第3話
「アハ、久しぶりだねぇ、グリセルダ。元気そうじゃない? 会いたかったぁ~」
「……マリアン」
にこやかに再会を喜ぶ片手半剣を携えた女剣士マリアン。しかし、対するグリセルダの様子は嬉しそうではない。それどころか、見開かれた彼女の目には恐怖の色が宿っている。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
サエリクスは身構えたまま、グリセルダに問う。
「どうした?」
「頼む、サエリクス。二人を連れて今すぐに逃げてくれ! コイツの相手は、私がする!」
「お前も逃げた方が良いんじゃねえのか。そんなんで戦えねぇだろーがよ」
「だめだ! ここで私が逃げたら、コイツはお前らを捕まえてひとりずつ刻んでいく! そういう女なんだ、コイツは!」
ジャリリリリンッ!
「ゴチャゴチャうるせぇ! ……うふ、あたしを無視するなんてヒドイじゃない?」
バスタードソードで石畳を引っ掻き、ヒステリックに喚き立てるマリアン。その激情を見せたのは一瞬だったが、取って付けたような穏やかな言葉で誤魔化されるわけがない。これにはグリセルダならずとも閉口するというものだ。
カツン、カツンと靴を鳴らしてグリセルダに近づいてくるマリアン。サエリクスは動くことができなかった。
今ここで逃げようとすれば、マリアンの剣が彼を襲うだろう。そしてグリセルダを逃がそうとすれば、マリアンは迷わずサエリクスを殺してグリセルダを追うだろう。
彼女は相当の手練れだ。マリアンが放つ殺気と身のこなしにサエリクスもそう確信していた。
一対一のバトルにおいて、リーチの長さは重要な項目のひとつだ。『剣道三倍段』という言葉がある。剣の達人でさえ間合いの長い槍を相手にして勝つには三倍の段位を必要とするのだから、無手のサエリクスがマリアンにかかっていったところで切り捨てられるのが関の山だ。
今はまだ、動くべきときではない。
グリセルダもサエリクスも、そう判断して身構えるのみだった。
マリアンはそんな二人の覚悟など気にも留めず、艶然と微笑むとバスタードソードの剣先をグリセルダに向けておしゃべりを始めた。
「ねぇ、あれからもう二年、三年? そんなになるのかしら? 生きてるのは知ってたけど、こんなに楽しそうにしてるとは思わなかったわ~。男の趣味は変わらずかしら?」
「…………」
左手は自分の頬に、掌で顔を下から包み込むようにしてお淑やかな仕草だが、剥き出しの剣身がそれを台無しにしている。マリアンは手首を動かし、バスタードソードで器用にグリセルダのベストのボタンを落とした。
金属ボタンが石畳を叩いて硬質な音が響く。続けて二つ目、三つ目と、ボタンがすべて無くなると、ベストはだらしなく開いてしまった。マリアンの剣はさらに無遠慮にグリセルダの胸元をまさぐる。彼女がシャツの下に革の防具を着けていなければ傷ついていただろう。
「……っ!」
「ふふふふっ、刃物、ダメになっちゃったんだって?」
身体を固くするグリセルダをマリアンが嘲笑う。グリセルダは目を瞑って顔を背け、マリアンを、いや、剣先を見ないようにしているのだった。
「ほんと、なんで生きてんの? あのとき、血の海に沈めてやったのにさぁ……!」
マリアンの声が急に険を帯びる。その声は低く、這うようで、苛立ちと憎悪に満ちていた。
「体中突き刺して穴だらけにしてやったよなぁ、ええ? おい? 切り刻まれて血塗れで、小娘みたいに震えて泣いてやがったじゃないかよ、あの、天下のリスタールがさぁ! なにが“王の剣”だ、なにが当代一の女騎士だ!」
「マリアン……」
「くそ生意気な女が! お前みたいな小娘が一番キライなんだよ!! そういやあのときはまだ生娘だったんだっけぇ? あたしの愛剣で処女膜ぶち抜かれた気分はどうだったい? 内臓念入りに掻き回してやったのに死に損ねやがって、くそがぁ!! もっぺん犯してやるから今度こそ死にやがれ! グリセルダぁ!!!」
「マリアンんんん!!」
グリセルダの激昂にマリアンは嗤う。さっきまで舐めるようにしてグリセルダの体中に這わせていたバスタードソードを、鞭のように振るって切り下げると同時に距離を取る。遅れてグリセルダの拳がさっきまでマリアンがいた空間を抉った。
「行け、サエリクス! ここは私が……っ!」
後を振り向いて三人に逃げるよう促すグリセルダ。その表情は悲痛そのものだった。それも当然、マリアンはグリセルダを殺しかけ、彼女が騎士を辞めざるを得なかった原因を作った張本人なのだから。
グリセルダが女騎士団の団長と一対一での決闘をしていた最中、背後からの卑怯な一撃でそれを邪魔したばかりか、私怨から彼女をメッタ刺しにしたマリアン。別の騎士団員たちが駆けつけたとき、鍛練所は血の海で、天井までもが血飛沫で赤く染まるほどだった。
全身を切り刻まれ、肺にも穴が開き、内臓を傷つけられていたグリセルダはすでに意識もなく、完全に死に体だった。彼女が一命を取り留めたのはまさに奇跡としか言いようがなかったのだ。
グリセルダが騎士の職を辞し、また、剣の道を閉ざしたのはこの後すぐのことだった。刃物にトラウマを植えつけられたグリセルダは食事用のナイフさえまともに扱えなくなってしまった。
しかし、そんな事情を知らずとも、マリアンの狂気に満ちた独白からグリセルダの恐怖の程くらいは推し量れる。躊躇するサエリクスに、再びグリセルダからの喝が入った。
「サエリクス! 頼む……!」
「……チッ! 死ぬなよ、ゴリラ女!」
サエリクスは身を翻してエリーゼとサイネールの方へと走っていった。