第8話
戻ってきたサイネールに、エリーゼが厳しい顔で問う。
「ねぇ、彼女すごく苦しそうなんだけどさ、本当に大丈夫なのかい? 信じていいの、コレ?」
「ああ……そうか。回復の指輪単体には、体力を増幅して回復を促す効果しかないから、痛みは消えないんだ。でもむしろ、痛みを感じられるくらいには良くなってきたってことだよ。……療術士が来てくれないことには……どうすることも……」
サイネールは言い淀んだ。
回復の指輪のおかげで死んではいないが危機的状況は脱していない。療術士に看てもらわなければ、このままだと痛みや熱で消耗して、やはり命が危ういのだった。
「グリセルダ……死ぬなよ……」
その声は懇願にも似ていた。
跪いたサイネールがグリセルダの額に触れた途端、彼の手の中にあった“月の涙”が眩い閃光を放った。
「っ!?」
青い光の帯が暗闇を切り裂く。
サイネールたちは咄嗟に目を覆った。
光の爆発は一瞬で、彼らが狼狽えながらも目を開いたときには、宝珠は鎮まっていた。ただ、生き物のように柔らかく明滅しながら辺りに美しい青を振り撒いていた。
「キレイ……」
エリーゼが呆然とした表情でポツリと漏らした賛美が、全員の総意だっただろう。サエリクスも思わずその輝きに見入っていた。
(なるほど。確かにエリーゼが「全然違う」って言うわけだぜ)
しかし、なぜここで光り出すのだろうか。あの男の懐にあったときも、サイネールがそれを持ち出したときも、かの国宝はただのサファイアにしか見えなかったというのに。
その疑問の答えはサイネールが知っていた。彼は目を見開き、唇を震わせていたが、次の瞬間には大きく興奮した叫びを上げていた。
「ああっ! なんてことだ、僕らは伝説の再現に立ち会ってるんだ!」
「……ああ?」
「サエリクス、この宝珠は誰にでも扱えるわけじゃないって言ったろう? 宝珠に選ばれた者だけが大いなる力を扱えるんだ。すなわち、王になるべき定めってこと……いや、まずいな。リスタールは王の血族じゃなかったはず……」
サイネールの声が萎んでいく。
アウストラルの王室の許可なく宝珠に触れ、しかもそれを使う資格を得てしまうとは……これが知られればまずいことになるかもしれない。だがしかし、そのおかげでグリセルダはどうにか命を繋いだ。宝珠の光が彼女を照らし、傷ついた体を癒やしていく。
「あ、顔色が……呼吸も安定してる気がするよ」
「……この宝珠の力だろうね。止血と鎮痛、炎症を抑えてくれる効果があるから、きっと、助かるよ。何て言ったって、彼女は強いからね」
「うん。……良かったね、あんた」
「へ?」
「言わなくちゃならないことがあるんだろ? 死んじまったら、言えないじゃないか」
「……そうだね。その通りだよ。ありがとう」
微笑むエリーゼに、一瞬、虚を突かれた顔をしたサイネールだったが、その言葉を認めて頷いた。彼はまだ、グリセルダに「ごめん」も「ありがとう」も言えていないのだ。父親のせいでこんな事態に巻き込んだこと、あのイカれた女剣士から守ってもらったことも。
サイネールは気分を変えるため、努めて明るい声を出す。
「さ、きっとすぐに療術士もムートさんも来る。そうしたら、彼女を馬車に乗せて帰ろう!」
「おう。お前も手伝えよサイネール。流石に俺だけじゃ運べねえ」
「うん。あ……。宝珠、どうしようか。ずっと誰かが押し当ててるのも面倒だし……グリセルダに握らせるって言っても、気絶してるんじゃ落ちちゃうし……」
サエリクスとサイネールは二人で顔を見合わせた。そして互いに別の方角を見やる。しかし、二人の考えていることは同じであり、口にせずともそれは彼らの中ではハッキリと分かっていた。
「ん」
「えっ、僕?」
「ったりめぇだろ、さっさとやれよ」
サエリクスに肘でつつかれ、サイネールは蒼く光る宝玉をグリセルダの胸の谷間にえいやっと押し込んだ。人間の眼球ほどの大きさしかない宝玉は、彼女の豊満な胸元に隠れて完全に見えなくなった。エリーゼの目が細まる。
「ったく、男ってやつは……!」
「違っ、これが一番安定すると思って!」
「はいはい」
サイネールの言い訳をエリーゼはツンと顔を背けて無視した。
* * * * * * * * * * * * * * *
明けて翌朝、朝食の席に下りてきたエリーゼの姿に、サエリクスは目を見開いた。
「な、なにさ……アタシの姿に文句でもあるのかい?」
「いや……」
髪を結い上げ化粧を施したエリーゼは、ワンピースこそ質素なものの、豪華なスィートルームの背景とあいまって上流階級のお嬢様に見えた。まぁ、蓮っ葉な言葉遣いのせいで台無しだが。
「ねぇ、サエリクス……アタシの格好、どう……?」
「……いいんじゃね」
「ありがと……」
エリーゼは頬を染めて俯き、サエリクスは気まずさに顔を背けた。
「ひとの気も知らずにイチャイチャしやがって……!」
「!」
「だから! してねえって言ってるだろ!」
「ケッ!」
「コイツぅ!」
僻むサイネールに「態度が悪ぃぞ!」とスリーパーホールドをかけるフリをするサエリクス。サイネールも派手に騒いで見せてはいるが、ちゃんとお互い分かっていてふざけているのだ。
「何だよ朝から騒がしいな。お前ら、いつからそんなに仲良くなったんだ?」
「バカ女!」
「よ、ゴリラ女」
「おいこらぁ、ちゃんと名前で呼びやがれ!」
吠えてみせるグリセルダ。しかしその顔には笑みが浮かんでいる。
「もう起きてきても大丈夫なのかい?」
「おう、私は元気だぜ!」
清潔なドレスシャツとウールのベスト、それと同じ生地のスラックスに身を包んだグリセルダが、化粧っ気のないままで応接間の入り口に立っていた。