第4話
玉座の背もたれは戦いの中で壊れており、今となってはただの椅子にしか見えなかった。そもそもがジュードの虚栄心を満たすためだけに作られた贋作であったのだ、元の姿に戻っただけと言えなくもない。
ジュードの死と共に、エリーゼたち姉妹は術が解け、精神の自由を取り戻した。床に倒れていた二人は頭を振って身を起こす。意識がハッキリしてすぐ、エリーゼはサエリクスの姿を探した。
「サエリクス!」
小さく痙攣して息絶えた因縁の相手を、サエリクスは無言で見下ろしていた。エリーゼはその横に寄り添い、彼の上着の袖をそっとつまんだ。
「本当に、死んだの……?」
「ああ。終わった」
「……っ、ありがとう……サエリクス!」
エリーゼは涙に息を詰まらせながらサエリクスにしがみついた。
解放された安堵感と、すべてを終え差し迫る別れへの寂寥感に、涙が後から後からこぼれてきて止まらなかった。そしてそんな彼女の背をぎこちなく擦る大きな手に、さらに切ない想いが募るのだった。
しかし、ずっとそうしているわけにもいかない。ここに二人きりというわけではないのだ。小さな咳払いがして、エリーゼは慌ててサエリクスから離れる。彼女らの背後には、同じくジュードの精神支配から脱したルイーゼが立っていた。
「まずはどうか、お礼を言わせてくださいまし、勇者様」
「……勇者だぁ?」
サエリクスの口から怪訝な声が漏れる。
ルイーゼはエメラルド色の瞳を緩く細めてクスリと笑った。
「ええ、そうです。今ここで死んでいる憎いこの男、ジュードに、異世界から手駒を呼び寄せるよう命令されたとき……私が願ったのは解放でした。あの男の言いなりになどならず、逆にあの大それた野望を打ち砕き奴に引導を渡してくれるような、貴方のような強い男性を思い描いていたのです……」
「…………」
「貴方は私が願っていた以上の結果を出してくれましたね。人質に取られていた私の姉、エリーゼも無傷で連れ帰ってくださいました。私がどれほど感謝しているか……本当に、言葉では言い尽くせません。ありがとうございました、サエリクス様。どうか、何でも仰ってくださいまし、私にできることなら何だっていたします」
「ル、ルーイ……!」
両膝をつき、頭を垂れるルイーゼ。それはエジプトの壁画にあるような、敬意を表するもののように見える。日常で使う仕草ではないのだろう、エリーゼは妹の側へと跪くが、どうして良いのかまごついている。そんなルイーゼをサエリクスが一喝した。
「よせよ。そんな真似されたって嬉しくも何ともねー」
「しかし……」
「元の世界に帰してもらえりゃ、俺はもうそれだけでいい。他には別に望んじゃいねえし、お前みたいな小娘にしてもらうことなんざねぇんだよ。わかるか?」
「そうなのですか……?」
「あ、けどよ、できるなら呼び出された日、呼び出された時間に戻してくれねえか? 休暇で遊びに来たはずが、とんだ事件に巻き込まれて観光も出来ずにトンボ返りになっちゃガックシだからよ」
ちょっと照れくさそうに要求を付け足すサエリクス。ルイーゼはそれを聞いて、泣き笑いのような表情になった。力が抜けて、ペタリとお尻が床に着く。
「……無欲なのですね、貴方は。どんな要求をされるかと、ビクビクしていた私が、バカみたいじゃありませんか。さすが、リーゼが惚れた男ですね」
「ばっ、バカッ! 何言ってるんだい、アンタ!」
「ふふふっ、本当のことでしょう? ……さて、場所を変えませんか。ここはちょっと、長話に向きませんし、送還の儀を行うには特別な部屋が必要ですので、そこへご案内いたします」
そう言って、緋色のカーテンの向こう側を指すルイーゼ。そちらは手傷を負ったジュードが逃げようとしていた方向だった。
「あっ、こら! 逃げるんじゃないよ、ルーイ!」
「逃げてません~。もう、煩いですよリーゼったら。サエリクス様をお待たせしちゃいけません」
「あ~! そんな言い方ズルイ~!」
「あー、もー、うるせぇなぁ……とにかく、行くならとっとと行こうぜ」
サエリクスの後ろに隠れようとするルイーゼと、それを追いかけるエリーゼ。文字通り自分を挟んで喧嘩をする姉妹に呆れて怒る気にもなれない勇者様だった。
「ふふふっ、ごめんなさい。ところでお仲間はご一緒ではないのですか?」
「何っ? やっぱあいつら呼んだのもお前かよ! どういうことかちゃんと説明しろ」
「わかりました。では、あちらでお話するとしましょう」
ルイーゼが緋色の幕を開く。その向こう側は何と言うこともない壁で、よくよく見れば扉がついている。隠し扉とまでは言えないが、初見で探し当てるのは難しかっただろう。
ノブもない扉を押し開けると、そこは薄暗かった。狭い階段の踊り場で、上と下とに螺旋が続いている。ルイーゼは銀の髪を揺らして振り返ると、微笑んで上を示した。カツンカツンとヒールの音を響かせながらひとり先導していく。純白の薄衣がふわりと空気を孕んで踊った。
「あ、アタシが先に行く!」
エリーゼは慌てて狭い所を無理に押し分け、二人の間に割り込んだ。
「おい、なんだよ。危ねぇだろーが」
「うるさいバカバカ! デレデレしちゃってさ!」
「はぁ? してねーし」
「仲がおよろしいんですのね」
「だから、違うっつーの」
クスクスと笑う妹をエリーゼは顔を赤らめて睨みつけた。




