第6話
マリアンが去ってすぐ、エリーゼは路面に仰向けで横たわっているグリセルダの元へと駆け寄った。胸の上下によって辛うじて息があることが分かる。
「ひどい……」
グリセルダの全身はまさに傷だらけ、マリアンの刃によって切り裂かれた切創だらけであった。腕や肩、脇腹、腰。頬や耳にも所々切れ目が入っている。そして胸や腿などはわざとらしく服を裂かれて露出させられ、まるで強姦された後のような有り様だ。
切創は軽いものばかりだが、彼女は他にも体のあちこちを刺されていた。特に酷いのは右の肺を貫通している刺傷、そしてこちらも貫かれている左大腿部、傷口が大きく出血も激しい右の膝裏だ。
「ど、どうしよう……。せめて止血くらいしなくちゃ」
エリーゼの力ではグリセルダを安全な場所に避難させるどころか膝枕をしてやることすら出来やしない。グリセルダの横に屈み傷の具合を調べていると、気がついたのかグリセルダがその手を掴んだ。
「………………」
「えっ、何? 何て言ったの?」
「……きょう、じゅを……止めて……く、れ」
「サビーンを?」
「逃がす、わけに……、いか……っ!」
そこまで言うとグリセルダは咳き込み、血の塊を吐き出した。エリーゼは慌てて彼女の背をさする。
「無理して喋っちゃダメだよ! ……止めるったって、こんな所にアンタを置いていくわけにはいかないし……」
「……た、のむ」
エリーゼは迷った。
辺りを見回してみても人影はなく、助けを呼びに行くにしても彼女の元を離れなければならない。グリセルダの傷の具合は悪く、そうすると彼女を独りで死なせてしまうかもしれない。最期に誰も側に居ないだなんて、そんな終わりを迎えさせるなんて悲しすぎる……。
だが、彼女の言う通り、教授を捕まえるには今しかないだろう。機を逃しては逃げられてしまう。サエリクスの活躍で主だった戦闘員たちは壊滅状態とはいえ、リーダー格のサビーンに逃げられてしまってはサイネールが困るに違いなかった。
「私のことは、良い。だから……」
「でも……でも!」
「頼む。エリー、ゼ……」
「わかった、わかったから! そんな顔すんじゃないよ……もう、死んだら絶対に許さないんだからね!」
「ん……」
グリセルダの浮かべた微笑みに、逆に心配になってしまったエリーゼだったが、小言はぐっと飲み込んでアジトへと向かった。彼女の数え方が正しければ、後に残っているのはとてつもなく大きくて動作の鈍い大男と、小さくて足が不自由なサビーンだけのはずだ。
「よーし、やってやるわよ、アタシだって!」
自分で自分に気合いを入れ、真っ暗な入り口から小走りで中に入る。持ち前の軽い体を活かし、足音を消しながら。エリーゼの思った通り、建物の中には誰もいなかった。木造の階段を用心して登っていくと、扉が開いているのか廊下中が明るい。
そっと様子を見てみると、両側に二つずつ付いている扉が左奥のひとつだけ開いている。そして、その扉の横には例の大男が立っていた。
エリーゼはいったん引っ込み、震える手で小さな筒と針のついた吹き矢を取り出した。何度も練習を重ねてきたのだが、実際に使うのは初めてである。エリーゼの喉からゴクリと生唾を飲む音が漏れた。
(大丈夫……ちゃんと練習してきたんだ、絶対に当たる。当たれば人間ひとりなら、すぐに殺せる……!)
エリーゼは乱れる息を抑えた。
彼女の吹き矢に塗られているのは麻酔薬なのだが、即効性を求めるあまり対象が死に至るほどに効果を強めてしまったものである。これを使えば、聖堂騎士だろうと瀕死に追い込めるし、普通の人間が食らえば死ぬ。
(悪いね……恨むなら恨んでおくれ!)
エリーゼは床面スレスレまで姿勢を低くすると、一足跳びに大男の足元へ近寄り吹き矢を飛ばした。
「む?」
「えっ?」
確かに刺さったのだ。
だが、ひと言も発することができずに倒れるはずの大男は、吹き矢が刺さった首筋を手で押さえながら不思議な顔をした。彼にしてみれば蚊に刺された程度のことだったのかもしれない。
そして、間抜けにも声を上げてしまったエリーゼを見て、彼女の存在に気づいてしまった。
「お、まえ……」
「ひゃっ! や、や、やだっ!」
伸ばされる男の手から慌てて逃げようとするエリーゼ。しかし、それは彼女には届かなかった。大男はそのままゆっくりと、前のめりに倒れていき、ズンッと重い音を立てたかと思うとピクリとも動かなくなった。
「……えいっ!」
蹴っても反応がない。
しかし、彼は生きていた。
ホッと胸を撫で下ろすエリーゼ。そこへ、物音を聞きつけてサビーンが杖を突きつつ部屋から出てきた。
「何をしとるんだね……おお、なんだ、君かね。なぜここに?」
「お知らせと、お願いがあって」
「何だね。いや、それより彼はいったい?」
サビーンは見知った顔であるエリーゼのことを疑う様子なく近づいてきた。どうせ戦闘力もない小娘とでも思っていたのかもしれない。人間、自身の衰えを自覚したくないが故にまだ元気だった頃を基準に考えてしまうものだが、すっかり年を取って弱っている彼よりもエリーゼの方が強い。
「あのね……アタシ、抜けることにしたから、アンタの身柄を確保させて欲しいんだ!」
「なっ!?」
エリーゼがサビーンの杖を蹴り上げると、それは彼の手を離れてクルクルと舞った。エリーゼは容赦なく老人を床に引き倒し、腰に結わえてあった細いロープで彼を拘束したのだった。




