第10話
見事なジャンプで地上に降り立った二人だったが、息つく暇もなく追っ手がやってくる。敵は十人を超す屈強な男たちである、多勢に無勢、まともに相手なんかしていられない。とにかく人気のある方へと走っていくと、埠頭の外れに出てしまった。すでに正午が近く、どこも閑散としていた。
「しまった、道間違えたか!」
「いや、見ろグレイル。あれは俺のセドリックだ」
船に積み込むために作業でもしていたのか、後輪タイヤの隙間に木の車輪留めをかましてあるだけのセドリックがそのまま放置されていた。
「しめた! これで戻ってあいつを拾うぞ、ディール」
「雑な扱いしてないだろうな……」
「言ってる場合か! 急ごう!」
バタバタと慌ただしく愛車に乗り込み、グレイルがきちんとシートベルトを締めたのを見届けてからエンジンをかけるディール。まずは思いっきりアクセルをふかし、エンジン音で周りの敵を威嚇する。車検の音量規制ギリギリのマフラーをつけているせいでエキゾーストノートはかなり大きい。
聞きなれない爆音に戦意をなくした敵が逃げていくのを、適度に追い散らしながらサビーンたちのいたアジトを目指した。
「いたぞ!」
アジトから少し離れた開けた場所で、彼女も遅れて逃げようとしていたのだろうか、グリセルダが男たちに囲まれていた。
「おりゃ! っ、この!」
「ったく、全然上達してねぇなぁ、あのゴリラは!」
見ていられない、とでも言うようにグレイルが叫ぶ。グリセルダは大きく体を使って拳を繰り出し、敵をぶちのめしたり、掴んで投げたりしているが、隙も大きく何度も攻撃をもらっている。そもそも「囲まれるな」という教えを忘れている時点で落第だ。
ディールはサイドブレーキを下ろし、一気にクラッチをつないでホイールスピンをかます。そのまま白煙を巻き上げつつ、巧みなアクセルワークで小さく、時には大きく回って、グリセルダを取り囲んでいる敵たちを蹴散らしていく。
低速なので敵をはねても死にはしないだろうと、横から軽くぶつけていくディール。グリセルダを守るよう、彼女を中心とした定常円旋回、ドーナツターンを決める。
「ディール……?」
グリセルダが呟き、セドリックの動きを目で追う。
ディールがY34のでかいボディを振り回し、サビーンの部下たちを文字通り蹴散らして戦闘不能にしている中、グリセルダは怪我をしないようその中心でじっとしていた。ディールが彼女とのドライヴ中に見せたあのターンを覚えていたのだ。
「おいディール。そろそろいいんじゃないか?」
「いや、俺じゃない。ブレーキが……利かない」
「何っ?」
Y34はタイヤスモークを巻き上げながらスピードをどんどん加速させていく。すると、段々周りに不思議な光が集まってきた。
「……何だ、この光……?」
「うお……何かやばくないか!?」
グレイルがそう言った瞬間、さらに光が強くなりY34は定常円旋回モードのまま閃光に包まれた。そしてその光が消えた時には、煙だけを残してY34も、グレイルとディールの姿も、どこにもなかったのである。
「なっ、なんだこれは! どうしたことだ!!」
呆気に取られていたサビーンだったが、ハッと我に返って騒ぎ始めた。そんな老人の狂態など目にも入らず、グリセルダは煙が上って消えていった空を、どこかホッとした表情で仰いでいた。
「ディール……グレイル……、サエリクスのことは任せろ。私が、必ず……!」
ポツリ、ポツリと雫が落ちてきて、グリセルダの頬を濡らした。しかし、瞼を閉じて感傷に浸っている時間など与えてくれるような相手ではなかった。グリセルダの腕を掴み、サビーンが吠える。
「グリセルダ! 奴らはいったい何者だ、説明してもらおう!」
「別に……。ただのマレビトさ」
「なんだとっ!」
「自分たちの世界に帰りたくて、すげぇ苦労してきたんだ。教授に会いに来たのもそのためだ。帰れて良かった」
「くそっ、何か知っているとは思っていたが、まさかマレビトそのものだったとは! 貴重なサンプルが……実験が……!」
「…………」
雨の中、地団駄を踏んで悔しがる老人を前に、グリセルダはもう何の感情もなく、ただその様を眺めるだけだった。サビーンはというと、ひとしきり感情を爆発させるとグリセルダを振り返った。まだ肩で息をしているが、どうやら頭の方は冷静になったようだ。
「さて、一緒に来てもらおうか、グリセルダ。君の協力が得られず残念だが、このまま帰してやるわけにはいかんのだよ」
ニヤリと笑うサビーンには、すでに知的な老親士の印象などなかった。そこにはただの狂信的なマッドサイエンティストがいるだけだ。
男たちがグリセルダを取り囲む。その手には棍棒やナイフなどが握られている。
「抵抗すると……わかるな?」
「しねぇよ。今さら」
「ふふふ、猛獣とはいえ、やはり刃物はまだ怖いと見える」
「……るせぇ」
「よし、連れて行け!」
サビーンの指示でグリセルダの腕を後ろ手に捻って拘束する男たち。グリセルダは痛みに顔を歪めながらも軽口を叩く。
「おいおい、鎖をかけるならせめて前にかけろよ、これじゃションベンもできやしねぇ」
「……わざとらしく下品なことを言うんじゃない。文句があるなら裸に剥いて転がしておくぞ」
「ちぇっ、わかったよ。これでいい。……引き返すなら今だぜ、教授。絶対に後悔することになる……」
「はっはっは! この期に及んでワタシの心配かね? 君こそ、ワタシたちに協力すれば痛い目を見ずにすむんだぞ、グリセルダ」
「……くそ食らえ、だ」
「オーブを手に入れればすぐに国外に出る。それまで精々頑張るんだな、グリセルダ。なぁに、苦しければすぐにでも薬で楽にしてやろう。……君は奴隷として良い値がつく、殺しはせんよ」
「…………」
男たちの下卑た嘲笑が響き渡る。グリセルダは詰ってやりたい気持ちを抑えて歯を食いしばった。