第5話
昼食後すぐにイスダールへ赴く予定を立てていたグレイルたちだったが、出発する段になってグリセルダがそのデカイ体で玄関に立ち塞がって邪魔していた。
「こらどけ、ゴリラ」
「やだ! 私はセドリックに乗って行きたい!」
「なんでそこまで拘るんだよ」
最初、「ディールの車で行こうぜ」と主張するグリセルダの言葉を、グレイルは話半分にしか聞いていなかった。よほどドライヴが気に入ったのだろう、と。
しかし、軽く無視して出ていこうとしたらこうなったわけだ。「駄目だ」と言っても聞きやしない。いっちょ指を反対方向にねじってやろうかとグレイルが思っていると、ディールが前に進み出た。
「地図で見たが、港町まで行ったらガス欠が心配だ。切れるってほどじゃないが、あんまり減らしたくない」
「ガス?」
「あー……ほら、燃料だ、燃料。お前のとこのランプのオイルみたいなもんだ」
「そうか……」
グリセルダは下を向いて考え込んだが、またすぐ顔を上げてグレイルを見た。
「やっぱり、セドリックは持っていく。乗れなくてもいい、とにかく動かすぞ」
「だから、何でだよ。理由を言え、理由を」
「なんつーか……ガイエンにも持っていく気なら、イスダールから船を出すわけだ。あれくらいデカくて重い物は、ちゃんと準備してやんねーとすぐすぐ船になんて載せられねぇ、だから先に向こうに移しとくべきだって……」
「ああ、なんだ、ムートさんか。じゃあ持っていくぞ。どうやって運ぶって?」
掌を返すグレイルに、グリセルダの顔が膨れっ面になっていく。
「なんだよ! 私の話は聞かないくせに、ムートの言葉になら従うのかよ!」
「当たり前だろ。それが気に入らないなら今度からもうちょっと考えて喋れ」
「クッソ~、覚えてやがれ、グレイル!!」
「はいはい。ほら、もう行くぞ」
外に出ると、ただでさえデカイこの世界の馬が6頭立ての大きな馬車に繋がれていた。ここにディールのY34セドリックを載せてイスダールへ行くのだろう。
「じゃあ、車動かしてくる」
「おう」
「何なら私が動かしてやろうか、ディール?」
「……ほぅ。別に、いいけど」
「よっしゃ!」
車を押して運ぶ、と言うと大変なイメージがあるが、タイヤがきちんと回る状態ならば実はそんなに苦労はしない。特にディールのY34は軽量化されているので、シートを含めた総重量が1800㎏を超えるとされる通常のセドリックよりも運ぶのは少し楽なはずだ。
それに、改造して車高を極端に下げているわけでなし、緩やかな斜面であればそう何人もの手を借りずとも積み込めるだろう。
「そこまで力入れなくてもいいぞ。あ、坂になってる所は俺も手伝う。シャーシ擦ったらやばいからな。……聞いてるのか?」
「あのゴリラのことだ、張り切りすぎて手の痕がベコッてつくんじゃねえのか」
「えっ、それはやだな……」
男二人が顔を寄せあってボソボソ喋っているところへ、グリセルダがガレージの扉を開けて叫んだ。
「ディール! 車のロック外してくれ!」
「なぁ、やっぱ自分で動かすって」
「ガスがねぇんだろ、遠慮すんな。さっきたくさん走らせちまったからな、ちょっとは責任感じてるんだぜ」
ディールは肩をすくめた。
万が一へこんだとして、擦ったわけじゃないなら雨水での錆は考えなくていいし、お湯をかけて周囲を拭いてやればポコンッと元に戻ることも多い。やめさせようとすればまた煩くなるだろうし、ディールは仕方なくY34の後輪ロックを解除した。
「よおっし、見てろよ~~」
シャツの二の腕にあるベルトを緩めたグリセルダは、パンッと手と手を打ち鳴らして気合いを入れる。そして、Y34を後ろから力を込めて押し出した。
「ふんっ、ぬぐぐ……! おっ、動いた! 思ったより全然軽いな」
タイヤが砂利を踏み締める音がして、Y34はゆっくりと動き出した。重いとはいえ成人男性が押せば普通に動くものだ、ディールがやってもグレイルがやっても動かせるだろう。しかしグリセルダはまるでそれを荷車か何かのように軽々と押し、ディールの補助もあって無事に積み込むことができた。
「ふうっ、良い重さだったぜ! ディール、ロックしといてくれ。さっそく出発しようぜ!」
「やれやれ。すごいタフだな、お前」
「へっへ~ん!」
「ほめてねえ、呆れてるんだ」
「なにおう!?」
作業を終えて胸を張ったグリセルダだったが、ディールの言葉に目を剥いた。そんな漫才も挟みつつ、他にも鞄やソファーやらを運び込んでいく。それもほんの数分で終わった。イスダールへは夕刻、陽が落ちる頃に着く予定である。
「どうなることやら、だな」
馬車の中、据え付けられた革張りのソファに腰を下ろしたグレイルが言う。こんな馬車で街へ乗りつけようなどと、悪目立ちするのではないかと内心苦い思いだったのだ。人探しをするなら目立つ方が情報が集まるかもしれないが、同時に厄介事も引き寄せる。サエリクスたちと別行動を取っている中では、余計なトラブルは避けたかった。
「この国には魚醤があるんだよな。新鮮な鯛もいるし」
「それは……! つまり刺身が食える?」
「ああ。ただし清酒はない」
「くそっ……!」
「しかも美味い米もない」
「生殺しかよ」
ディールの突飛な独り言に乗ったグレイルは盛大な肩透かしを食らった。こっちに来てからずっと洋風の食事ばかりで、そろそろ本気で日本食が恋しい。帰ったら絶対に最高級の日本米を、それも愛妻料理を食いたいだけ食ってやると心に決めるグレイルだった。