはひとり不寝番へと戻った。
今、彼ら二人はインキュナブラ大陸の真ん中にいる。見上げた紺碧に浮かぶ星々は、彼女の故郷とはまた少し違った図を描いている。
(ずいぶん遠くまで来ちまったな……)
グリセルダが思わずそんな感傷を抱いてしまうくらい、美しく澄んだ夜空だった。
目指す遺跡はもうすぐそこ。明日には到着して調査を開始できるだろう。
彼らは今回、探索者の依頼としてではなく、純粋にサイネールの研究のためにこの地を踏んでいた。「枯れた遺跡」だなんて言われて、もう誰からも相手にされていないが、サイネールは「この遺跡にはまだ隠された秘密があるはずだ」と睨んでいる。
彼の情熱はグリセルダには理解できない。その半分、いや、三分の一ですら伝わっているか怪しいラインである。だが、サイネールが危険を承知で遺跡に挑むというのであれば、それに従い、支え、露払いをしてやることが自分の務めだと彼女は決めていた。
グリセルダは、寝ている時すら眉間に皺を寄せている夫の姿に、優しい笑みを浮かべた。麦わら色の髪を掻き分け、その額を撫でてやると少しだけ皺が薄くなった気がする。まるで慈愛に満ちた母親のような笑みだが、そうは言っても彼女は決して「女らしい」女性ではない。
わりと小柄でやせっぽちの夫と比べて、彼女は6フィートと少し(※約186cm)と長身で筋肉質、燃えるような赤毛に縁どられた顔は女性が十人いれば十一人振り返るほどの美男子っぷりと、まぁ対照的なのである。おまけに騎士物語に憧れを抱いていたグリセルダは、幼い頃から女だてらに剣を振り回しており、「地球」という別世界からやって来た「マレビト」にはゴリラ女と呼ばれていたほど逞しいのだ。
この二年で変わったことと言えば、似合わない化粧をやめて、昔のように自分を認められるようになったこと、攻撃手段を素手格闘から棒術に変更したことだろうか。
ただ、一番大きな変化は、リスタールの家名を捨て、ただの探索者として独立し、サイネールと結婚したことなのであるが。過去のしがらみから解き放たれた彼女はとても自由で、そして魅力的だとサイネールは思っている。
彼自身は「マレビト」との遭遇以来、格段に変わったことはない。いつも通りに研究は特に注目されることなく、貧乏学生という立場も変わらない。だが、彼には支えてくれる妻がいる。僻地の遺跡にまで、嫌がらずについてきてくれる妻が。
サイネールとしては、この地に眠ると言われる宝珠がこのガラ遺跡にあるのかどうか、そしてそれが本物かどうかを突き止めたかった。宝珠の持つ力、その可能性……それをどうしても手にしたいがゆえに。