第1話
アウストラル国とガイエン国の関係は、まるでオーストラリアとニュージーランドのようで、何日もの船旅が必要なわけではない。船旅の最初は快活だったエリーゼだが、ガイエンが近づくにつれて無口に、そして緊張した雰囲気を漂わせるようになっていった。
日が暮れる頃には港に着き、かねてからの取り決め通り、エリーゼとサエリクスはフードの男の部下に接触することにした。
「本当に、明日じゃなくて良いのかい?」
「俺はこれでいい。……お前は?」
念を押すエリーゼにサエリクスは答え、そして一応彼女を気遣って問いを返した。彼女はこの国の生まれで、フードの男ジュードに妹を人質に取られているのだ。サエリクスは元の世界に帰るとして、彼女たちはこれからもここで生きていかなければならない。
例えば、サエリクスがジュードをぶちのめして地球へ帰るための魔法の儀式やら何やらをやらせたとする。しかしその場合ジュードは生きているのだから、彼は裏切ったエリーゼを決して許しはしないだろう。どさくさに紛れて逃げられれば良いのだが、エリーゼの妹がどこにいるかが問題だ。
「お前の妹、見つけてからでもいいんだぜ」
「いいの! アタシのことは気にしないで。決心が鈍る前に、行こう……」
エリーゼが約束の場所で秘密の合言葉を囁いて出てきたのは、無感情な、蛇のような印象の男だった。その男は無言で二人を馬車に乗せると、行先も告げずに馬に鞭打った。星もない曇天の夜で、そのせいというわけでもないだろうが、重苦しい空気に二人とも口を開かない。どこへ向かうとも知れない車の中で、エリーゼは不安そうにサエリクスの方に身を寄せた。
それを引き剥がすのも何だか憚られ、サエリクスは彼女のことはそのままに馬車の壁に寄りかかって眠ることにした。着いてすぐ戦闘ということも考えられるし、体力を温存するのは悪くない選択肢だ。別に、こんな空気の中でしんみりするような話題を切り出されるのが面倒だったわけじゃない。
ガタンと大きく馬車は揺れる。だが、軍用車だって乗り心地が良いわけではない、これよりちょっとマシ程度だ。フードの男とはごく短い時間しか会話しなかったが、あの憎たらしい顔だけは忘れることはない。「もうすぐだ」とはやる気持ちを抑えながらサエリクスは眠りについた。
次に意識がハッキリしたのは、馬車が停まり蛇男に蹴飛ばされた時だった。
「いてっ!!」
「起きろ! ジュード様がお会いになるそうだ」
「うっせえな……」
身動ぎするサエリクス。そのときになってようやく、エリーゼが自分の肩に頭を乗せて眠りこけていたことに気がついた。どうりで肩が重いはずだ。声をかけてもムニャムニャ言うだけで起きる気配のないエリーゼの唇をサエリクスが緩く拳を作った右手でぐりぐりした。
「んんっ」
悩ましげな声を上げるエリーゼ。しかし彼女はサエリクスにピッタリ引っ付いたまま起きようとしない。まさか寝たフリなのだろうか。
「起きてんのか……?」
返事はない。
サエリクスは強めのデコピンをエリーゼにかました。
「あうっ! いったぁ~~」
「着いたからさっさと起きろよ」
「ひっどい! もっと優しく起こしてよ~」
「うるせえ」
二人が漫才をしていると、蛇男が無言で拳を振るってきた。完全に予備動作のない動き方だった。しかし……
「早まんなくてもさっさと降りるから黙っててくれねえかな!!」
「なにっ!」
まさか受け止められると思わず、男は焦りを隠せない。
「な、生意気なっ」
拳を引き戻し、そのまま殴ろうとする蛇男だが、それはサエリクスが許さない。
「良いからさっさとエリーゼも降りろ。そして案内すんのかしねーのか?」
「く、くそっ……! 覚えてろよ!」
「まるでMANGAのようなセリフだな」とサエリクスは思う。しかも小物くさい。サエリクスは男の拳を掴んだまま馬車を降り、エリーゼが手の届かない位置まで下がったのを目で追った。男が諦めたのを確認してから手を離す。脅しに屈した蛇男は、サエリクスに陰湿な目線を向けながらも案内を始めたのだった。
* * * * * * * * * * * *
明かりがあってもなお暗い廊下を通り、さんざんウロウロさせられてからある部屋へと通される。そこはまるで中世の城にある謁見の間のようだった。昼間であれば光が降り注ぎ、美しくも荘厳な雰囲気を醸し出すであろう豪勢なステンドグラスは、今は蝋燭の明かりに照らされ不気味に覗き込んでくるようだ。贅をつくしたであろう絨毯が一本、真っ直ぐに伸びて玉座のような椅子に続いている。一段高くなったそこには、取り巻きに囲まれたあの憎たらしい顔があった。
「フン、ようやく戻ったか。待ちくたびれたぞ」
頬杖をついて二人を見下ろすのは壮年の男だ。
サエリクスをこの世界に引きずり込んだ元凶であり、「フードの男」とサエリクスが呼んでいる、このガイエン国の王位に三番目に近い男。王子の誕生により次期国王の座から追い落された王弟。それがこの男、ジュードである。
「よう、久しぶりじゃねえかクソジジイ」
いきなりの暴言に槍を持った男たちが色めき立つ。エリーゼも真っ青だ。
「良い」
フードの男は自身も片目をひくつかせながら、取り巻きたちを片手で制した。
ギリギリと引き絞られるような緊張感が満ちる中、サエリクスの戦いが始まろうとしていた。




