第8話
エリーゼが鍛えてほしいと言うので、サエリクスは大聖堂までの道中、トレーニング方法についての助言やちょっとした手ほどきをしてやった。エリーゼは体が柔らかいのは良いのだが、いかんせん柔らかすぎた。
関節の可動域が広く、ほぼ180度の開脚ができるしなやかな細い体は、バレエなどには向いているかもしれない。だが、その可動性は逆に関節をしっかりと保持して激しい動きをするのには向いていない。安定性を欠いていると体の動きに合わせて関節が動きすぎて怪我をする原因になるのだ。
エリーゼは全体的に筋肉を増やす必要があるとサエリクスは判断した。彼女の体が戦闘向きに出来上がるまでは、結構時間がかかるだろう。
さて、七日間トラブルに見舞われることもない順調な旅だったが、進んでいくほどに緑が深くなっていくのには驚かされた。このまま進んでも大丈夫なのかと不安になるほどだったが、目的地の大聖堂があるのが「西部大森林自治区」という場所だと聞いて納得した。
怪しまれないために巡礼に紛れたのは良かったが、何しろその進み具合と来たら牛歩の如し、だ。自分とエリーゼだけならもっと短縮できていただろうとサエリクスは思った。まぁ、そんな旅程もこの世界に慣れるためにはちょうど良かったのかもしれない。サエリクスから見れば、ここは中世ヨーロッパ並みに文明の遅れた土地だ。
食事も水回りも、想像よりマシとは言えやはり不便さが先立つ。寝具のリネンは天然物と考えれば逆に現代では高価な品物なのかもしれなかったし、肌への触れ心地も悪くなかったが、金属柱で支えられていないベッドは壊してしまわないか心配になって寝つきが悪かった。
それにやはり、異世界に飛ばされて来たのだという事実を受け入れるためには少し時間が必要だったのだ。ただ歩いて体を動かしながら、何も考えずに、あるいは考え続けられる時間が――。
焦っても仕方がない。
サエリクスは考えるよりも動く方が得意だ。今はエリーゼに従わざるを得ない。だが、動くときが来たら、動く。そう考えて自分を落ち着かせた。
大聖堂はロサという街にある。比較的緑が拓けた平地で、どこもかしこも巡礼のためか旅装の人々であふれ返っている。そして街の名前が示すように薔薇が多く植えられていた。この街で特に目を引くのが白っぽい岩で造られた大きな建物と、それを警備する煌煌しい鎧の男たちだ。
その誰もが体格の良い成人男性のように見える。騎士と名の付く職業に就いている以上、タフで強い連中なのだろう。
「あれが聖堂騎士か」
「うん、そうだよ。目をつけられないようにしなくっちゃ」
「ふ~ん」
彼らが身に着けているのはいわゆる全身鎧というやつだろう。城だか貴族の屋敷に飾ってあるようなひと揃いの甲冑だ。顔も分からない金属製の兜、胴体と肩から指先、腰から下も靴もすべて板金を曲げて全身を覆ってある。その上から着ている袖なしの上着がサー・コートと呼ばれるものなのだろう。それは真ん中から縦割りで白と黒に分かれていた。
ざっと見る限りでも、担当の場所に槍を片手に立っている立哨の他に、100メートル四方に二、三人はいる。何かあれば結構な数が駆けつけてくるはずだった。
(こりゃ、結構キツいな……)
鎧でガードされていると拳での打撃が効きにくい。関節技も封じられているとなると、これは本格的に「忍び込む」以外の選択肢がなくなってしまう。他の仲間がいれば陽動を起こしてもらう手もあったが、宝珠のある部屋によっては「詰み」ということも考えられる。サエリクスはひとり唸った。
ところで巡礼の誰もが口にする大聖堂だが、宗教施設なのに祀ってあるのは神ではなく「聖典」という白と黒二冊の本のレプリカなのだという。そもそも、驚いたことにこの世界には神がいないのだった。
「いないのか!? 全然?」
「っていうか、神ってなに?」
「そこからかよ!」
サエリクス自身はまったく宗教的とは言えないのだが、「いない」となるとさすがに驚く。エリーゼが言うには、この世界は白いドラゴンと黒いドラゴンによって形作られ、彼らは今も見えないどこかで人々を見守っているとか。だったらそれが「神」なんじゃないかと思う所だが、特に信仰しているわけではないらしい。久々にカルチャーショックを受けたサエリクスだった。
「さぁ、中に入るよ、サエリクス」
「ああ。なんだ、金払うのか」
「心ばかりの……ってやつさね」
「あ~、ハイハイ」
順番に列に並びながら囁きあう二人。そういうところはどこも同じなんだなぁとサエリクスは半ば呆れながら思う。
「ところで……見られてるぞ」
「そう、だね……」
他より頭ひとつ低い聖堂騎士のひとりが、兜ごとこちらに向けてじっと視線を注いできていた。
「気にするな、普通にしてろ。逆に怪しまれるぜ?」
居心地悪そうに身動ぎするエリーゼに、サエリクスは努めて軽い口調で忠告した。結局、呼び止められることなく入口までやってきた。