第7話
化粧を終えたグリセルダは早速、サビーン教授のいる場所へと二人を案内した。手元のメモを見ながら、先頭に立ってズンズン進んでいくグリセルダ。しかし、本当に道が分かっているのか、終始きょろきょろしている。
不安になりながらも黙ってついて行くと、大通りを外れてスラムじみた、質素な建物群へと向かっていく。入り組んだ狭い路地を歩きながら、グレイルは言った。
「おい、ちょっと待てよ。本当にこの道で合ってるのか?」
「ん。合ってるぜ」
「大学の偉い教授だろ、こんな場所にいるのかよ。騙されてねぇかお前」
罠にかけられているのではないかという、謂れのない不安がグレイルにはあった。警戒しすぎかもしれないが、今まで探して何の手がかりもなかった教授の居場所が、街を変えただけですんなりと判明するのもおかしな話ではないだろうか?
「騙すとか……まさか。教授について酒場で聞き込みしてたら、向こうから来たんだ。『お前がグリセルダって女か』ってさ」
「…………」
「だから、『そうだ』って答えたらこのメモをくれたんだ。教授が待ってるから、会いに来いって」
「名指しとか、おかしいと思わなかったのかよ?」
「へっ? なにがおかしいんだよ?」
グレイルは片手で顔を覆い、ディールはやれやれと溜め息を吐いた。
「な、なんだよ~。教授がソイツに伝言してたんだったら、私の名前を知ってたっておかしくはねぇだろ? ほら、もう着くって。あの建物だぜ」
グリセルダが指したのは、砂岩でできた粗末な家だった。大きさは二階建てで四部屋ほどあるようで、平均的な日本のコーポサイズだった。この辺の建物と比べるとそこそこ大きい。
「お~い、教授~。いるか~?」
グリセルダの呼びかけに応えたのは、探しているサビーン教授ではなく、相撲取りのような大柄の男だった。彼はヌッと姿を現すと無言で親指を立て、二階を示した。
「上がれって、こと、だな?」
グリセルダは相撲レスラーに確認を取ると、振り向いてグレイルたちに頷いて見せた。口許で笑ってはいるがその表情は固い。グレイルもディールも気を引き締めて後に続いた。
木製の階段が足を乗せる度に嫌な音を立てる。上りきった先にはドアが四つあり、その内のひとつを相撲レスラーが開けた。
「おお、グリセルダ。待っていたぞ」
おそらく彼がサビーン教授なのだろう。色褪せた絨毯の敷き詰められた部屋の中で、肘掛け椅子に座っていた初老の男が立ち上がる。ずいぶんと小柄な人物で、銀髪を撫でつけた知性的な老紳士だった。
「教授~~~! 良かった、くたばっちまったかと思ってたぜ!」
「おっとっと。ハグはやめてくれ、潰れる」
「なんだと~!」
「ははは、元気にしていたか? それにしても、手紙を読んで来たにしては早かったな」
「えっ、手紙って何だ?」
グリセルダが教授を抱き締めるのをやめて身を離す。教授はその隙にするりと抜け出すと、えへんとひとつ咳払いをして改めて口を開いた。
「リスタール邸宅宛に手紙を出したのだが、まさか……、字も読めなくなってしまったか?」
「ちげぇよ!」
「冗談だよ。まぁ、君に手伝ってほしいことがあって呼んだのだ。ちょっと長くなるかもしれないが、こっちにはいつまでいられる?」
「いいよ、手が空いたら手伝う。こっちはこっちでちょっと……」
「忙しかったか?」
「忙しいってか……。教授が手伝ってくれたら、早く終わるかもしれない。なぁ、グレイル?」
それまで放置だった後ろの二人に話が振られる。教授はというと、今ようやくグレイルたちの存在に気づいたような、軽い驚きの表情をしていた。
「教授、こっちは私の客人でグレイルとディール。グレイルが教授に聞きたいことがあるっていうから、王都でずっと貴方を探していたんだ。
グレイル、ディール、このひとがサビーン教授だ。私が世話になっている恩人なんだ」
「グレイル・カルスだ、よろしく頼む」
「ディールだ。よろしく」
「サビーンだ、紹介の通り大学で教鞭を取っている。専攻は人類学、民俗学だ。ワタシこそ彼女には大いに世話になっているよ。まずは座ってお茶でもどうかね」
教授に勧められ、グレイルたちは丸テーブルに腰かけた。お茶を用意してくれたのはあの相撲レスラーでも教授でもなく、メイドらしき若い女性だった。彼女は興味深そうに客人たちの顔を覗き込みながらティーカップを置いていく。色っぽいウインクを投げかけられてディールは居心地悪く身動ぎした。
まだ昼食には早い時間だった。メイドが部屋を出ていくのを待っていたのか、早速サビーン教授が口を開く。
「さて。わざわざワタシを訪ねて来たのだから、聞きたいこととは当然、ワタシの専攻に関わりのある事柄についてだろう。詳しく聞こう」
「ああ、そうだな……」
グレイルは口を開き、ディールやグリセルダを見やるが、二人はすでに教授とグレイルの問答を聞く観客気取りで役には立ちそうになかった。グレイルは内心で大きな溜め息を吐きつつ、「仕方がない」と開き直って教授を正面から観察した。
教授は150㎝そこそこの小柄な男で、年の頃はもう七十はいっているのではなかろうか。吹けば飛ぶような、骨と皮ばかりといった風体だ。貴族なのかどうかは分からないが、良い素材に良い仕立てのシャツとベスト、スラックス。ちらりと見えた靴も、その細い体を支える杖も、かなり良いもののようだった。
要は、金と暇を持て余した有閑人種というやつだ。当たり前と言ってしまえば当たり前なのだが、文明の進まない時代において、学問だけで飯を食っていけるような人間は最初から汗水垂らして働く必要のない金持ちばかりである。
目の前のこの教授も、大学の話ではしょっちゅう休講にして自分のための研究に勤しんでいるらしい。言い方は悪いが授業をさぼって遊び歩いているわけだ。
こういう人間から話を聞くときは、自分も同じ立場であるという切り口が意外と効果がある。それも、「つい最近この分野に手を出したので」と初心者であることを添えれば完璧だ、後は、要らない長話の中から重要な情報を拾うだけである。