第6話
逃げ出した二人はしれっと大通りまで戻ってきていた。顔も見られてない以上、隠れ続けるのも馬鹿馬鹿しい。喧騒に紛れてしまえば逆に目立たなくなるというものだ。エリーゼもここは初めてということだったが、さすがに買い物は女の領分ということか、店を回って色々見繕ってはこれからの旅に備えて必要な物を買い足していく。水袋や簡単な非常食、それに顔を隠すためかフード付きのマントなど。
それが一段落すると、エリーゼは屋台でパニーニのようなものを買ってきてサエリクスにも手渡した。彼女の懐はあのフードの男から預かった準備金だろうか、だいぶ暖かいようだった。
「ねえ、さっきのあれ、アタシになにしたの? あんなに強いなんて思わなかった」
「何したのって……ただ単に座って戦ってただけだ」
「だからそれよ! わけわかんないうちにやられちゃって……びっくりした」
人体の構造を理解すれば、どこを掴めば相手が痛がるのか、どこを捻れば相手の動きを止められるのか、どこを殴れば的確にダメージを与えられるのかを知ることができる。ただ殴れば良い、蹴れば良い、捻れば良いというわけではない。人体のウィークポイントを知ることが相手を制圧する基本だ。
例えばカラリパヤットでは「マルマ」と呼ばれる人体の急所を知らなければ、相手を倒すことはできない。手技系の格闘技経験者であり、長年に渡って様々な術を鍛錬してきたサエリクスは、そういったコツのようなものを知り尽くしているのだ。なんとか言葉で説明しようとするものの、エリーゼはいまいち良く分かっていない様子だ。
「……身体の仕組みを知れば、ああいうことも出来るようになるって思っていいのかしら?」
「まぁな。例えば人間の中心……正中線って言うんだが、丁度そこを通るライン上には股間、みぞおち、心臓、喉、眉間がある。ここに的確にダメージを与えてやれば、それだけで人間を悶絶させることもできるぜ」
「じゃあ例えば、胸倉を掴まれたらどうするの? そんなに近づかれたら難しいんじゃない?」
ちょうど食事を終えていたエリーゼが、サエリクスの胸倉を右手で掴む。挑発的に笑ってみせているということは、あのとき店で転がされたときにもかなり近い距離だったことを覚えてないらしい。
「じゃあゆっくりやるけど、まずは右手で相手の肘の関節を押さえる。次に左腕で相手の喉を押さえて、お互いをそれぞれ反対方向に引っ張る」
「ぐ、ぐぅえ……」
「で、後は左手で相手の胸を地面に向かって押す。右腕は外さない。すると足払いなんかしなくたって簡単に倒れる」
地面にゆっくり転がされたエリーゼはキョトンとしたが、すぐに立ち上がった。
「た、食べた直後にやらないでよ、も~! ……もう一回!」
「じゃあ、今度は俺片手だけでやるぜ?」
もう一度サエリクスの胸倉を右手で掴み、エリーゼは彼の出方を待つ。サエリクスは右手を動かし、エリーゼの右肘をグイッと上に右手で押し上げる動作をした。するとそれだけで、エリーゼはいとも簡単に地面にひっくり返ってしまったのだった。
「……強いのね、サエリクス! 理屈がわかったってアタシにはこんなのできないよ! アンタなら、あの聖堂騎士たちだって倒せるかもしれない!」
「そうなのか? けど多勢に無勢の状況だと、俺も逃げるしかねえ。一気に十人相手なんて無理だ」
「そりゃ、そうでしょうけど」
「それこそ狭い場所にでも誘い込まなきゃな」とサエリクスが多対一バトルの基本ルールを口走ると、エリーゼはそれを聞いてニヤッと笑った。
「そういうことなら、アタシも援護できるよ、たぶん」
そう言って彼女が取り出して見せたのは、吹き矢だった。
「サエリクスが気を引いてくれてる間に、コイツをお見舞いしてやるつもり。当たればしばらく動けなくなるんだ。聖堂騎士ってやつは魔術を使ってくるからね……。でも、この針が魔術を阻害するから、塗ってある薬がちゃんと効くようになってるんだ」
「……魔術とかっていうのはよくわからねえけどな。……まぁ、サポートは任せる」
「えっ? 魔術を知らないの?」
「知らねえ。見たこともねえ。魔術なんてそもそも俺の世界に存在しねえ」
エリーゼはぽってりした唇をすぼめてみせた。何か言いたいことを考えているようだ。
サエリクスは首を横に振ったが、厳密に言えばヘルヴァナールという世界で魔術を見せて貰ったことはある。だが、あいにくそっち方面はチンプンカンプンで興味が湧かなかったのだ。彼はあくまで、格闘戦や武器術のスペシャリスト、というだけなのだから。
「ふぅん。まあ、使える人間も、恩恵を受ける人間もアタシらとは違うお偉いさんだけだもん。気にしなくたっていいさ。ただし……」
エリーゼがひたとサエリクスを見据えて言う。
「魔術が得意な聖堂騎士は、強いよ」