第3話
サエリクスが物音に振り向くと、ジュードがエリーゼの首に背後から手を回し、もう一方の手でナイフを突きつけているところだった。
「う、動くな! こちらへ来れば女が死ぬぞ」
「サエリクス!」
エリーゼを人質に、ジュードは玉座の裏、緋色のカーテンに覆われた辺りへと下がっていく。どうやら、そちらにはもう一つ隠された出入り口でもありそうだ。下手にサエリクスが動くと短剣はきっと彼女の命を奪うだろう。サエリクスは唸った。
じりじりと後退りしていくジュード。エリーゼも抵抗しているが、その腕は振りほどけそうもない。ニヤニヤと嗤う男を睨みつけながら、サエリクスは仕掛ける隙を狙っていた。
(ここだ!)
サエリクスはハッと気がついたようにジュードから視線を少しずらし、叫ぶ。
「今だ、ディール!」
「な、なにっ!? 仲間が……」
ジュードは慌てて振り向くがそこには誰もいない。そしてもう一度サエリクスの方に向き直ったジュードの目前には、サエリクスの拳が迫っていた。
「うっ、ぐあっ!」
全体重を乗せた飛び込みパンチに吹き飛ばされるジュード。サエリクスの仕掛けたブラフに驚き腕が弛んでいたおかげで、奴の腕から抜け出していたエリーゼは無傷だった。
「サエリクス!」
「エリーゼ」
胸に飛び込んでくるエリーゼを抱きとめ、背後に隠すと、サエリクスは油断なく身構えた。壁にぶち当たり床に倒れ伏したジュードは動かない。
「妹を探すぞ」
「うん!」
「くっ……ふふふ、ふはは……」
「こいつ……!」
「その必要なぞないわ……! 出てこい、ルイーゼ! この男を、殺せ!」
その呼びかけに応えて、奥の緋色のカーテンの隙間からひとりの女が現れた。
「ルーイ!」
「リーゼ……」
そこにいたのはエリーゼによく似た面差しの、しかし、チョコレート色の肌に銀の髪をした少女だった。ルイーゼはエメラルド色の瞳を涙で濡らしながら、錐のように細い短剣を構えた。
「許して……! 命令に逆らえないの!」
「ルーイ、だめ! やめて!」
エリーゼはサエリクスを庇うように前に出た。
「お願い、リーゼ……ううっ……邪魔、しないで……!」
「ルーイ! させない、そんなの!」
エリーゼは妹に掴みかかった。サエリクスが割って入ろうにも、タイミングを見計らわないと逆にどちらかに大怪我をさせてしまいかねない。姉妹の必死な攻防にジュードは高笑いを上げた。
「ははははっ! やれ! 殺し合え!」
「てめぇ……」
「おっと動くなよ、異世界人。これ以上私に指一本でも触れてみろ、あの女は自分の喉を掻っ切るぞ?」
「くそったれ!」
これで完全に手を出すことができなくなった。
ジュードは上半身を起こし、カーテン越しに壁に背をもたれかけさせた。意地の悪い笑みを浮かべて観戦していたが、なかなかつかない決着に苛立ったのか大きく舌打ちをした。サエリクスが振り向くと、ジュードは腰のベルトに挟んでいた杖を取り外していたところだった。持ち手に大きな真珠母の嵌ったもので、不気味にてらてらと光を反射している。それを掴んでブツブツと何事かを唱えだすと、ルイーゼが発狂したように叫びはじめた。
思わず目を見張るサエリクス。しかし、それだけではない。エリーゼもまた悲鳴を上げ、頭を両手で抱えて苦しみだしたのだ。
「どうした! くそ、また魔術か?」
これは絶対にあの男の仕業だ。これ以上、見過ごすことはできない!
そう考えたサエリクスは一目散にジュードの元に走り寄り、持っている杖を奪い取った。
「き、貴様っ!」
「おおおっ!」
それをすぐさま膝で真っ二つに叩き折り、次にジュードを引き倒すとその背中に伸し掛かって肩から右腕を内側に折り曲げた。
「があああああっ!?」
ジュードは叫び声を上げながらも、残る左手を必死に伸ばし、サエリクスが折った杖の半分を手繰り寄せた。手にしたのは先端部。ジュードがそれをぐっと握ると仕込み刃が突き出し、サエリクスを襲った。
「うお……っ!?」
まさかそんな物が仕込まれているとは思わず、避けはしたもののかなり危ういところだった。ジュードの背中から飛び退き、サエリクスがジャケットを確認すると、少し切れ目が入っていた。厚い革製だったことが幸いしたのだろう。もしも毒でも塗られていたら、肌をかすめただけでアウトだったかもしれない。
「惜しかったな。だが、貴様はもう終わりだ!」
「…………」
そんなぼこぼこの満身創痍で何を言ってるんだと思いつつも、サエリクスは立ち上がってくるジュードを警戒した。利き手の指は折れ、腕もダラリと垂れ下がっているが、左手一本でまだやるつもりなのだ。サエリクスが距離を取ろうと後退りしたとき、玉座にぶつかり椅子の足がガタンと音を立てて動いた。
「はあっ!」
「っ!」
ジュードの刺突。
サエリクスは咄嗟に側の玉座に手を伸ばした。すると思いの外あっさりとそれは持ち上がり、杖刃は椅子の座面に裏側から深々と突き刺さった。
「ぐううっ、抜けん!!」
「そうかよ!」
畳みかける好機。
サエリクスは椅子を左右に振って、椅子の脚でジュードの側頭部に殴打を加えた。怯むジュード。
だが、そこにルイーゼとエリーゼの二人がサエリクスに掴み掛かって来る。どうやらあの杖を折った程度では術は解けないようだ。できるだけ怪我はさせたくないのだが、この非常事態では仕方がない。サエリクスはエリーゼを軽く肘打ちで払い、妹の方は蹴って振り払った。
更に椅子の座面の裏でジュードを突き飛ばし、たたらを踏んだ奴の左のつま先に椅子の脚を振り下ろした。
「あああああぁぁ!!!」
絶叫が上がる。
サエリクスは構わずジュードの頭を両手で鷲掴みにすると、椅子の裏から突き出た剣先に向け、渾身の力でもって叩きつけた。
「……ぉ、ぉぉ…………ごぼっ……!」
眉間から後頭部へ。
突き抜けた刃はぬらぬらと紅い輝きを帯びていた。




