第7話
エリーゼが戻ってきたとき、グリセルダの側には立派な馬車が停まっていた。それが誰の物かは分からなかったし、そこに立つ人物も陰になっていてエリーゼには分からなかった。サエリクスとサイネールの二人が、その人物と向かい合うようにして立っている。エリーゼは引き摺ってきたサビーンから手を離し、サエリクスへ話しかけようとしたが……。
「サエ……」
「ふざけるな! 彼女は実験道具なんかじゃない……好き勝手言いやがって、あんたのせいで僕がどれだけ……僕らがどれだけ迷惑を被ったと思ってるんだ!」
サイネールの声が夜のスラム街に跳ね返って響いた。エリーゼは何となく出て行き辛く、物陰に身を隠した。フガフガと煩いサビーンはつまさきで蹴飛ばして黙らせる。
サイネールと対峙しているのはどうやら彼の父親のようだ、とエリーゼは直感した。となれば、今回の反乱を企てたのも彼だ。主犯である彼をどうやって引き摺り出そうと頭を捻っていたのだから、この流れはむしろ好都合、のはずだ。
(そういえば、母親ごと捨てられたんだっけ、眼鏡くん……。アタシんとこと同じ。頑張ってよね)
心の中でエールを送るエリーゼ。その甲斐もあってか、サイネールは父親を拳でノックアウトして勝利した。もちろん、喧嘩のやり方など知らないサイネールのことだ、サエリクスが横で教えて初めて成立した意趣返しであったが。
(やったぁ! さっすが、サエリクス!)
エリーゼは歓声を押し殺し、二人の元へ駆けていった。
* * * * * * * * * * * *
グリセルダはまだ意識があった。かなり危ういところではあるが。サイネールは彼女の側に跪き、
「ごめん、手間取った!」
「サイネール……、無事、だったか……」
「喋るなよ。今すぐ、療術士を叩き起こして連れてくるから……」
サイネールはグリセルダを元気づけるよう、肩に手を置いた。聞き慣れない言葉にサエリクスは、こそっとエリーゼに意味を尋ねてみた。
「療術士って何だ?」
「魔術で傷や病気を治療してくれる術士様さ。普通だったら、ここに連れてくるなんてこと無理なんだろうけど……」
サイネールも一応、侯爵家一族の末席に身を置いているのであるし、危急の際に術士を動かす伝手はあるのだろう。そうでなくても、グリセルダの名を出せば療術士のひとりや二人駆けつけてきそうではある。しかし、それを彼女は断った。
「なんでだよ! 緊急事態なんだぞ!?」
「騒ぎを大きく、したくない。サエリクスを、送って、いかないと……。約束、したんだ。傷は、ほっときゃ、治る……」
「バカ……」
サイネールは立ち上がり、父親とサビーンの身柄を押し込んである馬車の方へ向かった。グリセルダの呼び止めは無視である。サエリクスたちも彼の判断に従った方が良かろうと、それについて行った。
「馬車で呼びに行かせるのか? 乗せるのはマズイだろ」
「うん。この御者を遣って、療術士を呼んでこさせようと思うんだけど、その前にあの男……僕の父親が何か便利な魔道具でも持ってないかなって。例えば……そう、これ、‟回復の指輪”とかさぁ!」
「へぇ。便利だな、さっそく使おうぜ」
「うん。あ、君さ、彼女にこれ、嵌めてきてくれないかな?」
「エリーゼ、だよ。お安い御用さ」
「よろしく、エリーゼ」
そのやり取りの最中にも、猿轡を噛まされたサイネールの父親――リュシアンがもごもご言いながら暴れていたのだが、サエリクスの腹パンで黙らされていた。
「他にも色々便利な物持ってるはずだよ。そういうの馬鹿にする癖にちゃっかり使ってるんだ」
「ほー。そんじゃ身体検査だな」
「んんん~~!!」
縛られた男の懐に手を入れて探っていたサイネールだったが、ある物を取り出したとき、その表情が訝しげなものに変わった。それはまるで人間の眼球ほどの大きさの、透き通った青い石で……。
「なあ、それ」
「うん……」
「なんか……」
「うん……」
「色は違ぇけど、大聖堂で見たオーブのレプリカそっくしなんだけどよ」
「うん。うん、そうだね。僕もそう思う……っていうか、そのものじゃないか! やってくれたな、まったく! ノレッジ家すら裏切って、どうするつもりだったんだよ、このクソ野郎!」
サイネールが頬を殴りつけた拍子に、リュシアンの猿轡が弛む。男は首を振って当て布を口から外し、口内にあった轡を無理やり吐き出した。
「くっ、ははっ! どうするつもり、だと? オーブを揃えれば大きな力が手に入るのだ、世界さえ手に入るほどの力がなぁ! ノレッジなんぞ、もうどうだっていい! 侯爵家の椅子取りゲームなんぞより、よほど確実に権力を手にできるわ!」
「……そんな甘言に騙されるなんて、それでも僕の父親なのか? 呆れて物も言えやしない。もういいよ、あんたは終わりだもの。まさか、最後の一線を自分で踏み越えるなんてね。手間が省けたよ、さよならだ」
「なんだとっ!」
「出してくれ。こんなのを彼女の側に置いておきたくない。ああ、それと、逃げたり逃がしたりしても無駄だよ。地の果てまで追手が来る。貴方も妻子を死なせたくないだろ? 僕の言うことを聞いておけば、悪いようにはしないからさ」
サイネールはさらりと御者の男を脅すと、療術士とムートの連絡先を教えて彼を行かせた。これで後始末の半分は終わったようなものだ。そして、手中の玉に目を落とすと、そのままグリセルダの元へ引き返した。




