第6話
アウストラル国には港が二つある。ひとつは王都に近いここ、イスダールに。もうひとつは主に観光客用の都市ゼイルードに。
イスダールにある港は主に商用である。大小様々な船が停泊しているが、どれも無骨できらびやかさはない。街もまた同じくで、活気には溢れているが、そこには都会の華やかさはなかった。
「王都に比べると、夜は静かだな」
「ああ。男どもが飲んだくれてるのは昼間だけ、夜や明け方は仕事があるからな。女たちだってここじゃ、遅くまで働いたりはしてないんだ」
女たち、というのは娼婦のことなのだろう、グリセルダの声がそのときだけひそめられていた。なるほど、通りを見渡してみても、客引きらしき男や立っている商売女をほとんど見かけない。宵の口は稼ぎ時だというのに、だ。
グレイルたちを乗せた馬車は、大通りを抜けて海沿いの大きな建物に向かって行った。そこはグリセルダの父親がよく利用する高級ホテルとのことだった。ディールのY34もそこで預かってもらうことになる。
「まずはここで一泊だ、教授は明日から探そう」
「ああ、そうだな」
「よし、じゃあ解散だな。三人とも同じ部屋になるが、寝室だけは分かれてるから安心しろ。おやすみ」
「おう。お前も遊び歩かずにさっさと寝ろよ、グリセルダ」
ディールとグレイルに鍵を渡すと、グリセルダは振り返らぬままに手を振って去っていった。
「……風呂、どうする?」
「部屋の中についてなきゃ、どこにあるか聞いて、そこに行くしかないだろ」
「面倒だな」
そんな会話をしつつ割り当てられた部屋に行くと、そこは豪華なスィートルームの一室であり、地球でも庶民がお目にかかる機会のないきらびやかさだった。当然、浴室も完備されており、彼らの心配は杞憂だったわけだ。
「あるところにはあるんだなぁ」
「……モダンだな」
空調設備がないことを除けば現代と変わらない快適な部屋だ。なんと氷冷式だが冷蔵庫まである。風呂上がりには冷えたビールで一杯ということもできるのだ。
「本当にこの部屋で合ってるのか?」
「あれで伯爵令嬢なんだ、多分、合ってる。まぁ、せっかく用意してくれたんだし、飯食って風呂に入ろうぜ」
綺麗にセッティングされたテーブルから、料理の皿に被せられた銀の覆いを取りつつグレイルが言う。ディールも頷いたが、先に旅の埃を落とすべく浴室へ向かったのだった。
* * * * * * * * * * * *
翌朝、いつものように四時の鐘で一度意識が覚醒したグレイルは、寝直して七時頃にベッドから出た。服を整えて寝室を出ると、応接間にはすでにグリセルダがいて、新聞を片手に紅茶を飲んでいた。
「おはよう、グレイル。お前も飲むか?」
「おう、おはよう、夜遊び娘。今日はえらく男前だな」
「別に、遊んでたわけじゃ……って、誰が男か! ムートがいねぇから、化粧してくれる奴を待ってんだよ、今」
グリセルダは服はキッチリ着ていたが、いつもの派手な化粧はしておらず、髪もそのまま垂らしているだけだった。
「お前、化粧道具忘れてきたのか? それともまさか」
「……うるせぇ」
「自分で出来ねぇなら化粧なんかするなよ」
「化粧もマナーなんだよ!」
「んな、似合ってねぇゴテゴテの化粧がマナーかよ? 素で良いだろ、別に」
「男と間違われるから嫌なんだよ……」
「いや、間違わねぇだろ」
グレイルがある一点を見て真顔で言うと、グリセルダから無言で畳まれた新聞が飛んできた。
「いいからさっさとディールを起こしてこいよ!」
「断る」
「なんでだよ!?」
「あいつ起こしても起きねえもんよ。時間が来るまで寝かしとけ」
夜型人間のディールはどちらかと言えば朝に弱い。それに仕事の時はともかく、プライベートだと他人に合わせることを極端に嫌う。前日に言っておいたわけでなし、今起こしたって不機嫌になるだけで起きてはこないだろう。
「それかお前が自分で起こしに行きゃ良いだろ、グリセルダ」
「なっ、できるわけないだろ。起こされることはあっても起こしたことなんてないし……それにそもそも寝てる男の部屋に行くのはマナー違反だぜ」
「えっ、そこ気にするのか……?」
「おいっ、グレイル!?」
と、そんな所へ寝室のドアが開いてディールが出てきた。
「お前ら、うるさい」
「おはよう、どうした、その服」
「起きたら置いてあった。……お前か?」
声の方を振り向いたグレイルは、上から下まで新品に身を包んだディールに目を留めた。寝起きのせいかムッツリした表情のディールはグリセルダを見やる。
「ああ。昨日のうちに用意させた。ちゃんと合ってるか?」
「……合ってる」
「なら良かった。今日は教授に会いに行くぜ、居場所、わかったんだ」
「なにぃ……そういうことは早く言えゴリラ!」
「なんだ、すぐ出るのか」
ニカッと笑ったグリセルダに対し、グレイルとディールの反応は冷たかった。
「ちょ、ちょっと待てよ! せっかく突き止めてきたっていうのに冷てぇなぁ……。それに、まだ化粧してないから行けねえって」
「お前の化粧なんざ構わねぇだろ」
「構うわ! 教授に会うんだからちゃんとした格好して行かねぇと! いいから下で飯食って来いよ~」
「あ、こら、押すな押すな」
グリセルダはそう言いながらグレイルを部屋から押し出した。グレイルも口では反抗しつつ大人しくそれに従う。扉を閉めようとすると、ひょいっとディールが上半身だけ身を乗り出してきた。
「服、ありがとな」
「ああ、うん! 動きやすくて良いやつだ、気に入ってくれたら何よりだぜ」
「じゃあ、後でな」
ディールはひと言残して部屋を後にした。