第9話
「まったく、寝てなきゃダメじゃないか! だからお前はバカって言われるんだよ、バカ女」
「ちぇ、そこまで言うことないだろ、サイネールぅ~」
小言を言いつつもサイネールはどこか嬉しそうにグリセルダの手を引いてソファに座らせる。グリセルダにもそれが伝わっているのか、彼女もまた嬉しそうだった。
「本当に起きてて良いのかよ?」
サエリクスが念を押すと、グリセルダは目線でムートの存在を示しつつ、「大丈夫だ」と頷いた。許可は降りているようだ。
「リスタールの人間は頑丈なんだ。それに、宝珠のおかげで回復も早かった。助かったぜ! ……ありがとうな」
声のトーンを落として、真面目な顔で礼を言うグリセルダに、エリーゼたちはそれぞれ、くすぐったそうに笑みを交わした。茶が振る舞われ、たわいもない話に花を咲かせていたとき、出し抜けにサエリクスが言った。
「グリセルダ、お前、ちょっと……小さくなってねぇか?」
「えっ、そうなの? どの辺が?」
エリーゼが無遠慮にグリセルダの体を目でチェックする。しかし、その胸に変化はなさそうだった。特に今日は革の胴衣で胸を締めつけていないせいもあって、普段よりその大きさがよく分かる。
「……そこじゃねえ」
「あいたた、やめてよ、髪型が崩れちゃう!」
サエリクスがエリーゼの頭を軽めのアイアンクローで掴むと、まったく反省のなさそうな抗議が飛んできた。グリセルダは気を悪くすることもなく笑ってサエリクスをたしなめる。
「確かに、縮んだと言えば縮んだぞ。回復するのに色々使っちまったからな」
「あー、傷を治すためにはエネルギーが必要なんだ、魔術でもそこはあまり補えない。だから、魔術で治療するには、治される側の体力を見ながらっていうことになるんだよね。無理に治すと衰弱死するんだ。色々使ったって言うのは、体に蓄えている筋肉とか脂肪とかのことだよ。……この説明でわかる?」
サエリクスとエリーゼがきょとんとしているのを見て、サイネールがグリセルダの言葉を補う。それを聞き、サエリクスは「ようやく合点がいった」というようにポンと手を打った。
「あっ、じゃあ、あのオッサンが腹にたぷたぷ肉を溜め込んでたのは、もしかしてそのためだったのか!」
「いや、多分違ぇ。なくなるときは筋肉からゴッソリ行くからな」
「な~んだ!」
「おかげで私なんかケツからなくなっちまって、ズボンがゆるいゆるい。触ってみっか?」
「下品なこと言うな、このバカ女!」
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ガイエン国までは、取り決め通りリスタールの船で行くことになった。エリーゼとサエリクスの二人旅である。グリセルダは同乗したがったが、それはさすがにムートやサイネールが許さなかった。
「ちくしょう、身分が恨めしいぜ。なぁ、せっかく探索者の資格があるんだから、やっぱ黙って潜り込みゃバレねぇんじゃ……」
「ダメ! いい加減諦めてよ!」
「だってなぁ。なんかあったらグレイルとディールに顔向けできねぇもんよ」
渋るグリセルダ。
サエリクスは肩をすくめた。どう言ってやれば彼女の心を軽くできるのかなんて分からない。だから、思ったままを伝える。
「本当に世話になったよ。お前にも、お前の周りの人間にも。なんの義理もねぇのによ。それも、お前がそうやって全力で助けてくれようとするからなんだよな」
「サエリクス……」
「もう充分すぎるほどだぜ。だから、あんま心配かけるんじゃねぇよ」
グリセルダはそれを聞き、神妙な顔をして頷いた。
「お前にそこまで言われたら、悔しいけど諦めるしかないな。見届けてやれないのは残念だが、お前ならちゃんと成し遂げられると信じてるよ」
「僕も。僕もそう思うよ。サエリクスならきっと大丈夫さ。あ、でも、そこに行き着く前にヘマしそうな予感がするなぁ。短気起こさずに、慎重にね?」
「わーってるよ!」
サエリクスはわざと怒ったように言い、そして笑った。
昨日の今日で慌ただしい出発ではあったが、サイネールたちはこれからすぐにでも今回の事件の後始末で忙しくなる。笑ってゆっくり別れを惜しめるのも今のタイミングだからだ。サエリクスとしても、エリーゼの離反やテロ首謀者であるリュシアン・ノレッジの捕縛などの情報が渡らないうちに決着をつけてしまいたかった。
「ってわけで、ちょっくらフードの男をぶちのめして、さっさと帰らせてもらうぜ、俺は」
「うん! 頑張って!」
「元気でな、サエリクス、エリーゼ!」
「ありがとう二人とも! お幸せにね~」
「なっ、だから違うって!!」
ガイエン行きの船に乗り、賑やかな雰囲気で見送られた。手を振るグリセルダたちがだんだん小さくなっていく。そういえばサエリクスは、行きは船倉に転がされていたため、実際に海上からこの世界の国々を眺めるのは初めてだ。大陸の大きさを考えると、確かにアウストラルは小島に見えるが、それでも想像していたよりはずっと大きかった。
今までこなしてきた戦いを思い返しながら遠ざかっていく港を眺めていると、その横にエリーゼがそっと寄り添った。
「ガイエンまではそう遠くないよ。港に着いたら、あの男の屋敷へ連れて行かれると思う。そしたら……そしたら、お別れだね、サエリクス……」
「ああ」
「アタシ、アンタを元居た場所に帰してあげるって約束したよね。だから、絶対に無茶だけはしないで」
「無茶するさ!! こんなときに無理しないで、いつ無理するってんだ。ゴリラだってあんなになるまで頑張ったんだぜ……?」
「でも……。アンタに死んでほしくないんだよ、サエリクス」
エリーゼはサエリクスに抱き、その頬を胸に押し付けた。しかし、それはすぐに彼によって離されてしまう。
「抱きつくなよ。それに、俺だって死ぬつもりなんかねえし」
「なんだい、ちょっとくらい感傷に浸らせてくれたっていいだろ、ケチ!」
「うるせえよ」
「む~~」
エリーゼの唇を指でぐりぐりと押しつぶすサエリクス。膨れっ面をしてみせるエリーゼだったが、その後すぐニコッと笑った。
「とにかく、アイツをぶっ飛ばしちゃお。話はそれからさね!」
「そうだな」
二人肩を並べて決戦の地を見やりながら、エリーゼの心は遠くない別れにチクチクと痛むのだった。